「おもかげ復元師の震災絵日記」 笹原留似子
「身元不明・・・。3才・・・。法律を変えて・・・!!そう願った。私、抱きしめてあげたかった。
迎えに来てくれる、お父さんと お母さんのために、復元したかった・・・。ごめんね。」
「おもかげ復元師の震災絵日記」 笹原留似子
笹原留似子さんは納棺師。
復元納棺師と名乗ることもあるそうです。
笹原さんの復元ボランティアは、津波で犠牲になった身元不明の3歳くらいの女の子に対して法律の壁が立ちはだかり、損傷をおびた顔、身体を復元できなかったくやしさ・後悔からはじまりました。
それから、復元ボランティアで300人以上の亡くなられた方の顔・身体の復元をされました。
この「おもかげ復元師の震災絵日記」は、復元した方たちへの思いをスケッチブックに込めました。その絵と言葉が本になったものです。
亡くなった人たちの絵は、みなさん安らかで微笑んでいます。生前のおもかげを戻しているのです。
そこに笹原さんがその瞬間感じた、心からの「言葉」が添えられています。
今日は、3.11 震災から12年目の日。
少しだけご紹介できたらと思います。
笹原さんが故人の家族のために行った仕事について書いています。
ちょっとだけのお手伝いではないでしょう。
復元するだけではなく、微笑みを戻すだけではなく、残された方の、傷ついた心に寄り添っている笹原さん。
次に、津波が襲ってくる瞬間を故人の子どもさんやお孫さんが、笹原さんにお話ししました。
未曾有の大震災、津波の爪痕はすさまじいです。
笹原さんも体力・精神力、もうギリギリの状況だったと感じられます。
震災から4週間、5週間も経ってくると遺体も厳しい状態になってくるようです。
膨張、損傷、出血、腐敗臭、変色、変形、脱毛
ウジ虫を退治することも多くなってきたそうです。ガスが発生して、それを抜くことから異臭が甚だしいことも。
それでも笹原さんは必死でした。
津波で亡くなったお嬢さんを復元したあと、その子のおばあちゃんに手招きされました。
おばあちゃんは、笹原さんの手をぎゅうっと握り
おばあちゃんは、小さな身体で笹原さんを抱きしめました。
笹原さんは、心地よいぬくもりの中で泣きました。
必死に頑張って、頑張って、もう限界だった笹原さんに魔法をかけたおばあちゃん。
笹原さんは、絵日記にこう書いています。
【出典】
「おもかげ復元師の震災絵日記」 笹原留似子 ポプラ社
「おもかげ復元師」 笹原留似子 ポプラ社
この記事が参加している募集
いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。