親という、子どもという生き物
ここ半年ほど、ありがたいことに年の離れた友人が何人かできて、自分の親について話す機会が増えてきている。
『わたし』を通してうっすら見える、親という存在に興味をもって下さる方(特にお子さんがいる方)はいるみたい。(わたしという【大学生】が形成されているのには他者から見るとやっぱり親ありきなんだなあ、面白い。その存在は年を取るごとにますます薄くなっていくのだろうけど。)
そんな中で、ふと口にして、これは現在築かれている親との関係性の核の部分をついているんじゃないかなあと思った