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「居場所」って「座れる場所」のことかも。

「座れる場所がない」
通勤の電車の中で。オフィスの外のベンチで。休日のカフェで。
東京の生活は、「席取り」の連続だ。
どこに行っても混んでるし、いつ行っても先客がいる。
渋谷から始発で帰ろうとした時、地元のラッシュ時と同じくらいの人が電車に乗っているのを見てゾッとした。
朝の5時を夕方17時と錯覚するくらい、渋谷の始発の電車には人が座っていた。
こうして「席取り」に負けて座れない度に、私はいつも思うのである。
「ああ、自分の居場所はないんだな」

***

昼食を取ろうとオフィスの外に出た。
信号を渡ってすぐにベンチがあり、社員たちの休憩スポットとなっているのだ。
セブンで買ったサンドイッチとコーヒー。デスクで食べるのは気が引けるし、外で一息つきたいな。そう思って外に出た。
でも、そこに私の「居場所」はなかった。
すでにベンチは満席。2人で話しながら弁当を食べる人、一人でスマホを眺めている人、何もしていない人。
人、人、人。
人の連続だった。
ベンチが置かれる一帯を歩き回り、なんとか見つけた一席。
座った頃には思ったよりも疲れていて、こんなことならデスクで食べればよかったとさえ思った。

新宿で服を買う。
どこもかしこも人だらけ。歩くマネキンの海。
だいぶ歩いたので足が疲れ、ふと一瞬でいいから腰を下ろしたいとベンチを探した。
トイレ前のベンチはすでに満席。周りはお店ばかりで座れる場所はない。
それではカフェにでも入って、とも思ったが、どこも混み合っていた。
やっと見つけたお店の中で、飲みたくもない甘いジュースを胃に入れる。ただ座りたいだけだったのに。

新橋の居酒屋。
2時間で分で3000円。悪くない値段。
もちろんお酒を飲むのは楽しいし、居酒屋の目的の1つだろう。
でもこの店に来るたび、こう思うのである。
2時間は座っていられる。2時間はここに居ていい。
もしかすると、自分は「座れる場所」を求めてここに来ているのかもしれない。
「————まもなくお時間が来てしまいますが、お会計をお願いします」
店を出る時間がくるたび、ここも自分の居場所ではないと突きつけられる。

座る。
それがこんなにも難しいことだったなんて。

***

「座れる場所がない」
その度ごとに、「居場所のなさ」を感じてしまう。
ただ座りたいだけなのに、座れない。
もっと座っていたいのに、座れない。
座れる人数が限られていたり、時間が限られていたり、お金がかかったり。
ただ「座る」ということが、こんなにも難しい。
満席で座れないと「自分はここに居られない」と感じるし、
時間が限られていると「時間が来たら追い出される」と感じるし、
お金がかかると「お金を払わないと居ちゃいけないのか」と悲しくなる。
座ることには、一定の対価が求められるんだと気付かされる。

最近、こうやって「座れない」悲しさに出会うたび、「居場所」について考える。
「居場所がない」って「座れる場所がない」ことなんじゃないか——と。

朝の通勤電車で息が詰まってしまうのは、
電車の中で「座れる」場所がなかったから。
平日の昼下がり、オフィス街の街路樹の下で疎外感を覚えてしまうのは、
サンドイッチを食べるために「座れる」場所がなかったから。
居酒屋から帰るときに寂しくなるのは、
時間が来ると「座れる」場所を失うから。



「居場所がない」というのは、抽象的な状態じゃなくて、
「座れる場所がない」という、ごく物理的な状態なんじゃないか


——最近そう考えている。



「居る」ことと「座る」こと。
「居る」場所と「座る」場所。
「座る」ということに注目することで、「居場所」についてのヒントが得られるのではないか——。
そんなアイディアから、「居場所」について考えようと思ったのである。



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