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眠れない親愛に贈る。


私はあなたに私をかさね

あなたは私にあなたをかさね

かさねかさねて

かさねてく…



どうやら私というやつは、何かと何かの共通点を見つけるのが、よそさんよりも 出来る事なようでして。


 実人生でも、ソーシャルメディアでも、冗談でも おべっかでもなく響いたよというお声があると気付きました。



「これ、良いぞ。おもしれぇぞ。…というか、響いたぜ。

なぁ、ケビン。(※フォロワーさんを勝手にそうお呼びしております) なむか、ちょっと眠れない夜があるのなら。 同じスマホ中毒でも、ここで紹介した某の良作に夢中になれよ。」という投げ掛けを。いや、実際には しておりませんが (言っておりませんが。) 

 そんな心意気で、次から次へと紹介と、共通点(これとあれ 似てるぜ)と発信してきました。まぁ。ただ、言いたいだけなんですけどね。( ^▽^) 









そんな感じで。

今回は、三作 共通です。

さて。今回はなにがかさなり 共通点だと思ったのでしょうか。


まずはタイトルのみ。


・くちづけ

・くちびるに歌を

・阿呆の歌声

いま、気付きましたが、ここだけ見ると「口」と「歌」で繋がってますね。たまたまですけど。

さて。だれの何の作品かということで。あらすじの前に、だれの何かをご紹介(^-^)/




  • くちづけ…東京セレソンDX サタケミキオ作

  • くちびるに歌を…中田永一(なかた えいいち)作の小説。新垣結衣主演 映画作品。

  • 阿呆の歌声…松竹新喜劇、藤山寛美主演作品。



さぁ、ちょっとずつ色が見えて参りました(^-^) ここで分かる方は、相当な芸能文化好きですね♪

(*σ>∀<)σアンタ 天才ダヨ ♪指♡



では。あらすじと参りましょう(^-^)/



尚、三作すべて物語の核心部分には触れておりません。(たぶん。) 触れていたとしても、「そこ」だけを見ても、よく分からないようにしております。(たぶん。(^o^;) )

 落語のオチは 意味を聞くよりも、自分でたどり着いた方が楽しい気がするのです。おいしいラーメン屋の味は、奥が深いみたいなものです。( *´艸`)

要するに、かる~い きっかけ程度にぬるぅ~くご覧ください。ヽ(*´∀`)ノ


 

それではLet's Go ε=(ノ・∀・)ツ



くちづけ

 東京セレソンDXという劇団がありまして。今はタクフェスと変わっております。戯曲です。映画です。小説です。サタケミキオという人が作りました。宅間 孝行(たくま たかゆき)という名前も持つ人です。


あらすじ。


「ひまわり荘」という知的障害を持つ人達が共同生活をおくる“グループホーム”という場所があります。

そこにやって来た“マコちゃん”という女の子(言うても女性)と、そこで暮らしていた“うーやん” (という 言うても男性)が、ある日 突然、

「結婚するぅ!」と言い出します。

 周りはびっくり。 さて、どうなる?いちばん驚いているのは、マコちゃんのお父さんなのだが…。


というお話です。(実話を題材に作られております。)




くちびるに歌を

乙一(おついち)。 山白朝子(やましろ あさこ)。中田永一(なかた えいいち)。いくつかお名前があるようです。小説です。漫画にもなっております。映画化もされました。

 青春小説だそうです。


Nコンこと【NHK全国学校音楽コンクールの 課題曲となった「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」の作者であるアンジェラ・アキのテレビドキュメンタリーをもとに小説化された。】

 とウィキペディア大明神のお話によると、そうらしいです。


作中、「未来の自分に手紙を書く」という課題が出され、それぞれに書いていきます。


あらすじ。

 長崎県五島列島に、美人だけれど愛想のよろしくない臨時の音楽教師が赴任をします。やる気はありません。友達が産休に入ったので、代理です。

 友達の代理として、合唱部の顧問も任されます。引き継いだものの、そんなにやる気はありません。


 “前の先生の方が良かった”とか、“新しく入った先生が美人だから入部しようとする男子生徒”やら。それと“対立する女子生徒”やら。こばなしのある、青春小説です。それぞれがそれぞれに某かに もがいて。もがいて。生徒達に焦点が当たります。

 やがてコンクール当日を迎えるのだが…。





阿呆の歌声

昭和の頃。1970年代か 80年代かのお話です。一応、看板なので 主演藤山寛美となっておりますが、この作品に関しては本当の主人公は、月城小夜子つきしろ さよこさんだと思います。

一部、私的には(うん?)となる言葉を遣われておりますが、素晴らしい作品です。良作です。その言葉を遣った意味も 何となく分かったような気がします。(※後述)



 あらすじ。

 京都の昔ながらのお家が並ぶ、清水寺の近くの家と家。「おはよう」と言えば、「おはよう」と返ってくるような。屋根が繋がっている?(竿が繋がっている?…こういうお家が本真にあったのかは知りませんが、とりあえず なんや 繋がっている) お隣同士の“二つの家族のお話”です。 二つの家族の、子供同士が話を展開していきます。(子供いうても、成人前?…直後? “ことな” です。)


 片方の家の娘さんが、近頃では手の付けられない程にグレてしまいました。もう片方の家の息子は息子で、頭がちょっと…。うっかりしてんのか、しっかりしてんのか。

この息子(藤山寛美)と娘(月城小夜子)が、清水寺の茶店に向かい 何やら企てるのですが…。


というお話です。




この三作品。全てを観たことはなくても、二つくらいでピンと来る方もいらっしゃるかもしれません。





読む?





