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16の冒険

 薫風が気持ちのいい季節だ。ベランダでさわやかな風に吹かれていると、にわかに旅心がわいてくる。たしか松尾芭蕉が奥の細道に旅だったのも、この季節ではなかっただろうか。今も昔も、五月の風は人を旅へといざなう何かをもっているのかもしれない。
 そんなことを考えながら記憶をたどってみると、僕の旅も5月がダントツに多いことに気づく。ふと思い立って、青森まで日帰りでオートバイを飛ばしたのも24歳の5月だった。旅好きの妻と結婚し、毎年、海外に足を運んだのもこの季節だった。しかし年齢を重ねるとともに、ずいぶんとお尻が重たくなってしまった。最近、遠出したといえば妻の実家の下田くらいである。ため息がもれる。
 僕の旅好きは高校生のときにさかのぼる。16の誕生日を待って原付免許をこっそり所得。夏休みに心配する両親を説得して、父親のスクーターで信州に出かけたのが最初だ。目的は高原に咲くニッコウキスゲを見るためだった。
 僕の住む豊田市から信州へ続く国道153号は今でこそ整備され、高速ワインディングロードとなったが、昭和50年半ばはまさに酷道だった。長野県阿智村の治部坂峠などはカーブで大型トラックがすれ違えないような、狭く厳しい道だった。その酷道を時速30キロしかでないスクーターでとことこと信州を目指したのだ。勾配が急になると荷物を満載した非力なスクーターはなかなか進まず、降りて押すこともたびたびだった。
 そして日もとっぷりと暮れた頃、ようやく下諏訪駅にたどり着いた。JRがまだ国鉄と呼ばれていた頃で、おおらかな時代だった。駅舎で泊まらせてほしいと申し出ると、快く了承してくれた。きっと僕は排気ガスですすけて真っ黒だったのだろう、駅員さんは親切に近くに温泉があることも教えてくれた。その夜は友人に借りたシュラフにくるまって、木製の堅いベンチに横になったのだが、初めての野宿で興奮していたのと、蚊の大群におそわれて、結局、一睡もできなかった。 
 風に吹かれながら少々無鉄砲な高校生だった頃が蘇ってくる。校則をやぶり、両親が心配するのをよそに、小さなオートバイでとことこ走って、自分が住んでいる街から遠く離れ、知る人が誰もいないこの街まで一人でやってきた達成感や開放感に満たされていたことだろう。将来についても深く考えることもなく、自分の人生は未来に向かって広く開かれているなどと、考えていたのではないだろうか。それと比べて今の自分はどうだ。知識や常識を手に入れて世の中をうまく立ち回る術は手に入れたかもしれない。でも自分に残された時間や金を計算して、せこせこと生きている気がする。「ずいぶんと小さい人間になっちまったな」。16の僕の声が聞こえたような気がした。

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