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「面白かった」を広げて、開いて、噛み砕いて

先日、X(Twitter)を見ていると、ある投稿が目に留まった。
それは僕なりに要約すると「書影のみのツイートのいいね数が、悩んだうえで書いた感想よりもいいね数多いことに関してモヤモヤしている」というようなものだった。
思わず反応する人差し指。画面上に映るハートマーク。押したい、押したい、とにかく押して押して押しまくりたい。そんな衝動がわいて人差し指をスマホの画面に近づけた瞬間、ふと平静さを取り戻し、一旦指が止まる。そこから、そっとさりげなく近づけて1回だけ押す。ハートマークが赤く染まる。人差し指を離し、平静になった心で自分自身の投稿について振り返っていた。


読んだ本をどう投稿するかは、各SNSの使用上のルールに違反しない限り自由で良いと思う。いいねの数も、フォロワーの数やその時のトレンドにもよるので、多いから良い、少ないから良くない、とは一概には言えない。
だから、以下に記すのはあくまで僕自身としての考えや想いだ。

僕はいつからか、読んだ本や観た映画、行ったイベントなどで感想を書く時に、「面白かった」だけで終わらせないようにすることを自分の中で決めている。言い方を変えると、なるべく「自分の言葉」で書くことを意識している。
読んでいる、観ている瞬間は「面白い」という感情がまず駆けめぐるのだが、書く時はそこで終わらせない。人間が一人一人違うように、作品も1つ1つ違うもの。作品の数だけ色んな種類の「面白かった」がある。「面白かった」を広げていくと、それぞれの作品ごとに自分の言葉として残せるのではないかと思った。

「面白かった」を広げて、開いて、噛み砕いて……。その作業にはある程度の時間を使う。どんな言葉が適切か悩むこともあるし、言葉の意味が正しいかどうか検索して調べることもある。もしかしたら、その時間を使って本が何冊か読めたかもしれない。ある人からしてみれば、「たかが感想で?」と思うかもしれない。

それでも、「面白かった」というたった5文字を広げて、開いて、噛み砕いていくと、何か新たな世界が開けてくるような感覚がある。それぞれの作品が特別なものとなり、無機質で実体のない文字をつい愛でたくなってしまう。

三宅香帆さんの『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術』の中に、以下の印象的な一節がある。

言葉は、自分の好きな感情、好きな景色、好きな存在がいつかなくなってしまうとしても、いつでも取りだして愛でることができるように、保存するためのものです。

『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術』 p.105

言語化して保存したものを後から見返す。すると、一瞬でワープしたかのように、読んでいる時の自分、観ている時の自分の記憶が蘇り、懐かしさや楽しさで溢れかえる。でも、それだけではない。
「ああ、あの時の自分は気持ちが沈んでいて、そんな時に読んだ本だったな。だから、こんなにも響いて、つい熱く感想を書いたんだったな。その作品があったから、元気になれたんだよな」
過去の自分の言葉を通じて、今の自分が未来への一歩を踏み出すことに繋がる。それは、写真やグッズ以上に特別な宝物になるのではないかと思っている。

「面白かった」を自分の言葉で広げて、開いて、噛み砕いて……。
自分自身がいいねを押せるような、思わず愛でたくなるような、そんな感想を残していきたい。



いいねの数は関係ないと常日頃言い聞かせている僕ですが、いいねをもらうのはやっぱり嬉しいものです。いつも心の中ではしゃいでいます。
この投稿にもスキをしていただけたらはしゃぎます。あくまで心の中で、ですけどね(笑)

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