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【文章作成の基本】文章を書く「体力」の重要性

 プロフにある通り、私は、塾や予備校で、小論文や志望理由書の書き方などを長年にわたり指導してきました。今は年間3000近くの文章答案の添削や採点をしています。そんな私は今まで、学生には「文章を書くことはスポーツのようなものである」と説いてきました。最初それは一つの仮説でした。しかし最近noteでいろいろな人の記事を読んでいて、それは改めて確信に変わりました。やはり、文章を書くことは運動なのだと。

 多くのnoterの記事で語られる、「型の重要性」や「連続記事投稿へのチャレンジ」などは、それを象徴するものと言えます。

 PREP法などに代表される文章の型。時代に応じて形は変われども、昔から「起承転結」や「序破急」、「序論・本論・結論」などの、文章の基本の型がありました。それを学習した後、文章をひたすら書き続けることでその型を自分の身になじませる練習が、古くから教育の場でも推奨されてきました。その様子は、さながら武道の修練です。

 また、noteでは、毎日連続で記事を投稿することにチャレンジしている人を、よく目にします。そうして文章を書く習慣をつけ、「文章力」を養います。それは、まるで野球の千本ノックのようです。

 根性論で片づけるつもりはありません。またこれは比喩でもありません。文章を書くことは、実際自らの脳を使い、精神を集中して手を動かしてすることです。つまり文章を書くことは、一つの運動なのです。したがって、文章を書くには、それに応じた「体力」が必要なのだと言えます。

 これもよく学生に言うことなのですが、「書いた後は見直しをしてください」と言います。表記、表現の不具合やミスのほとんどは、ケアレスミスだと私は思っています。ほとんどの学生において、日本語は普段から話している「母語」のはずです。ですから日本語の文章を書く上で、圧倒的に知識や言語体験が不足していて文章が書けないということは、通常ありえません(たしかに個人差はあるでしょうが)。注意深く見直しをしさえすれば、そのミスは未然に防げるものが大半なのです。しかし、ほとんどの学生は十分にそれをしてくれません。

 これに対して私は、それが学生の怠惰によるもの、だとは思いません。たぶん普段書くことをしていない学生は、「体力」がないのです。前述のように、文章を書くのは一つの運動です。たとえば、普段走っていない人がいきなりジョギングを始めたら、息切れします。それと同じように、文章を書く「体力」がないため、原稿用紙をとりあえず埋めて書き切るので精一杯であり、その後見直しをする「余力」が、その学生にはないのです。

 この記事を読んでいるnoterのみなさんにはご賛同いただけると思いますが、文章を書くことは実際に疲れますよね。私も文章を書くことは、疲れます(そして腹も減ります)。しかし一方で、書く「体」ができてきて書くことに慣れてくれば、長い時間、より長い文章を書くことが可能になります。全く、書くことはスポーツと同じです。

 今まで数えきれないほど、「どうしたら書けますか」と多くの学生に聞かれました。そのとき、私は「『どうしたら』は教えますから、とりあえず書いてください」と答えてきました。小学生がプロ野球選手に「どうしたらホームランが打てますか」と聞いたら、プロ野球選手はこう答えるでしょう、「まずは体を作りましょう」と。それと同じで、まず書くというアクションを始める、そしてそれを続ける、そうして文章を書く「体力」をつけ、文章を書く「体」を作る、その日々の鍛錬が、文章が書けるようになる最短にして最善の道だと、私は考えます。

 文章を書く「体力」がなかったら、どんな方法論をなぞっても文章を書けるようにはなりません。それは体ができていなかったら、いくら大谷選手のバッティングフォームを真似てもホームランが打てないのと同じです。最初は間違えてもいいですし、多少でたらめでもいいです。それはそばにいる先生が都度直すので、どう書こうかと悩む前にまずは書いてください。そしてそれを続けましょう。そうすれば、文章を書くことができる「体力」が身に付くはずです。その上で、細かな文章テクニックを身に付けていくとよいでしょう。

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