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逆差別によるイジメ(幼少期編11)

高校受験は順風満帆に上手く運び、合格した高校から滑り止めの進学校共学に行くことにした。理由は二つ、レベルが高いところで落ちこぼれたくないこと、そして共学で女の子とイチャイチャしたかったからだ。本当に意識低い系の極みだと思う、医師になる家族の命題はかわらないままに。

高校1年は勉学は無双状態であった。中学の貯金があったのだろう。塾も予習も自習もしないでクラスでは主要教科は控えめに言ってもトップクラス。部活はテニス部に入ってみた。ここで大きなミステイクがあったのだ。

私立は公立と違って親の経済格差が非常に大きい。子供はそんな自覚は無いのだが大人がそれを許してくれない。それが部活の顧問(生物担当)だった。

どうやら私の存在が彼のプライドを全方向で傷付けてしまうらしい。
テニス部なので道具を入れるバッグなどは自由なのだが、私はわざわざ買うのが勿体無いと言う理由で家で使っていないVUITTONのボストンバッグ。ポロシャツなどもどっかのブランドのモノを着ていたと思う。そこで先生に目を付けられた。

「お前の小遣いで買ったのか?親が?仕事は何を?社長だと?社員は何人いるんだ?数えたことなどない??400人か?そんなのも分からないのか、車は何を乗ってる?家はどこにある?大きさは?」

事あるごとに芸能人のカバンをチェックするような日々を送るのだが、まだ体罰が許されていた時代、とうとう歯止めが効かなくなった顧問は私の蔑むような表情に因縁を付けて平手打ちをするようになった。

理由は「先生に対して相応しくない態度」

これには私も意地があり生まれと家業は高校生には変えられない。「先生の方が学校を辞めて商売でも始めたらどうですか?」

平手が拳に変わった、鼻血が止まらない。
1ヶ月に2回ペースで人格否定と出自について身の丈に合っていないどを理由にんなことが続いた、結局この部活は1年続けて退部した。
今思うと不思議なもので私は暴力に屈してしまったと当時は恥じていた。それは耐え忍ぶのが美徳とされていた風潮があったので尚更だ。

地獄は加速する。2年生になった時の担任が劣等感の塊のその先生だったのだ。

早速元部員ということもあり上から目線の牽制が入る。私は覚悟を決めた、闘うしかない。自分の居場所は自分で作るしかない。しかし屈服や服従は絶対にしたくない、生きたいのだ。そのためには勝つしかない。私には算段があった。今まで頼ったことのない父に相談した。

父は黙って聞いていた。私は男として悔しい。本当は相談もしたくなく自己解決させたかったが方法がない、知恵があれば貸して欲しい。それよりも一回キリで親父が決着を付けてくれると大学の進学も含め非常に有利な立場になることも出来る。

すでに父はすっかりビジネスマンで、相手の面子を重んじる心は薄れ銭勘定で思考が働く生き物として私も理解していての誘導なのだ。そして父は乗っかった。

2年生の学校3日目、父は学校に息子がお世話になっているというテイ?(寄附金をチラつかせたのか)で学校に潜入。詳しくは聞かされていないが、担任を会社に連れ出したらしい。そこでどのような話が行われたのかは分からない、懐柔したのか脅したのか。

翌日以降、私は担任から無視をされた。卒業までずっとだ。通信簿などは褒め称えてくれている。自由を得た意識低い系は大学受験を失敗し、浪人生活に突入する。

ちなみに医師になる命題も大きな軌道修正が入った。私の色覚異常が判明したからだ。赤緑系らしい。軽度なものだが、これは医師免許をパス出来ないらしく、弁護士になることを強制的に決められた。弁護士の仕事なんて高校生の私が社会にどのような影響を与える仕事なのかさえも知らずに、そして調べようとさえしなかった。

まだ私の心は「捨てられたまま」ということをだ。

メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。