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waterなわたし

2021年は、目をよく使った1年だった。

それまでは素通りしていたものに
「ん?」と反応することが多くなったり、
誰かが言った言葉の後ろ側、
その言葉がここに出されるまでの道のりに
思いを馳せてみたり。

でも、目に入ってくるもの全てがビューティフル、
そんなわけない。

例えるならば、

道の真ん中でお亡くなりになっているたぬき、
ぺちゃんこになった虫、
部屋の隅に溜まるほこり。

目をギュッとつむって顔をソイっとそむけて、
なかったことにしたくなることも。

そんなものたちと出会いながら見つけていった
自分の愛で方、誰かとの繋がり方、
お守りになった言葉や人。
2021を書き連ねてみました。



あなたはそう思うのね


誰かの断定は、わたしのもやもやの素になりやすい。
それはどうかな〜主語でかくないか〜とざわめいてしまう。

ざわめく自分のセンサーは大事にしたいけど、
そんな状態では目の前のごはんに集中できない。
これはいかんと思い、そっと唱えてみることにした。

あなたは、そう思うのね!

それは、あくまで相手がそう思っていること。
相手には相手の理由がある。
わたしには、わたしの「こう思う」がある。

まずは他者と自分を切り離すために唱えていたけれど、
それが今年は、他者と自分の間で起こるやり取りに出会う言葉に。

「え、そんなことないんだけどな」
「いや決めつけないでよ」

間髪入れずに否定をする前に
なんでそう思った?と聞いてみると、

わたしの行動、言葉、表情、
それを相手はどう受け取ったのか、
その結果、どんな気持ちになって、
わたしをどんな人間だと判断したのか。

その、日々やっている、目には見えないやり取りが
ちょっとだけ見えてくる。

自分と相手のことを、
2人の間で起こっていることを、
知るのがとっても面白い。

わたしにはわたしの、相手には相手の
「こう思う」があるのはそうなんだけど、
お互い影響しあっていたりするもんだ。

驚いたり、誤解が解けたり。
発見は止まらない。



3Dでみていたい


わたしって、人や物を、3Dでみていたいんだ。
だから、対話型アート鑑賞に惹かれたんだな。

対話型アート鑑賞ファシリテーション講座の最終回、
振り返りタイムで口にしてとてもしっくり来た。

最初はほんの一つの解釈から始まって、
どうしてそう思ったのか、どんな過程を辿ったのか、
その人の中にぷかぷか浮いているものに出会っていく。

点が線になって、
線が面になって、
面が集まって立体に。
その人を構成しているものたちに
出会う時間がとても好き。

まあ、実際はそんなにうまくいかないけれど。
アート鑑賞のファシリをしていると、
線になりそうだった点を見逃してしまってはへこむ。

でもそこで、
やりたい < やらねば
になってしまったら楽しくない。

先日の友人との鑑賞会が、なんだかとてもよかった。
解釈が、3Dになっていく感覚。
きっと、相手を知りたいと思っているから。
相手の頭の中が、とっても気になるから。

あの回は、これからもずっと覚えていたいなあ。



できなかった、しなかった


「あなたのやりたいこと、心理学じゃないかな?」

2021年、11月最後の日。
社会学部の編入試験面接。
の、名前が呼ばれる5分前。

待機室で、気づいてしまった。
やっぱりわたしのやりたいことって
あらゆる分野の間なのかも。
だって、重なってるんだもの。

でもどうしよう。
どうしても社会学なんですって言わないと。
1つに決めないと。
どうしようどうしよう。

そんな気持ちで入室したら、
突然手の震えが止まらなくなった。

そして飛び出た冒頭の教授のセリフ。
社会学じゃなくてはいけないそれなりの理由は、
事前の準備でそれなりに考えてきたつもりだった。
でも、全然言葉が出てこなかった。

こりゃ完全に、準備不足だ、、、。
ってね、絶望したんです。トラウマです。

そんなことを先日とある人にお話しした。
そうしたら、こんな言葉をポロっとくれた。

「繕うこともできたのに、言わなかったんだね」

目からうろこ。
できなかったんじゃなくて、しなかったのか。
そんな風に考えても、いいのか。

2年前のわたしだったら、
きっと求められていることを言ってる。
口先だけでなんとなーく
肩書を手に入れようとしていたはず。

現在の心からの言葉を紡ぐ自分のお口、
いいと思うし、信頼できる。
伝わらなかったときのショックはものすごいけど、
伝わったときの喜びもひとしお。

年々話すスピードが遅くなっている理由、
口先だけとさよならしたからかな。
だとしたら嬉しいな。

そして先日、とある出会いがあって
あれよあれよという間に
所属する研究室が決まった。

自分と、他者と、出会い出会い直す場所を
色んな方法で作っているところ。
楽しみだ。



ロールモデルは町田さん


町田啓太さん。俳優。母の推し。
彼は、自分の考えをしなやかに伝える天才だと思う。

母から噂はかねがね聞いていたけど、ほんまや、、、となったのは、
毎年恒例viviの国宝級イケメンランキング大人部門、
そこで一位になったときのインタビュー記事。

そこで言っていた、
”イケメンという定義は人それぞれだけど”とか、
”年齢性別関係なく優しさとリスペクトを持つ人はかっこいい”とか。

流すわけでもなく、押し付けるわけでもなく、
誰も嫌な気持ちにならないさりげない言葉で、
方法で、自分を貫いてる。
かっこいい、かっこいいよ、町田さん。
柔らかさの中に
大事にしていることが見え隠れするというのかな。

わたしも、優しさとリスペクト、持っていたい。
自分にも、誰かにも。

わたしたちは、見たいものしか見れないけれど、
例えば頼みごとをするときに
「忙しい中ありがとう」「いつもありがとう」
とかちょっとした一言が添えてあるだけで、
リスペクトが加わるよね。
誰かとしたそんな会話を思い出した。


waterなわたし


液体でいたい。
アボカドの記事を書いて、そう思った。

液体というのは、

曖昧で透明なものに名前をつけて、
見やすく伝えやすくする。
それは、液体を固体にする行為に
似ているかもしれない。

そう思ったことからきている。

水を一滴もこぼさずに手から手へ渡すことは難しいけれど、
寒天なんかで固めたらあら簡単。
どこが始まりでどこが終わりかわからない水が、
すっぽり手に収まるようになる。

そんな風に、
わたしの一部を固体に「する」ことが、悪いことだとは思ってない。
自分自身のことを誰かに伝えたいとき、言葉は必要だから。

でも、固体に「なり」たくはない。
こうするべき、こうあるべき。
そんな風に自分で自分を、誰かを呪ってしまうなんて。

差し出すもの、目に見えているものが
その人の全てではない。
その寒天、無限に広がる水の
ほんの一部かもしれないよ。

Everything is in-between.
間から、何かが生まれていく。

2022、waterなわたしはつづく。




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