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「砂上」 桜木紫乃


「人に評価されたいうちは、人を超えない」

  


「砂上」 桜木紫乃



これは本当なのだろうか?
嘘なのだろうか?


虚構の中に真実があり、真実であるかのように見えて、フィクションであるという。


さらさらとした砂丘の砂の上を歩いていると、不意に足をとられ、不安定で
あるにもかかわらず、しっかりと歩いてきた足跡があることを振り返り、見つめる。


刹那、風が砂をふわりと撫でて、その記憶の痕跡を風紋に・・・・・・


そんな乾いた砂の模様を一枚めくると、中から湧き出るように溢れ出す水分で喉を潤したような読後感。


本を読んでいる時、また、読後感を辿っている時、その感情は潜在意識にアクセスしているのではないかと考えることがよくあります。


自身に置き換え考えていたり、思い出が甦ってきたり、喜びや苦しみ、悲しみがリアルに湧き上がってきます。


小説を執筆するということは、もっと鋭利に、この感情と向い合せになる
のだろうと想像されました。


そのとおり、柊令央は「砂上」という小説を執筆する中で、自身を辿って
ゆきます。


令央は書きたかったのです。

書くことしかできなかったのです。

それ以外はとても鈍感で不器用です。


なので、いろんな出版社の新人賞に応募していました。毎回名前を変えて。


そのことを知っていた出版社の小川乙三が、令央の住んでいる北海道・江別市を訪れます。


令央は北海道江別のビストロでの仕事で8万円の給料と、元夫から振り込まれる慰謝料5万円で細々となんとか暮らしていました。いずれ執筆の仕事で生計をたてたいと考えていました。


そんな令央に、小川は鋭利な刃を突きつけます。

「主体性のなさって、文章に出ますよね」


40歳の令央は、35歳の女性編集者・小川乙三に心をエグられてゆきます。

「柊さん、あなた今後、なにがしたいんですか」

「柊さん、この先もこんな調子でやっていくおつもりですか」


「柊さん、あなた、なぜ小説を書くんですか」


しかし


小川は令央の作品が嫌いではありませんでした。心に引っ掛かっていました。


令央は毎回同じ設定で作品を応募していました。いつも母、自分、妹の三人しか出てこない物語を。


その物語の中で、小川が引っ掛かったのが「砂上」という話。

モノクロにしか見えない砂丘に、一箇所だけ金色の砂が採れる場所があるという設定が良かった、と彼女は言った。


小川はもう一度、「砂上」に挑戦してみないかと令央に言いました。

「二年前にオリオンに応募された『砂上』っていうお話、良かったんですよ。

(中略)

『砂上』は柊さんが投稿されたもののなかで、たぶんいちばん面白いものだったと思います。

自分が十六で産んだ娘を妹として育てる女と、その母との生活が柱でしたね。女の事情が二代にわたる感じとか、地方都市の金銭感覚とか、その土地が持つ独特の風景とか。

地味なだけに、もしかしたらこのひとは書かなきゃいけないものを持ってるのではないかと思ったんです」


書かなきゃいけない人と、
それを世に出さないといけない人。
柊令央と小川乙三。


令央には応募した小説のような事実がありました。実際、令央が15歳のとき産んだ娘を、令央の母が産んだことにしました。そのことを、助産婦さんと今は亡き母、令央の3人の秘密としてきました。


ずっとこの物語を応募し続けた令央は、亡き母のこと、父のこと、辿らなければならないルーツを再構築しなければならないと無意識に解っていたのでしょう。そうしないとこれから先、ここから一歩も進めないということを。


そのことを小川乙三は、令央に説くのです。辛辣な愛を込めて。


何度も改稿させられます。
全面改稿もありました。


小川乙三の言葉は辛辣ではありますが、愛があるように思えました。僕自身が読んでいて、叱咤激励されているようでした。

「わたしは小説が読みたいんです。不思議な人じゃなく、人の不思議を書いてくださいませんか」

「詳しく書いてあるところと端折りすぎている部分が逆なんですよ。知っていることをアピールして、知られたくないことを端折るから創作的日記になってしまうんです。虚構は、端折りたいところに踏み込んで、嘘をついていますと嘘をつき、同時に現実を霞ませるものだと思っています」

「文章で景色を動かしてみてください。景色と一緒に人の心も動きます。」

「現実としては誰も、柊さんの私生活には興味がありません。あなたは芸能人でも政治家でも、有名人でもない。だからこそ求められるのが、上質な嘘なんです。」

「人に評価されたいうちは、人を超えない」


小川乙三の言葉はとても痛いが、縋りたい気持ちになります。


これでもか、これでもか、と心を鋭く突き刺された上に実るものとは、いったい何なのか?


突き刺され、出血が止まらなかった気持ち。それを、桜木柴乃さんのこの言葉が慰めてくれました。その傷口を優しく塞いでくれました。

「砂上」は、書けても恥、書けなくても恥でした




【出典】

「砂上」 桜木紫乃 角川文庫


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