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ポットラッチが我らの法【ハイダグワイ移住週報#9】

9/26(火)

ついに腹痛から完全復活。長かった。あまりお腹を壊したことが過去にはなかったので、好きなものを好きなように食べられないという苦しさがあることを知った。

昨日までの大きな嵐の影響がまだ残っているようで、午前中はなかなか不安定な天気。雨足を伺いながら外での作業を少しずつこなす。依頼されていた原稿も書き終え、写真を添付して編集の方に送る。

気が滅入る時は犬と遊ぶ

もう九月も終わらんとしているのに、まだ仕事が見つからないことに少し焦りを覚えつつある。残高を確認するたびにため息が出てしまう。何かいい巡り合わせがあることを祈りつつ、一日一日をきちんと生きる。

9/27(水)

コーホーのシーズンも真っ盛り。昨日までの数日は大嵐で外に出るのも憚られたが、今日は久しぶりの快晴。晴れの日にやるべきことはたくさんある。薪を割って家に詰め込み、トレイルランに出かけ、布団を干し、芝刈り機をかける。

気分良く河原で犬と寝転びながら本を読んでいると、引き潮で水位が10センチほどになった川で何かがうごめいている。サーモンだ。海に引き返し遅れたのだろうか。

このままではイーグルの格好の的なので、せっかくなので頂くことにする。網も釣竿も要らず、手づかみでいかせてもらった。その場で下処理をし、今晩のおかずにする。

サーモン、カニ、ベリー、きのこ、さくらんぼ——この場所の恵みをひたすら口にし続けて、早2ヶ月。自分の感覚が少しずつ土地とシンクロしてきたような感覚がある。人はその土地に住めば住むほど、その場所に生きる他者の生命を身体に取り込みたくなるのだろう。

9/28(木)

激しい炸裂音が一帯の森に響く。ライフルが煙を吐いている。初めて目の前で、銃の発砲を見た瞬間だった。

早めの夕食を済ませて、狩りに出かける。タロンが最近見つけたというフィールドはロギングロードの近くでありながら広く視界が開けた荒野で、鹿を撃ってそのままトラックに乗せていくことができる便利なフィールドだ。ハスキー犬のウォーリーも興奮気味で、丈の高い草を分けながら進んでいく。

あるポイントに入ったところから、しきりにウォーリーが顔を上げて何かを嗅ぎつけている。「鹿の匂いだ。きっと近くにいるはず」僕たちも息を潜め、姿勢を低くして辺りの様子を伺う。

最初に顔を出した鹿は遠すぎて、射程距離外だった。それでもウォーリーが嗅ぐっている方向に進んでいくと、無我夢中で草をはむ一匹の雌鹿を見つける。サイズも悪くない。距離にして30メートルほど。彼はトレッキングポールを支柱にライフルを構え、安全装置を外す。

落雷のような音が体全身を駆け巡るのと同時に、先に見えていた鹿が地面に倒れる。ウォーリーが一番乗りに仕留めた獲物にむかって走り出す。首を貫通した銃弾は、一発で鹿の命を絶やすには十分すぎるようだった。まだ暖かい鹿の腹を裂き、内臓を取り出し血を出し切る。車の場所まで鹿を担ぎ、家の作業小屋に吊るして熟成させる。

ぶら下がった鹿の体を見て、思わず手を合わせて合掌してしまった。「かわいそう」「ごめんなさい」なんて感情はなく、ただ突然命のサイクルを遮断され、自分たちの食糧となってくれる生物に畏怖の念を抱いた。

9/29(金)→9/30(土)

一泊二日のカヤックツーリング。詳細は航海日誌をご覧ください。

9/30(土)

レガリア——ハイダ族の民族衣装——に身を包んだ三人が手にしたドラムを叩くと、六百人を超える人々が所狭しと座っている会場は水を打ったように静まり返った。

「これからこの場所に故人を招き入れます。いつか再会するまでの、最後の面会です」村の役員の一人であるセシルはレイブンのヘッドバンド、ヒノキの皮で編まれた衣装に身を包み、会場にこう呼びかける。いつもはジョークばかり飛ばす陽気な男だが、今日は神妙な面持ちで神事に就いている。

彼がスピリット・ソング——死者を最後にもう一度呼び戻す歌——を厳かに歌い上げると、舞台裏から白装束、白のマスクをつけた若い女性が手を引かれて舞台に出てきた。彼女は各テーブルをゆっくりと回っていく。遺族だろうか、友人だろうか。多くは感極まり、マスクの女性を拝みながら涙を流している。

今日は故ターワハラレーガのメモリアル・ポットラッチ。死者が亡くなって二年が経ち、喪が明けたタイミングで執り行われる儀式だ。故人は4つのクランを束ねるへレディタリー・チーフ(族長)で、ハイダ評議会のメンバーでもあり、政治的・精神的な支柱だった。そのこともあり、年間でも特に大きなポットラッチだ。

死者を呼び戻す儀式が終わると、全員が立ち上がる。ハイダ・ネーションの族歌が高らかに詠われ、会場にはハイダグワイ各地の各クランのチーフが入場してくる。各々のクレスト(家紋)を纏い、自分たちのアイデンティティを示す仮面や衣装を身につけている。

ハイダ族は大きく二つのクラン——イーグル(ハクトウワシ)とレイブン(ワタリガラス)——に二分されている。その中にもサブ・クラン、またはハウスと呼ばれる家族集団がある。各ハウスにも固有の名前やモチーフがあり、「イーグルのクラン、カエルのハウス」「レイブンのクラン、シャチのハウス」のように自己紹介をする。

