見出し画像

仲間に支えられて

 宮本輝の『高原の椅子』という小説を読んだ。「じゃあ、そうしよう。俺お前でいこうよ」と、親友の契りを結んだ中年男の、遠間憲太郎と富樫重蔵の友情がさわやかに描かれている。『高原の椅子』は一九九七年に始まった毎日新聞の連載小説のようだが、もっと早く出会いたかったと残念に思うほど良い小説だった。この小説は映画化もされているが、こちらは少々期待外れ。主役の佐藤浩市がかっこよく演出され過ぎていて、脇役とのバランスが悪いのだ。憧れの君、貴志子役の吉瀬美智子も、世の中の中年男性の願望をそのまま映像にしたような、媚びを感じて好感が持てなかった。改めて原作の持つ雰囲気をそのまま映像にすることの難しさを感じた。
 さて作中にこんな場面がある。-憲太郎は笑って富樫の肩を突いた。富樫は笑い、憲太郎の湯呑み茶碗に酒をついだー 酒場での何気ない描写だが、この二人の距離感が良いと思う。読んでいて三十年来の酒友の0さんとSさんのことを思い出した。二人は郵便局の研修所で一年間、同じ釜の飯を食った仲間だ。給料を貰いながら学ばせてもらうという、ありがたい身分だったにも関わらず、勉強もせずに三人で毎日のように飲み歩いたものだった。今では二人とも郵便局長となったが、郵便局を離れてしまった僕とも、分け隔てなくつきあってくれる。会えば年を忘れて酒をとことんまで飲み、三十数年前にタイムスリップしたように話せる友である。
 また、俺お前と呼び合う遠間と富樫はこんな会話も多く登場する。「ベンツ……。お前、アクセルとかブレーキに脚は届くのか?」 「あっ、俺の最大の劣等感に触れやがったな。ちゃんと届くわい」。そんな会話は中学の同級生のⅯを思い出す。中学時代、不良と呼ばれて同級生から避けられていた彼。その彼とは対極のポジションにいた学級委員の僕。でも、なぜだか二人は馬が合った。そんな彼も今やベンツに乗る一国一城の主である。今でも名前で呼び合い、顔を合わせれば、相手の痛いところを突き、言いたいことを言い合う。それでも互いの生き方に敬意を払っているのは間違いないと思う。
 小説の中の二人は相手が窮地に陥った時、「この憲太郎っていう親友が、親友であることの契りとして一肌脱ごうか?」と躊躇なく手を差し伸べることのできる関係もうらやましい。でも思い返せば、僕も人生の様々な場面で仲間に助けてもらった。転職を考えて悩んでいたときに、周りの友が皆反対する中、一人だけ背中を押してくれたSさん。愛車が盗まれたとき、一晩中探し回ってくれたバイク仲間たち。再就職が決まらずふらふらしている僕に、うちに来ないかと誘ってくれた先輩。退職後の進路を迷っているときに、陶芸の道を勧めてくれたMさん。少し大げさかもしれないが、彼や彼女らの存在がなかったら、今の幸せは手に入らなかったかもしれない。本当に仲間には恵まれた男なのは間違いない。
 お世話になった仲間の中にはずいぶんとご無沙汰してしまっている人もいる。そろそろ花見を口実にして、誘ってみるのも良いだろう。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?