Come out smelling like a rose = 上手く切り抜ける→悟りの世界へようこそ。[物語のある英語 Vol. 34]
人生の闇を抜けたら、そこに光が見えた、と言いたい時に使える表現を紹介する。直訳すれば「切り抜けてから、バラの香りがする」という意味だ。SLOVAR式に超哲学訳すれば、悟りは泥の中から生まれるという「西洋式の悟り」だ。バラには「誇り」や「愛」など多くの花言葉があるらしいが、この記事を書いていて「悟り」というのを加えたらどうか?と提案したくなった。
1.Come out smelling like a roseはゴミの山に落ちた人から生まれた
初めてこの表現が使われたのは20世紀で、ある作家が自分の物語で使ったのをキッカケに広まった。ゴミの山に落ちた人が、そこから無傷・なんと無臭で抜け出すことができた。無臭で抜け出せたというのも、有り得そうにない話だが、その無臭っぷりに感動したのか「バラのような匂い」が自分からする、と表現したのが come out (出てくる) + smelling like a rose (バラのように臭う)という表現なのだ。
正直、私にはこの話の感動ポイントが分からない。
が、別の状況に当てはめれば分かるような気がする。
例えば、最初糞の掃き溜めのような所で生きていかざるを得なかった人が、努力によって抜け出せた時、まさに come out smelling like a roseではなかろうか?
If I can just finish my research paper on time, I'll come out smelling like a rose by the end of the school year.
(もし執筆中の論文が期限に間に合えば、この(地獄のような)学校から晴れて抜け出すことができる)
2.欺瞞に満ちた世界で何が大切か?はバラから学べる
世の中にウソとマコトの区別がつかないことが多いのは、それだけウソが多いからであろう。ウソとまでは言わなくても、目くらましが多いからだろう。
これは言語の世界にだって言える。言葉には、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、日本語、と色々あるように見えたら、もう既に目くらましにかかっている。どんなに言語の種類が多くても実体はただ1つ:「人と人が繋がる歓び=コミュニケーション」だ。
英語ができないとマズイぞ、とか、英語くらいできないと生き抜けないぞ、とか、英語だけじゃなくて中国語も必要だぞ、と言われる世の中だけど、別に英語や中国語ができなくても、スポーツや音楽でも人と人は繋がれるのだ。
このことを見事に言い当てたシェイクスピアの名言がある。
A rose by any other name would smell as sweet.
(バラはどんな名前で呼ばれようが同じ甘い匂いがする)
「重要なのは本質であり呼び名ではない」というメッセージが、「バラにも色々な種類があり名称があるが、いちばん大事なことは、バラから甘い香りがすることだ」と形を変えて込められている。
3.西洋はバラ。東洋は蓮。共通点は汚れたところに咲く美
そんな目くらましだらけの世界から抜け出す(come out)ことができたら、バラ色(rose)の悟りの世界が見えるだろう。
西洋ではバラが特別扱いされて、仏教が盛んな東洋では蓮の花が最高の花とされている。なぜ仏教では蓮の花が最高の花なのか、なぜお釈迦様は蓮の花の上に乗っているのか、調べてみるとこんなフレーズに行き当たった。
譬如高原陸地不生蓮華。卑濕淤泥乃生此華。
(高原の陸地には蓮花は生えない。汚泥の中からこそ蓮花は咲く。)
なるほど、血反吐を吐くような、ドロドロで、苦しい修行を終えた後に得られる悟りを、泥水に咲く蓮の花になぞらえているようだ。
冒頭のcome out smelling like a roseの話を思い出してほしい。ドロドロのゴミ溜めに落ちた人が、バラの香りをまとったような(錯覚?)様子でそこから抜け出してきた。これって、悟りじゃないだろうか?
最高に汚い世界から、最高に清い心をこしらえて抜け出してきた。
この裏返しは、清き心を持たんと欲せば、まずは汚い/苦しい世界に身を置かないといけないということなのかもしれない。
まとめ:Come out smelling like a roseに学ぶ、「バラ」とは西洋式の「悟り」だろう。
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