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「LEON」〜愛という完全性の内なる欠落〜

今日も映画について書こうか。

王道だよね。

LEON。

あえて王道も良くない?

結局は、王道が好きだし、王道だと言われるその所以も理由も、探し当てて見つけて行こう。


そっと、みんなが大好きな作品の、引き寄せるその何かが知りたい。

なんて、別にそんなこと思ってなんか無いんだけども。

まぁ、普通に初めて映画を見た時に感じたこの感性を信じて。

何度も見たこの映画について少しだけみんなと共有したい。

私は、本当に衝撃を受けた。

こんな、美しいものが世の中に存在するのかと。

儚くて、優しくて、強くて、愛おしくて。

見えてて、見えなくて。
それでも選び続けて。

感じる官能的な何かに、いやらしさはない。


みんなが見た時は、どうだったかな?



LEON。





1994年に公開されたリュック・ベッソン監督のフランス・アメリカ映画の「LEON」はやはり外せない。とても王道のように思えるが、「タクシードライバー」と共通する社会を風刺するメッセージや表現がみてとれる。そして映画会の中でも文句無しの傑作の一本といっても過言ではないのではないだろうか。前作ともとれる1990年公開の「ニキータ」のワンシーンにもプロの殺し屋として登場するジャン・レノとナタリー・ポートマンのダブル主演であり、年齢を超えた浪漫、人間の併せ持つ精神的幼さと共に荒い愛情を描いた作品である。アメリカ映画にみてとれる荒い勢いや思い切りと同時に映像の中に漂う時間軸が違うのも魅力の一つである。題材とされる緊迫したストーリーの中に、少し間の抜けた隙のある気怠い空気感と、映像のカラーがコントラストとなりかなり印象的なものとなっている。アメリカ映画ではあるが主人公であるレオンは元々イタリア系であり、音楽はフランスを連想させ、3カ国を思わせる不思議な作品である。マチルダファッションやレオンの服装までもが話題となり、一世を風靡した。
 ストーリーについては麻薬取引に暗躍するマフィアに雇われる殺し屋のレオン(ジャン・レノ)が、麻薬取締官スタンフォード(ゲイリー・オールドマン)による同じアパートでおきた麻薬に関係する殺人で生き残った少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)と殺し屋という商売を通じ復讐を進める。中年男と幼い少女の恋愛感情をからめ物語は展開する。人物登場は、その背景説明なく特徴的な登場をさせる。最初は、たばこを吸うマチルダと仕事を終えたレオンがアパートの廊下で出会うシーンがある。マチルダの普段の家族関係から事件発生で家族を失う。これからレオンが見捨てることなくマチルダを救うことからこの二人の物語が展開されていく。一度助けたからには、責任があると迫るマチルダに殺人訓練など自分自身の過去を重ねていくことになる。
劇中でマチルダの上げたコンビは、ボニーとクライド、テルマとルイーズなど実際にアメリカ起きた殺人の人物を引合いにしている。これは、映画にもなっているが、レオンはこのようなコンビによる絆を大切にしていると考えられる。殺し屋という二人を主人公に、愛と死という両極の緊張の間にストリーは展開されていく。二人は根っ子がないという共通の背景を負う。これは、フランスの演劇などでいうデラシネという設定になっている。
ライフルの練習の後に、劇の進行に関係ない、マドンナ、マリリンモンロー、チャップリン、ジョンウェインのマネをしてあてあうなどの日常の家庭にあるようなシーンをはさみ緊張感を和らげ、二人の間の絆や、変化を見せ、これから始まる殺人に向けていく。その後10件ほどの殺人依頼を2人で行い失敗することで、手りゅう弾を使う場面でリングトリックを紹介する。小さな伏線を張りながら大きなクライマックスの向けてドラマを展開する。最後は、二人の根なしの象徴である鉢植えを植えることで、定着をしてく姿で物語を終えているが、これが、みるものに新たな展開より収束をしていくとう安堵感をあたえ心を整えて、過激な映画の割には、鎮静に向かわせ感動だけを心に残していると考える。
人物像の設定としては過去の経緯や行動、言葉で明確にしている。レオンは、イタリアで恋人を父親に殺され復讐をする。恋愛感情は、この事件以降封印されている。歳はとったが、大人になっていないと言いながら確かに、マチルダの大人の恋愛感情からくる言葉には、少年のような反応をとる。一方マチルダは、親を大人と同等の目線で考えるなど、少女より大人を演じる設定となっている。最初は、喫煙からシーンで登場する。学校からの電話では、親に成りすます、近所の子供たちに場所代をよこせとからまれると、高額紙幣で片付けてしまう、尾行をするために乗り込むタクシー運転手にも強い口調で指示を出すなど、強い大人の側面を見せる。ただし、一人で部屋でロボットアニメをみているが、レオンが帰ってくるとチャンネルを変えるというシーンがある。このシーンよる本質的は、子供が、親や環境の影響で、精一杯大人を演じているとうこともも想像できるような要素を挟んでいる。このようなことから、復讐など強い意志をみせながら、普通なら不登校、喫煙など悪い子供であるとだけ思わないように感情移入できる要素を加えていることもそのギャップを際立たせていると思われる。