『ポットラッチが我らの法』ハイダグワイ博物館の展示にはそう記されていた。文字も記録媒体も持たなかったハイダにとって、ポットラッチは法律であり、意思決定の場であり、記録行為だった。チーフの襲名やクラン内での決め事、ハイダネームの進呈といった節目にはポットラッチという集会・祭りが開催される。お互いのクランは相手のクランのポットラッチに招かれ、目撃者・証人になることにより、「記述されない記録」になる。今回の故人はイーグルのクランに属する4つの大きなサブ・クランのリーダーだったため、それらの家族と親戚が総出で準備・調理・配膳を行い、レイブンのクランに属する人々は証人として見守る。

開会の儀が終わると、食事の時間だ。この日、六百人を腹一杯食べさせるため、家族たちは多大な時間と財産を注ぎ込む。今夜のメニューは故人が飼っていた牛肉のスープ、ハイダグワイ産のオヒョウ、タラ、サーモンの燻製、森でとったきのこが香るマッシュポテト、そして太平洋側で水揚げされたキハダマグロの煮込み。ターワハラレーガは生前、誰もをお腹いっぱい食べさせることが大好きだったらしく、人々はこの地の幸に舌鼓を打ちながら、故人に思いを馳せる。

パドルやドラムを手にした子供たちが会場に並んで入ってくると、スタンディングオベーションで迎え入れられた。小学生たちはみな各々のモチーフが形どられたレガリアを翻しながら、歌に踊りに必死になっている。彼らの通うチーフ・マシューズ・スクールはハイダ族が運営する小学校。二十世紀末まで続いたカナダ政府によるレジデンシャル・スクール——先住民の子供を強制連行し、「カナダ人」として再教育する施設——とは正反対のものであり、ハイダの精神と伝統を未来につなぐための教育が行われている。

「子供たちが証人としてこの場所にいること、我々の歌を歌ってくれていること。彼らは未来そのものだ」一人のチーフがマイクを片手にこう続ける。「自分たちのころには許されなかった文化の継承に、再び血が通いつつある。子供たちが学ぶことに専念できるように、我々はこれ以上カナダにも、州政府にも絶対に介入をさせない」

夜も更け、饗宴はさらに熱を帯びてゆく。テーブルにデザートが配膳されると、また別の演舞団体がステージに出てくる。歌い手のドラムに合わせ、さまざまなマスクをつけた踊り手が中央で軽やかに踊る。サーモン、イーグル、カエル、ワタリガラス、そしてその他の精霊たち。彼らの先文明的、呪術的な踊りは、自然と人間、動物と人間が同じ言葉を使っていた時代を想起させる。

「彼女は自然との交歓を重んじた女性だった」ハイダ族を代表するチーフの一人、グージャウが語る。交歓——英語では”communion”、コミュニオンとよばれる——という単語を僕が知ったのは、岡本太郎が東北に通い詰めた際の写真集だった。彼は岩手県の鹿踊りに魅了され、東北の郷土芸能に垣間見られる「人間と自然との交歓」に、原始の日本人らしさを見出す。理性なんて概念はなく、生き物の間に境界もなく、人間がひとつの生物として自然に存在していた時代。コミュニケーションが人間同士のやりとりを指すのならば、コミュニオンは人間の理解を超える存在とのやりとりを指すのだろう。

「彼女のように森にくり出し、ベリーやキノコを摘んだっていい。海岸ではさまざまな海の幸が待っている。山に分け入ればそこはクマ、イーグル、ムースたちの世界だ。世界の人が羨望するハイダグワイにおける自然の交歓を、一日に少しでも取り入れること。彼女はそのことを我々に教えてくれた」

宴が幕を閉じた時には、腕時計が午前2時を指していた。最後にはゲストは抱えきれないほどの食事、引き出物を贈られ、一日のポットラッチは終幕となる。圧倒的だった。こんな営みが、こんな熱量で、こんなたくさんの人々によって未だ執り行われている場所があったとは。ハイダグワイの文化と歴史と生活というものを煮詰めに煮詰めて頭からぶっかけられたような感覚だ。

10/1(日)

昨晩のポットラッチから家にたどり着いて眠りについた時には、すでに3時半を回っていた。カヤックの疲れもあり、今日は一日オフということにして泥のように寝ていた。特に記載事項はなし、夜にはスモークサーモンを茹でたものを白ごはんと一緒にかき込んだ。

10/2(月)

レコンシリエーション・デイという祝日で、町全体がお休み。ゆったり日記を書く。ここのところハンティングやカヤック、ポットラッチなど、書き残しておきたいことが多すぎてパンクしていた。

朝から小雨だったものの、昼には晴れ間が出てきた。カヤックを車から下ろし、ライフジャケットやパドルとともにシャワーで海水を落とす。テントと寝袋は天日干しにする。天気が許す間にギアのメンテナンスをしておかなければならない。

夜は木曜に撃った鹿肉のバーガー。絶品。

気がついたらハイダグワイに来て二ヶ月がたった。今のところ、とりあえずは物事がいい方向に進んでいる感覚がある。もちろん、仕事のことやお金のことなど、尽きない不安はいつでもそばにある。それでも、今週体験したこと、見聞きしたことはいくらお金をかけても手に入れられないもののはずだ。

今は焦らず、できるだけ自分のなかに無形の資産を貯めていきたい。決して簡単ではないだろうが。

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🏝️カナダ最果ての地、ハイダグワイに移住しました。

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