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新幹線の男


 コロナが明けて、これまでの分を取り戻そうとするように、世の中の人の動きが活発になってきた。フットワークの軽いことだけが取り柄の僕も負けてはいない。東に陶器の展覧会があると聞けば、いそいそと東京まで出かけて行き、西に大学のサークルの忘年会があれば、酒を飲み交わすためだけに京都に赴いた。その間隙を縫うようにして同窓会や忘年会があり、幹事役を引き受けるなどして、師走の前から忙しい毎日を過ごしている。
 その東京での話をしようと思う。東京駅に着いてすぐ、お目当ての出光美術館に赴いたのだが、そこで思いがけず馬(ば)蝗(こう)絆(はん)(足利義政がひび割れた茶碗を直すよう中国に送ったところ、かすがいで止めて送り返されたといわれる茶碗)に再会することができた。この器に初めて会ったのは五年ほど前。当時学んでいた通信制の大学のレポートを書くために東京国立博物館を訪れ、この美しい青色の器をなんとか文章にして残したいと頭を悩ましたことを思い出す。思い出の器を前にするとなんだか古い友人に再会したような懐かしさを覚える。それと同時に千年の時を超えても凛として美しい馬(ば)蝗(こう)絆(はん)に対して、たった五年前とはいえ、もう、そこに戻ることのできない自分の身の切なさも感じさせた。
 さて、その東京からの帰り道、のぞみの車内のことである。東京駅の雑踏からようやく解放されて、アサヒのロング缶をぐびぐびやっていると「あの人、なんだか気の毒そうね」と妻が小さく指をさす。その方向を見ると、いかにも窮屈そうに座席に収まっているサラリーマン風の男性がいた。前席の客がリクライニングシートを目一杯倒しているので、彼の眼前に前席の背もたれがあるのだ。黒っぽいスーツに身を包んだ彼は、頭髪が少し薄くなり始めている。四十代くらいであろう。窮屈な姿勢を強いられているため、たくし上がったスラックスの裾から貧相なすね毛が見えているのも同情を誘ってしまう。妻は「一言、文句を言えばいいのに」とほほを膨らませていたが、僕は彼の気持ちがわかるような気がして、目が離せなくなってしまった。
しかし彼は自分に降りかかってきた不運など一向に気にする様子もなく、淡々と食事の準備を始める。テーブルを出すとますます窮屈そうな彼。狭いスペースから苦労して崎陽軒のシウマイを取り出し、持参した金属製の猪口を置く。そして東京駅で購入したであろう日本酒のラベルをしばし眺めてから、おもむろに封を切る。日本酒の銘柄は奈良の篠峯だった。自分の喉が鳴るのがわかった。ますます彼から目が離せなくなってしまった。
 そんな僕の熱い視線に気づくはずもない彼は、スマホで動画を観ながら、淡々と晩酌を進める。彼の一連のしぐさが堂に入っていて、このルーチンを何度もくりかえしてきたことが想像される。些細なことなど気にすることなく自分の時間を楽しんでいるのが感じられて、うらやましくさえ思った。
 年男のこの一年、ぴょんぴょん拍子といかないまでも充実した良い年であったと思う。でも器の小さい僕は些細なことが気になって、悩まされることも少なくなかった。今年もあとわずかであるが、新幹線の彼のように他人の言動に心を乱すことなく、自分のペースを守って、年の瀬まで駆け抜けたい。

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