正ちゃん堂

何であの時この一言が言えなかったんだろうと後悔することが多い私です。それを文章にして自…

正ちゃん堂

何であの時この一言が言えなかったんだろうと後悔することが多い私です。それを文章にして自分の思っていることを伝えたいと書き続けています。自分に残された時間も計算できる年齢になって、やりたかった陶芸にもチャレンジしています。

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最近の記事

下田の父を想う

 義父が先月末に亡くなった。突然の死だった。亡くなった日の朝、いつもの週末どおり電話があったのに、その晩に旅立ってしまった。義弟からの連絡で急いで下田に駆けつけると、義父はまるで眠っているように穏やかな顔で横たわっていた。泣きながら義父の足をさする妻の横で、僕の頭の中は義父との思い出が駆けめぐっていた。  妻と結婚して三十四年、妻の実家である下田には盆と正月、GWほぼ欠かさず訪れた。そしてその際は必ず義父の畑仕事を手伝わされた。とはいっても僕もそれを楽しみにしていたので、義父

    • 親の心子知らず(其の二)

       手に一枚の古い写真がある。白黒で今のサイズよりも随分と小さい。母親の腕の中におさまっている小さな赤ん坊は、まぎれもなく生まれて間もない頃の僕だ。母は自分の生んだ息子がかわいくてかわいくて仕方がない、というように満面の笑みを浮かべている。母は二十二歳。まだ若く、息子の目から見ても美しいと思う。  しかし、その母を心無い言葉で傷つけてしまったことがある。僕が高校生の頃だ。当時の僕は自分の人生が思い通りにならないもどかしさを、家族にぶつけていたようだ。母との口喧嘩も絶えなかった。

      • 親の心子知らず

         先日、押入れを整理していたら奥のほうに「アルバム」と太いマジックで書かれた段ボール箱を見つけた。すっかりその存在を忘れていたので、まるで宝箱を見つけたような気分でふたを開けてみると、卒業アルバムや幼い頃の写真が入っていた。最初に手にしたのが幼稚園の卒園アルバム。自分はすぐにわかった。「腕まくりするとかっこいいんだぞー」と友達と一緒に撮った写真は記憶にも残っている。名簿を見ると名字が違う。二人目の父のころだと思い出し古傷を刺されたような痛みを覚える。別のアルバムには産着を着た

        • もしもサックスが吹けたなら

           今年の春は少々わがままだった。ぐずぐずしていたかと思えば、急に駆け出し去っていってしまった。おかげでゆっくり花見をする機会を逃してしまったのだが、そんな折、うれしい知らせがあった。僕がバイクに復帰したことを知った昔のバイク仲間が、ツーリングに誘ってくれたのだ。満開の桜を求めて、富山と長野をバイクで周遊しようというのである。あの仲間ともう一度走ることができると思うと、前の晩は子供のようにワクワクして眠れなかった。  さて快晴のツーリング当日、早朝六時の赤津パーキングに四名が集

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        • 仕事
          2本

        記事

          16の冒険

           薫風が気持ちのいい季節だ。ベランダでさわやかな風に吹かれていると、にわかに旅心がわいてくる。たしか松尾芭蕉が奥の細道に旅だったのも、この季節ではなかっただろうか。今も昔も、五月の風は人を旅へといざなう何かをもっているのかもしれない。  そんなことを考えながら記憶をたどってみると、僕の旅も5月がダントツに多いことに気づく。ふと思い立って、青森まで日帰りでオートバイを飛ばしたのも24歳の5月だった。旅好きの妻と結婚し、毎年、海外に足を運んだのもこの季節だった。しかし年齢を重ねる

           尊敬するリーダー

           陶芸教室に就職して四度目の春が巡ってくる。今こうして、うらうらとした春の日差しのように穏やかな心持ちで過ごせるのは、生活の基軸となっている仕事が順調なおかげだ。それもそのはず、好きなことを仕事にでき、職場の人間関係にもストレスがないのだから当然である。これも採用してくれたK社長のおかげだと感謝している。得手不得手の差が激しくバランスが悪い。機動力はある一方、思い込みが激しく勇み足も多い。まだまだ至らぬところの多い僕を、社長はうまく使ってくれている。  その社長に出会ったのは

           尊敬するリーダー

          運のいい男

           人生は空中ブランコに似ていると思う。サラリーマンであれば今の仕事に迷いを感じた経験が誰しもあるだろう。だが別の道に踏み出そうと思っても、相手とタイミングが合わなかったり、好機が訪れても今のブランコを手放す勇気が出ないこともある。人生は思うようにいかない。その点では私は運に恵まれた男だったといえる。  四年前のこと、私は勤めていた会社の人間関係で悩んでいた。直属の上司が恫喝と懐柔で相手をコントロールしようとするような人で相性が悪かったのだ。ときには核の傘下のように守られること

          運のいい男

          仲間に支えられて

           宮本輝の『高原の椅子』という小説を読んだ。「じゃあ、そうしよう。俺お前でいこうよ」と、親友の契りを結んだ中年男の、遠間憲太郎と富樫重蔵の友情がさわやかに描かれている。『高原の椅子』は一九九七年に始まった毎日新聞の連載小説のようだが、もっと早く出会いたかったと残念に思うほど良い小説だった。この小説は映画化もされているが、こちらは少々期待外れ。主役の佐藤浩市がかっこよく演出され過ぎていて、脇役とのバランスが悪いのだ。憧れの君、貴志子役の吉瀬美智子も、世の中の中年男性の願望をその