読んじゃう?








それでは、どうぞ。(^_^)









 この三つの作品に共通するものは、知的障害というものを題材にした作品ではなく、



【身内に“知的障害を持つ家族がいる人”】に焦点を当て、年齢・性別・続柄によって異なる 現状や抱える心配事 を題材に描かれております。


要するに、家族の立場に視点を置いています。



「くちづけ」の場合は、マコちゃんの父。知的障害の娘をもつ父の目線。


「くちびるに歌を」の場合は、兄が知的障害を持ち、中学生の弟 (15歳)の目線から。


そして、「阿呆の歌声」では、知的障害の息子を持つ、父の目線からです。



ここからは、私の主観全開で参ります。


 まず「阿呆の歌声」で、『知恵遅れ』という言葉を遣っている事にどきりとしました。放送禁止用語ではないのかなと。当時、昭和といえその言い回しはグレーな言葉なのではと思いました。何より、藤山寛美の代名詞「アホ役」を知恵遅れだなんて。失敬な。私ら(後世の観客は) そんなつもりで笑っていたのではない。なんて言い草だ、失礼なと、かるくショックを受けました。


しかし、最後まで観てみて。あぁ。これは問題提起やねんなと思いました。


三作とも、「自分が死んだら、この子どないなんねやろ」という不安が根底にあります。

(『くちびるに歌を』の場合、自分が生まれてきたのは兄の面倒を見るため…まさにアンジェラ・アキさんの手紙の歌詞、“苦しいままに今を生きる”15歳の少年の 誰にも言えないことが描かれております。)


 だけどそれを。「自分が死んだら、この子どないなんねやろ」という答えの見えない種を。
  松竹新喜劇の場合、それだけを投げ掛けるには、余りにもメッセージが強すぎる。お客さんの想像力をお借りして。本筋は本筋で別で用意をし、言いたいことは副筋や副々筋に添えておこうかな。

今は(昭和の時分は)このくらいしか、寄り添われへんけど。このバトンだけは次に渡そう。




その思いを受け継いだかのように、現れたのが「くちづけ」と「くちびるに歌を」のような気がします。主観、全開です。


これは、喜劇は喜劇だけでいいのかという問い掛けにもがいてもがいて。お客さんの為に苦しんだ男喜劇王と呼ばれてた男・藤山寛美の、琴線にふれた作品です。


 因みに、先程も述べましたが 本筋は月城小夜子さん(娘さん)の方のお話です。この三つの中ではいちばん古い作品ですが、いちばん良い。やわらかい終わり方だなと思います。本筋は、江戸時代から刷り込まれてきた朱子学の呪縛のような考え方が見え隠れして、首を傾げたくなりましたが、これはこれで当世でも こういう考え方の人はいるだろうな、特にリアルタイムで松竹新喜劇を観ていた 懐かしいと思っている世代の方は…と、思いますが。副筋のためにここまできっちり本筋に力を入れるのは、さすが松竹新喜劇だなと思います。(だれ目線やねんと自分でも思いますがf(^_^;  失敬。)




 一方この三作の中で、最も切なくて何度も見返したくなる作品が、セレソンの「くちづけ」です。

 この作品は、よくもわるくも“父親の(娘に向けての)目線”というのが、キーワードです。


 初めて観たのは十年以上前ですが、観賞後。折に触れて考えます。作中、マコちゃんの母はマコちゃんが生まれてすぐになくなっておりますが、(母親の立場から視たらどうなっていたんだろう)と思います。たとえ鬼になっても、一人で生きていける道を作ったのではないか、とか慮ります。


作品の最後に、マコちゃんのお父さんはマンガを描きます。そのマンガの内容を考えると、どんな思いで描いたのか。

 例えばマコちゃんが健常者だとしても、そのマンガの内容はふくざつですし、マコちゃんがマコちゃんとして生まれてきたとしても。折に触れて、思い出す作品です。

(阿呆の歌声は同性の親、くちづけは異性の親ですね。)


 宅間さんが男脳だから、書けた作品だと思います。そして、男脳だから作品として、世に送り出せた部分があるのかなと思います。



『くちびるに歌を』に関して言うと、それだけをみてもあまりおもしろくなかったように思えます。基本は合唱・青春小説なので、個々にそれぞれ取り上げるので、結局これは何が言いたいのという読後感でした。しかしその中で、一部の男子生徒の視点として上記のような記述がありました。


それぞれの点と、点と、点。それらが線で結ばれて。悩みは、解決するだけがすべてではない(むしろ解決できる事の方が少ない)ということを。ゆるやかに。しずかに。教えてくれる点々達だなと思いました。




ありがとうございます。ヽ(*´∀`)ノ♪ ●「nothihodoと申します。」 〜天下一の雑記ブログ〜 https://nothihodo.com ●Suzuriです。 https://suzuri.jp/nothihodo