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親の心子知らず


 先日、押入れを整理していたら奥のほうに「アルバム」と太いマジックで書かれた段ボール箱を見つけた。すっかりその存在を忘れていたので、まるで宝箱を見つけたような気分でふたを開けてみると、卒業アルバムや幼い頃の写真が入っていた。最初に手にしたのが幼稚園の卒園アルバム。自分はすぐにわかった。「腕まくりするとかっこいいんだぞー」と友達と一緒に撮った写真は記憶にも残っている。名簿を見ると名字が違う。二人目の父のころだと思い出し古傷を刺されたような痛みを覚える。別のアルバムには産着を着た赤ん坊のころの写真が何枚もあった。白黒の写真で今のサイズよりも随分と小さい。母や祖母にあやされている写真もあった。写真に写る母は今まで見たことのないような満面の笑み。その姿は息子の目から見てもきれいだと思った。
 アルバムをめくっていると妻が横から盗み見て「あら、おぼっちゃまだったのねー」と笑う。その写真はいかにも買ったばかりというようなダッフルコートを着て、ちょっとすまし顔の子供が写っている。まぎれもなく三歳くらいの僕だ。まっすぐに見つめる先には母の姿があるのだろう。安心し頼りきった笑顔をしている。カメラをかまえる母が「ほら、笑って笑って」と言う姿まで想像できる。家族から愛されていたんだなーと思い知って、またチクリと胸が痛んだ。
 僕は小学四年の時に母が再婚し、四番目の父と新しい兄ができた。それ以降は普通の家庭の子供として育てられた。でも他人から見れば普通の家族に見えたかもしれないが、僕にはあまり居心地のいい家ではなかった。高校卒業と同時に一人暮らしを始め、それ以来、実家にはたまにしか帰っていない。母が苦労して育ててくれたことを思えば随分と親不孝な息子である。
でもたまに帰っても母の口から出る言葉は、息子の無沙汰の不平に始まり、人の悪口や、くだらぬ噂など機関銃のようにしゃべりまくる。普段、誰も母の愚痴など聞いてくれないので、僕が訪ねていくとここぞとばかりに話したいのはよくわかる。愚痴を聞くのも親孝行だと覚悟はしているのだが、僕の小さな器はすぐにあふれてしまい、またしばらく足が遠のく。その繰り返しだった。
 一方、妻を見ていると親とも良好な関係を築いていることに感心する。四年前に義母がなくなってから毎週末、義父から電話があるのだが、長電話にも気を長くして付き合っている。実家に帰ったときは文句を言いながらもあれこれ世話を焼いている。これが普通の親を思う気持ちなのかもしれない。やはり僕は情が薄いのだろうか。それとも子を持って知る親の恩というように、子供に恵まれなかった僕には本当の親の苦労なんてわかっていないのかもしれない。
 そういえばこのアルバムは僕が家を出るときに母が持たせてくれたものだった。今のように自分も楽しみながら家族も楽しんでというような時代ではなく、家族のためには自分が苦労するのが当たり前というような時代だった。そんな時代を生きた母の息子を想うカタチが、このアルバムだったのかもしれない。でもそれさえも少々重荷に感じてしまう僕。六十年も人間をやってきているがまだまだ未熟者である。

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