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書き続ける理由

 昨年の十一月、所属しているかすがいエッセイクラブのバス旅行に参加した。行きの車内で、参加者の簡単な自己紹介があったのだが、これが旅行の行先よりも印象に残っている。さすが長年、書き続けてきた先輩方々である。自分が文章を書き続ける理由をさりげなく盛り込んでくる。例えば、子供の頃から書くことが好きだったとか、頭の中を整理することができる等々。あるいは日記のように記録を残すためとか、さらに志高く自分の生きた証を残したいという人もいた。
 さて、会員の自己紹介をうなずきながら聞いているうちに、僕にも順番が回ってきた。しかしマイクを握ったとたん、緊張して考えていたような文章が出てこない。周りの仲間のようにかっこよく言葉を紡ぎたい。そう思えば思うほど言葉が空回りしているのが分かる。結局、言いたいことが言えないまま、早々にマイクを隣に渡すことになる。掌にはじっとり汗をかいていた。いつもそうだ。人前で話す機会は少なくないのだが、後になってから「なんで、あの時、この一言が言えなかったんだろう」と後悔することが多い。自分のことをわかってほしいという承認欲求が人一倍強いがゆえに、そのもどかしさに苦しめられるのだ。
 でもそんな僕にとって自分の想いを文章にすることが救いになっているような気がする。悔しい思いをした後で自分はあの時、本当は何を言いたかったのか? 自分のペースでじっくり考え書いてみる。「僕は何も考えていないわけじゃないんだ、思いつくまでに時間がかかるだけなんだ」と悔しさを文章にぶつけることもある。書くことは敗者復活戦に臨むようなものなのかもしれない。
 そしてもう一つ大切なことがある。自分の書いた文章を読んでくれる人の存在である。見ず知らずの人に評価してもらうよりも、自分を見知った人に評価してもらいたい。そんな僕がこうしてエッセイを書くことができるのもエッセイクラブの仲間がいるおかげである。感謝。

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