 演出については戦闘シーンなどは、ドアや壁の弾丸の後から光が差し込む、警察官の持つライトの明かりなどスポット的な明かりを多用し、画面の奥行を与えるだけでなく、それぞれの呼吸が伝わるような演出をしている。
 レオンが最初にコートを脱いだ下には自分の殺し屋としての仕事道具を身に纏い、弱さを隠し、取り繕っているように見える。映画を見るレオンや、真っ白なタンクトップに真っ白な牛乳を手にする姿はまるで普段の真っ黒な仕事着やサングラス、仕事内容と対照的な姿を映し出し、まるで、子供のようであり、対比されている。地に足のついていない観葉植物を自分と照らし合わせ親友とし宝物のように大切にする姿もまるで理由はなく固執した愛情と哀愁であり一つの欠落した精神的弱点として捉えることができる。生活は孤独であり、純粋な子供のままだったレオンが、精神的成長をみせているのも映画の魅力の一つとして考えられる。
 まずは、マチルダを抱き上げるシーンでは、子供のマチルダの足は浮いているが、レオンの足はしっかりと地についていることから、観葉植物と同じだと思っていた彼は成長をしていることがわかる。愛の告白のシーンでは、レオンの過去の恋愛を涙ながらにマチルダに話し、未熟だった自分を見つめ直している。仕事しか頭になかった殺し屋がマチルダを愛することによって、無我夢中に愛するものだけを守ることだけに行動するその姿はなんといっても子供のままであり人間臭く、不器用にも鋭利である。
 なんといっても当時13歳だったナタリー・ポートマン演じるマチルダの放つ官能的な色気と魅力には圧倒されるものがある。その映像の中で流す目線や仕草、放つオーラのみで語られる何かは他に何も必要としない。今では、「ブラックスワン」など年齢を重ねた色気も美しいが13歳だからこその不完全な色気はナタリー・ポートマンにしか出せなかった一世一代の逸材であっただろう。マチルダの愛の告白や、初体験を誘う言葉は、わずか12歳の言葉とは思えない。煙草を吸う仕草や、会話は子供らしさを残しつつ、成熟した精神的支柱はまさにオトナを思わせる。
 現代の社会の人々は愛か死のどちらかを選んで生きたくても生きられない、もっと複雑な組織システムやコミュニティに属し、正義とは一体何か、誤魔化された真実やその環境の中での葛藤や曖昧さを残した甘さにもまれている。正義とは何か。マチルダが「私が欲しいのは愛か死よ。」(1時間26分)とこ言葉にもあるように、現代社会の人々はその狭間で生きているのに対して、この映画はこの2択しか存在しないのだ。マチルダがロシアンルーレットと称して拳銃を頭に押し当てレオンを確かめるシーンにも愛か死の2択である例である。マチルダ「もう大人よ、あとは歳を取るだけ。」レオン「俺は大人だが、中身は子供のままだ。」という二人の会話の中にも作品中の台詞として、肉体的に大人であり精神的に未熟で子供のままなレオンと肉体的に子供で精神的に成熟したマチルダはまさに内外逆転した存在であることが明らかである。
 そしてこの映画は孤独な殺し屋と純粋無垢な少女が心通わせる純愛映画といってもいいのだろうか。なぜなら映画の中の彼らにとっては何が愛で何が感情を掻き立てるのか、きっと明確な答えが返ってこないであろうから。映画の中で不完全で欠落した何かは社会的な意味や、人々の不毛な行き場の無い内側に存在する魔物を思わせ、魅了している。LEONに出てくる登場人物は皆、セクシュアルで魅惑的だ。男性の目や穴、銃口は性的なものを意味するが、レオンが何度も鍵穴から覗くその姿や、ゲイリー・オールドマン演じる麻薬組織犯の口元、大きく見開いた眼は、まだ大人になりきれていない純粋なマチルダや、社会の女性たちを試して、犯しているように見せている表現である。狂気の旋律は、モーツァルトやベートーヴェンのように美しく奏でられているのかもしれない。人間の狂気の美しさ、本質的な人間の生み出す感情の核心部から、具現化されたのだろう。
 人々はマチルダやレオンの完璧な素材の中にある欠落した人間性部分に何かしらの現代的問題共通点を見つけ魅力として見出され、老若男女からの支持を得られているのではないか。
何度見ても、何か感じるものがあり、説得力のある背中を押す影響力は、現代社会にはない真っ直ぐなむき出しの感情や混じり気のない不器用で暴力的な愛、自分たちには選びたくても選べない究極の愛、正義という選択肢を描いているからであるのではないか。

私たちは、正義を履き違え、もはや、その履き違えた正義こそも一体その事物は何か。どこから、生まれ、どこから定義づけられているのかなんて誰も気にしてない。

その時々で。

その場所で。

存在するままに。

愛してる。

愛してる。


愛に、色はない。

根を張る樹木のように。



君を拾い上げるように。



そっと、その場で微笑みかけるよ。


愛はどこに。

愛はそこに。


冷める感覚さえも愛おしく。


熱く。




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