みゆ

伊勢物語の研究をしています。 高校と大学で非常勤講師をしています。

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伊勢物語の研究をしています。 高校と大学で非常勤講師をしています。

マガジン

  • 教職志望の方へ

     教職志望の方のために、教育実習の頃から順に、予備知識として知っておくとよいだろうと思うことを書きました。またnoteでスキを付けた他の方の教育関連記事も追加しています。  教職歴30年以上(うち大阪府立高校教諭歴24年)です。大学の非常勤講師になったのをきっかけに大阪府を退職し、今は大学と私立高校の非常勤講師をしています。  

  • 高校生の皆さんへ

    「教職志望の方へ」を作った時に、高校生とその保護者向けのマガジンを作ろうと思って書き始めました。またnote巡りをして、これは納得❗️と思った他の方の記事も載せています。

  • 変人と呼ばれて

     変な人、とか変人と呼ばれてきました。私自身は普通と思っているのですが、確かにいろいろやらかしたり、それは言ってはいけないと指摘されたりします。また、運動が不得意で、不思議な過敏症やアレルギーで大変でした。歳がいくにつれ、普通になってきたつもり、の経験を述べています。

  • 研究と調査関連のお勧め

    note巡りをして、研究や調査をするときの関連で、あれをもう一度読みたい、と思ったものを集めました。自分にも他の方にも役立つ……かもしれません。

  • 学校「情報」関連のお薦め記事

     学校のICT教育や「情報」の授業や学校のパソコン環境について、述べておられる記事を集めました。  気になった記事をとりあえず集めて、自分が後で読みたいから、マガジン編集したとも言えるかも。

最近の記事

驚きの教員採用最前線

 何かびっくりすることばかりで、甘いものに走りました。  まず、今日(20240704)もまた、国語科非常勤の募集がかかっていました。即日10〜15時間(週)です。今、期末試験じゃないの〜❓  そして先日、大学教務で聞いた話ですが、大学三年生も教員採用試験を受けることができ(ただし筆記試験のみ、面接は四年次)、すでに合格者が出ているというのです。  大阪と東京のみ、って言っていたかしらん。詳しくは公式サイトをご覧ください。  「ペーパーが良くても、授業できない人ってい

    • 国語科教員の募集

       今月(6月なんだけれど)に入って、高校国語科教員求む、というメールを5通ほど受け取った。  9月からの勤務の募集は、産休かなあと思ったりするけれど、即日というのもあって、倒れたのかしら?とヨソながら心配したりする。  大体は10数時間の非常勤講師の募集だから、それぞれ一人欠けたのだろうと想像するが、いずれも担当科目が何とも言えない。言語文化、古典探究、論理国語を1〜2クラスずつ持つパターンばかりで、大変だなあと思う。  教科書が変わって3年目だが、「言語文化」は国語総

      • 景気不景気日々雑感

         大学は一見あまり様子が変わらないが、世間一般はそうでもないように思う。  最近、忙しくて、先日帰りにスマホメールに気を取られたのか、一駅乗り越してしまった。それで久しぶりに商店街の中を通ったら、駅の向こう側のアーケードがなくなっていたり、アーケードのある側も大半閉店して店ではなくなっていたりして、業務用スーパーと関西スーパーだけが営業していた。  その商店街は、幼い頃から大学生の頃まで、母に連れられたり荷物運び要員としてついて行ったりした場所で、たくさんの家々がしもた屋

        • 論理国語

          久しぶりに現代文というか論理国語を教えて、目を白黒。 論説文は嫌いではないが、国語で哲学を教えるというのはどうなの?と思う。専門家がいるはずなんだから、社会科でやってほしい。 ハンナ・アーレントの名前は知っていたけれど、なんとなくだったし、 アリストテレス?プラトンの方が好きだ。 哲学事典を買ったけれども、出典が書いてあるだけなので、 結局、新書か文庫をまた探しに行かなければならない。 論説文を教える時に困るのが、一般向けに書かれたもので、書き出しから断定的に書かれている。

        驚きの教員採用最前線

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        記事

          山と海の向こう

           先日の質問で「先生、いつ死ぬの?」の続きがあって、「死ぬの、怖くないの?」と言われた。    今は体調が悪いので、微妙なんだけれど、その時はまあまあだったので、こう言った。  「かなり前に手術をして、麻酔から醒めるときに、花畑を見てから、怖くなくなったわ。小学校・中学・高校・大学、オールスターキャストって感じで花畑の中で友だちと遊んでいて、いいところなのに、何度も呼ばれて、嫌々返事して、目を開けたら、すぐ上には手術台の上によくある大きな丸いライトがあって、手術が終わったと

          山と海の向こう

          落ちた後の思い出

           中学入試の後は、落ちてから中学入学までかなり時間があったような気がする。  それまでは勉強だけしていれば良かったが(店の手伝いは別枠)、父の方針で家事を手伝うようになった。  料理はメインではしなかった(私が本など見て作ると、費用がかかりすぎると叱られた覚えがある)が、食器や鍋の洗い物か、または食器や鍋を拭いて仕舞った。母と洗い物と拭きものを交互に毎日したし、お米を洗ってしかけるのは私の仕事だった。洗濯は、中学のとき自分の水着だけは帰ってすぐ洗うように言われていた。塩素

          落ちた後の思い出

          中学受験の思い出

           昨年度から昨年初秋にかけて、家庭教師をして、うち2人が中学受験だったのだけれど、やっぱり中学受験って過酷だ、でも必要悪かもしれない、と思った。  私自身、大阪教育大学附属平野を受けさせられ、散々な目に遭った。今、かなり年月が経って、受験する側と受けさせる側の気持ちがようやく分かったので、ちょっと書いてみたい。  附属平野を受けたのは大昔だが、きっかけは、私はずっと塾の先生が強力に勧めたせいだと思っていたが、今思い出すとそればかりではなさそうだ。  というのは、すでに書い

          中学受験の思い出

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          大阪城梅林

          大阪城梅林

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          良いモノを見つけた!