          仲間に支えられて

          一陽来復

          「ずいぶんと日が長くなってきたわねー」 「ですね。まだまだ水は冷たいですけどね」  そんな雑談を交わしながら、工房の会員さんたちと後片付けをする時間が好きだ。一日の仕事を終えた安堵感もあり、穏やかな時間が過ぎる。特に日が長くなり窓から差し込む西日を浴びる頃になると、身も心も温められるような気分になり会話も弾む。そんな時にふと幼いころの記憶がよみがえる。祖母がよく口にしていた一陽来復という言葉を思い出すのだ。  僕は小学校低学年の一時期、祖母と二人で暮らしていたことがある。祖母

          初茜に誓う

           年の初め、妻の実家(静岡県下田市)の近くの佛谷山に登った。岩を削っただけの山道は狭く急で、所々崩れている場所もあり、まだ薄暗い中を慎重に歩みを進める。さびれた山道で出会う人はなく、迎えてくれたのは岩を削って作られた石仏だけだった。以前登った時は突然、目の前に現れた石仏群にたじろいでしまったが、今年は石仏のお顔が優しく微笑んでいるように見え、一つ一つに手を合わせて先を進む。そして登り始めて十分ほどで山頂に到着した。山頂からは、白々と明けて行くふもとの吉(き)佐(さ)美(み)集

          書き続ける理由

           昨年の十一月、所属しているかすがいエッセイクラブのバス旅行に参加した。行きの車内で、参加者の簡単な自己紹介があったのだが、これが旅行の行先よりも印象に残っている。さすが長年、書き続けてきた先輩方々である。自分が文章を書き続ける理由をさりげなく盛り込んでくる。例えば、子供の頃から書くことが好きだったとか、頭の中を整理することができる等々。あるいは日記のように記録を残すためとか、さらに志高く自分の生きた証を残したいという人もいた。  さて、会員の自己紹介をうなずきながら聞いてい

          書き続ける理由

          カンダタ

           かすかに波の音が聞こえる。寄せては返すそのリズムに身を任せていると、しだいに眠りから覚めてくる。サラサラと細かい砂を引くような波音には聞き覚えがあった。どこの浜辺だったかしら? 記憶をたぐっているとベッドがゆっくりと動き出し、しだいに上体が起こされる。ミチヨはまぶたを開ける。目の前の壁一面に弓なりの白い砂浜が映し出されている。その映像は自分の生まれ育った街の浜辺に似ていた。だがこの部屋は見慣れた自分の部屋ではない。ここはどこかしら? 一瞬戸惑ったが、ここがケアンズのホテルで

          新幹線の男

           コロナが明けて、これまでの分を取り戻そうとするように、世の中の人の動きが活発になってきた。フットワークの軽いことだけが取り柄の僕も負けてはいない。東に陶器の展覧会があると聞けば、いそいそと東京まで出かけて行き、西に大学のサークルの忘年会があれば、酒を飲み交わすためだけに京都に赴いた。その間隙を縫うようにして同窓会や忘年会があり、幹事役を引き受けるなどして、師走の前から忙しい毎日を過ごしている。  その東京での話をしようと思う。東京駅に着いてすぐ、お目当ての出光美術館に赴いた

          実りの秋

           街路樹の落ち葉がカラカラと音を立てて、高い空に舞い上がっていく。そんな枯葉のように行先を決めない気ままな旅がしてみたい。この季節になると毎年そう思う。でもいつも夢見るだけで実行できていない。今年も行楽の秋の旅といえば、所属しているエッセイクラブのバスツアーだけになりそうだ。正直に言おう。車の運転は好きだが、他人の運転する車に乗せてもらうのはあまり好きではない。だからバス旅行は苦手で、今までも極力避けてきた。でも今回のバス旅行はそれを気にすることなく楽しむことができ、実りも多

          東京タワーの下で

           緩いコーナーを抜けると駿河湾が目に飛び込んできた。秋の日差しを浴びて穏やかに光る海は男を歓迎しているようだった。その男は東京に向けて白いセダンを走らせていた。隣を走る車が近づいては離れていく。そんなことを彼は一向に気にしていない。自分のペースでご機嫌に車を走らせている。  彼はハンドルを握りながら妻と付き合い始めた頃を思い出していた。大学を卒業してある金融機関に就職した彼は、本社の新人研修でやがて妻となる女性を見染めてしまった。初めての恋だった。おっとりした彼のどこにそんな

          東京タワーの下で

          ご地層泥棒

           「車に轆轤(ろくろ)と窯を積んで全国を回るんだ。行った先の土で器を焼いて、売りながら旅したら最高だよなー」。授業後、仲間と酒を飲みながら、そんな夢みたいな話を語り合った。勤めていた会社を早期退職して入った愛知県瀬戸市の窯業職業訓練校の時代の話だ。全国から陶芸を志す同志が集まり、自分の子供のような世代と一緒に学ぶのは、学生時代に戻ったようで本当に楽しかった。  あれから三年経つ。僕は運よく陶芸教室に職を得て、陶芸を続けている。さすがに土を求めて全国を行脚するような情熱はない