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エッセイ集「わたしとパレスチナ」

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#日常

「友がいるのに」から「友がいるから」へ

「友がいるのに」から「友がいるから」へ

 私は大学時代、アメリカの小さな大学に交換留学をしました。そこで、パレスチナ出身の友達が3人できました。帰国後も時々連絡を取ってきた姉妹はクリスチャンで、大学での学びを終えて今はパレスチナ(西岸地区)に住んでいます。メッセージのやり取りをすると、「早くまた会いたいね。神さまの恵みがありますように!」というような内容を、キラキラしたハートの絵文字とともに送ってくれて、私も同じように返します。とてもあ

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いつかの名産地

いつかの名産地

「ともだちができた」と思ったら

白リン弾で消えちゃった

「なかよしこよし」は高見のなぐさめ

「きれいなあの娘の晴れ姿」

よりも前に あの日の姿

すてきなところ だったのよ

………………………………………………..

「五月のある日」ママが死んだ

どの日をとっても家族が死んだ

「結婚式をあげよう」って言える日は

一体いつくるのかしら

「きれいなあの娘の晴れ姿

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ミダス病になった私

ミダス病になった私

私は毎朝想像する

私にハンドベルの音色を届けてくれた少年の

こめかみが銃でぶち抜かれるのを

 

私は毎朝想像する

あどけない両腕で私を包みこみ愛を伝えてくれた少女が

迷彩服にレイプされるのを

 

私の命など

塵にもならないほどに大切に想う人たちが

自身の命など

存在しないかのように私を護ってくれる人たちが

朝ごとにひとりずつ 殺されてゆく

思いつく限り グロテスクなやり方

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私は許可しない

私は許可しない

 昨年10月に「戦争」と呼ばれる事態が起こってから、私はしばらくそれまで通りの生活を続けていました。「ガザはしょっちゅう紛争がある」「またか」という扱いを心のどこかでしていました。「イスラエルのために祈ろう」などと言い出すクリスチャン・シオニズムの影響を受けた人々とよく喧嘩してはいましたが、しかし決定的にこれまでと違う何かが起こったとは思っていませんでした。
 いや、確かに、今回も実は、これまでと

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