             散らかし屋さんの救世主なるか⁉️  学校で教えていたら、ただでさえ、紙と書類(必ずしも紙=書類とは限らない)が溢れかえるのに、研究もしているから、資料が溢れかえって、とんでもない状況になるのです。  しかも、最近オンライン授業なんぞやっているので、もう一台タブレットを買うのとプリントアウトするのとどっちが良いんだろう?と悩んでいて、とりあえず紙ばかり増えています。  紙の方がハンディで並行して何種類も見やすいからでもあります。しかも、別の人にもたまに同じ教材を使う

          良いモノを見つけた!

          春先にすること

           大体、冬は冬眠のクマのようになり、お菓子は食べまくる、居眠りしまくる、寝坊する、さらにはマンガやアニメに歴史資料に、四六時中、半分眠りながら浸っているのですが、春になって、そこから脱出する時、どうするか、ですね。  天気が良くなる日に、できれば朝から、北野天満宮にお詣りがてら梅を見に行くか、大阪城公園の梅林を見に行きます。    梅が咲き始めるころはまだ寒いのですが、日差しが明るく、目が覚める気がします。  ちょっと前まで、大阪城公園では、ごへい餅など買ってたべたのです

          春先にすること

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          よく最近 昔の教え子で好きだった子のことを 尋ねられるんだけれど 女子は上書きする、ってあれはホント イメージがどんどん上書きされていく感じ ただ、一生懸命で、一途で真っ直ぐだった それが好きだったんだと 思うばかり 尋ねられて どの子のことを聞かれたのか 分からないわたしは 薄情なのか 何なのか 何にせよ 一途で真っ直ぐで一生懸命なヤツは 結果を残すから あの頃 わたしは「あげまん」とよばれていた 今は知らない

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          田中登先生の思い出

           田中登先生は、長く関西大学で教鞭を取っていらっしゃった、和歌文学と古筆の専門家でした。  私なんかが語らなくても、お弟子さんもたくさんいらっしゃると思いますが、前の回でお名前を挙げたこともあるので、先生の思い出を書こうと思います。  中古文学会関西部会などで、ある時期から、片桐洋一先生や山本登朗先生、田中登先生や他の先生方がいらっしゃって、特に研究発表した後など、片桐先生のいつもの講評を拝聴し(ワタシのことだからご質問に弁明なんぞしたかもしれませんが)、その後、研究会の

          田中登先生の思い出

          大学の選択

           前回書いたように、大学を選んだのは、共通一次と二次試験からの消去法だった。  その結果、どうなったか、という話は後から来る人のために、しておいた方がいいかもしれない。  英語(好きな割にはできない)と体育以外の科目は、優で通した、というか、あまり科目を取らず、必要最小限しか取らなかった。何かゆっくり本を読みたかったのだ。後悔していることといえば、司書資格を取らなかったことぐらいだ。  現役生で入学してきたクラスメイトは、生野・天王寺・三国丘といった名だたるトップ校から、

          大学の選択

          共通一次の思い出

           共通一次がセンター試験になり、さらに共通テストになった。今となっては、国語の問題が平安時代ならば、問題作成者は、中古文学会や和歌文学会で知っているあの先生かも知れない、と感じるようになったが、それでもなお、自分が受けた時の気持ちや点数は忘れられない。  点数が忘れられないのは、同世代なら同じだろう。共通一次を受けたら、自己採点の点数だけで国公立二次試験を受けたし、当時はまだ前期後期などの複数受験機会がなく、一発勝負だったからだ。  共通一次の第二回(現役時)と第三回(一

          共通一次の思い出

          春と父の思い出

           √ 梅は咲いたか、桜はまだかいな♪チョイなチョイな  父は昔、春になると唄っていた。  端唄や長唄を習っていたと言っていた。いつのことかは分からない。母と結婚する前だろうというのは分かっていたが、経歴から、いつ、そんな余裕があったのか、とても不思議だ。  父の育ったのは堺東だった。車で大阪市天王寺区の南の方を走っていた時、父は言った。「この辺で生まれたんだけど、疎開で堺に移って、そこで(空襲で)焼け出されたんや。この辺は燃えへんかったんやけどな。人生って分からんもんや」

          春と父の思い出

          成人式と振袖の話が、いくら考えても年齢が合わない(相変わらず数字が合わない)ので、とりあえず削除しました。

          成人式と振袖の話が、いくら考えても年齢が合わない(相変わらず数字が合わない)ので、とりあえず削除しました。