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下田の父を想う

 義父が先月末に亡くなった。突然の死だった。亡くなった日の朝、いつもの週末どおり電話があったのに、その晩に旅立ってしまった。義弟からの連絡で急いで下田に駆けつけると、義父はまるで眠っているように穏やかな顔で横たわっていた。泣きながら義父の足をさする妻の横で、僕の頭の中は義父との思い出が駆けめぐっていた。
 妻と結婚して三十四年、妻の実家である下田には盆と正月、GWほぼ欠かさず訪れた。そしてその際は必ず義父の畑仕事を手伝わされた。とはいっても僕もそれを楽しみにしていたので、義父の体力が落ちてきたここ数年は、しっかり仕事が用意されていた。普段は僕に対して少々遠慮気味の義父であったが、畑仕事、特にミカンの収穫に関しては厳しかった。採り頃のミカンを見極め、ヘタは二度切りする、ミカンから決して手を離さない、かごに入れる際はヘタで皮を傷つけないように工夫する等々、商品として出荷するわけではないのに、一連の作業に抜かりがないよう仕込まれた。
 作業が一段落し、木陰で並んで腰をおろし、義父の農業談義を聞くのも好きな時間だった。海からの爽やかな風が汗ばんだ肌に心地よい。遠くに目をやれば山の稜線がくっきりとしていて、山の緑と空の青との対比が美しい。下田の夏の思い出として記憶に刻み込まれている。

 時には義父に乞われて僕一人で下田に訪れることもあった。そんな時は食事も二人で作った。畑では阿吽の呼吸で作業ができる二人も台所では勝手が違った。ぎくしゃくしながら義父が野菜を切り、僕がフライパンを振る。獲れたての野菜マシマシ炒めを汗をカキカキ、二人で食べたのも昨年の夏ことだ。義父は僕のことを実の息子のようにかわいがってくれた。その義父ともう一緒に畑に立つことがないと思うと自然に涙が出た。
 葬儀をあわただしく終え、下田に一週間滞在して豊田に帰ってきた。義父がなくなっても僕ら夫婦の日常は変わらない。自分たちの生活と義父の存在との関わり合いが少なかったことを改めて感じさせる。ただ週末の朝、義父の電話がないことに妙な物足りなさがある。そんな違和感も次第に薄れていってしまうのだろうか。

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