見出し画像

「おもかげ復元師の震災絵日記」 笹原留似子


「身元不明・・・。3才・・・。法律を変えて・・・!!そう願った。私、抱きしめてあげたかった。

迎えに来てくれる、お父さんと お母さんのために、復元したかった・・・。ごめんね。」



「おもかげ復元師の震災絵日記」 笹原留似子



それは、小さな小さな、なきがらでした。


笹原留似子さんは納棺師。
復元納棺師と名乗ることもあるそうです。



笹原さんの復元ボランティアは、津波で犠牲になった身元不明の3歳くらいの女の子に対して法律の壁が立ちはだかり、損傷をおびた顔、身体を復元できなかったくやしさ・後悔からはじまりました。


「身元不明・・・。3才・・・。法律を変えて・・・!!そう願った。私、抱きしめてあげたかった。

迎えに来てくれる、お父さんと お母さんのために、復元したかった・・・。ごめんね。」


それから、復元ボランティアで300人以上の亡くなられた方の顔・身体の復元をされました。


この「おもかげ復元師の震災絵日記」は、復元した方たちへの思いをスケッチブックに込めました。その絵と言葉が本になったものです。


亡くなった人たちの絵は、みなさん安らかで微笑んでいます。生前のおもかげを戻しているのです。


そこに笹原さんがその瞬間感じた、心からの「言葉」が添えられています。


今日は、3.11 震災から12年目の日。
少しだけご紹介できたらと思います。


笹原さんが故人の家族のために行った仕事について書いています。


息子さんが
「お父さん・・・」と
棺をのぞき込んだ。

お父さんは
頑張って、
最後の力をふりしぼって、
息子さんに笑顔を見せた。

私はちょっとだけのお手伝い。
それでいい・・・。


ちょっとだけのお手伝いではないでしょう。


復元するだけではなく、微笑みを戻すだけではなく、残された方の、傷ついた心に寄り添っている笹原さん。


次に、津波が襲ってくる瞬間を故人の子どもさんやお孫さんが、笹原さんにお話ししました。


「逃げろ!!」
恐い顔で言ったお母さん。


「あの時は恐かったけど、
今は優しい顔してる・・・。」

家族が流した涙・・・。

お母さんは、
家族を守りたくて、
恐顔をしたんだよね・・・。


私も同じ状況なら、
きっと同じ事をしていたと
思う・・・。

一瞬で
お父さんが
波にのまれた・・・。

「お父さん!」って
言ったら
「来るな!」って
お父さん叫びながら
波の中に
消えて行ったの・・・。

娘さんの涙は止まらない。

「おばあちゃん・・・
 おばあちゃーん!」

小さな お孫さんの手が、
何度も
おばあちゃんの頬をたたく・・・。

おばあちゃん、
お孫さんを助けに走ったんだって。

命がけで助けたお孫さんが、
何度も 触れてくれました。



未曾有の大震災、津波の爪痕はすさまじいです。


笹原さんも体力・精神力、もうギリギリの状況だったと感じられます。


震災から4週間、5週間も経ってくると遺体も厳しい状態になってくるようです。


膨張、損傷、出血、腐敗臭、変色、変形、脱毛


ウジ虫を退治することも多くなってきたそうです。ガスが発生して、それを抜くことから異臭が甚だしいことも。


それでも笹原さんは必死でした。


津波で亡くなったお嬢さんを復元したあと、その子のおばあちゃんに手招きされました。


おばあちゃんは、笹原さんの手をぎゅうっと握り


「あなたのこの手は、これからたくさんの悲しみに出会うんだね。

おばあちゃんが魔法をかけてあげる。頑張れなくなったら、これを思い出して。

わたしは、ずっとあなたを応援しているから。」


おばあちゃんは、小さな身体で笹原さんを抱きしめました。


笹原さんは、心地よいぬくもりの中で泣きました。


必死に頑張って、頑張って、もう限界だった笹原さんに魔法をかけたおばあちゃん。


笹原さんは、絵日記にこう書いています。


お孫さんを亡くした
おばあちゃんに、

魔法をかけてもらった、
私の手・・・   ガンバレ!!





【出典】

「おもかげ復元師の震災絵日記」 笹原留似子 ポプラ社

「おもかげ復元師」 笹原留似子 ポプラ社


この記事が参加している募集

推薦図書

いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。