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山と海の向こう

 先日の質問で「先生、いつ死ぬの?」の続きがあって、「死ぬの、怖くないの?」と言われた。
 
 今は体調が悪いので、微妙なんだけれど、その時はまあまあだったので、こう言った。

 「かなり前に手術をして、麻酔から醒めるときに、花畑を見てから、怖くなくなったわ。小学校・中学・高校・大学、オールスターキャストって感じで花畑の中で友だちと遊んでいて、いいところなのに、何度も呼ばれて、嫌々返事して、目を開けたら、すぐ上には手術台の上によくある大きな丸いライトがあって、手術が終わったところだったの」

 三途の川じゃなくて、花畑を見たとき、下の血圧が30ぐらいだったらしい。医者には、「横になると血圧が下がるみたいだけど、上(の血圧)がそこそこあれば大丈夫だから」とあらかじめ言われていた。
 花畑は、一種の臨死体験だったのだろう。

 父の死に目には会えなかった。胃がんの緩和措置で強力な痛み止めを打っていて、意識はなかったんだけれど。
 看護師に父に麻酔が効きにくいと言ったのは、私だ。そして、一週間保つはずが、一日で死んでしまった。少し後悔しているが、たとえ一週間生きていても、当時の教頭が、介護休暇に難色を示していたので、どのみち私も誰も付き添えなかった。
 前日、指定校推薦入試の作文が書けない、と言って生徒がやって来た。父が危篤なので、他の先生に依頼したのに、上手く行かなかったらしい。生徒に、帰れと言っても帰らない。定時制だったので、夜10時半まで粘られてしまった。自宅に帰ったら午前0時前で、疲れてそのまま眠ってしまった。
 まだ暑い頃だったので汗でドロドロで、滅多にしないことだったが、朝風呂に入った。電話がかかってきていた。出ると病院からだった。「お父様の脈がありません」……亡くなったとは言わないんだな、と思った。慌てて身支度して、タクシーで飛んで行った。
 妹夫婦と母が揃ったところで、医師が「◯時◯分、ご臨終です」と宣言した。

 父のことをあまり好きではなかった。しかし、親だし、知らないうちに影響を受けた。
というよりも、遺伝も大きい。数字に弱いし、運動神経もイマイチだし、目と眉はそっくりだ。考え方も似ている。できれば、ヒトの顔を見分けて一発で覚える能力も頂きたかったが、それは家族では父だけが持っている能力だった。

 父は晩酌をしては教育勅語や軍人勅諭を暗誦したが、他にも詩を暗誦した。

 向こうの山に登ったら
 山の向こうは村だった。
 田んぼの続く村だった。
 続く田んぼのその先は、
 広い広い海だった。
 青い青い海だった。

 父は疎開して、祖母の故郷、三重県の志摩磯部にいた時期がある。この詩は実感だったのだろう。
 戦前の教科書に載っていたと、新聞で紹介されていた(2016年3月19日朝日新聞「西田善太の生活の設計」)。記事には後略とあったが、父が暗誦していたのにはこの前があって、続きはなかったと思う。
 
 青い青い海だった
 広い広い海だった


 (しばらく休みます)

 

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