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実りの秋

 街路樹の落ち葉がカラカラと音を立てて、高い空に舞い上がっていく。そんな枯葉のように行先を決めない気ままな旅がしてみたい。この季節になると毎年そう思う。でもいつも夢見るだけで実行できていない。今年も行楽の秋の旅といえば、所属しているエッセイクラブのバスツアーだけになりそうだ。正直に言おう。車の運転は好きだが、他人の運転する車に乗せてもらうのはあまり好きではない。だからバス旅行は苦手で、今までも極力避けてきた。でも今回のバス旅行はそれを気にすることなく楽しむことができ、実りも多かった。
 秋の実り、その一。バスの車内で隣のAさんとたっぷり話をすることができた。彼女は自宅でパン作り教室をしているそうで、一度詳しく話を聞いてみたいと思っていたのだ。Aさんは退職後、自分の夢を実現するために土地探しから、カフェ経営を経て、パン教室を始めて十年が経つという。自分が本当に居心地のいい場所と環境を手に入れるためには努力を惜しまない人だと思った。僕も陶芸で自分の作品を作るよりも、周りの人たちに陶芸の楽しさを伝えることに喜びを感じることなどを話すと「私の知り合いにも陶芸家がいるから聞いといてあげるわよ」と、陶芸教室を開く話がどんどん進んでいく。なんてせっかちな人だと内心思いながらも、このレスポンスの速さが夢を実現する秘訣なのかもしれないとも思った。自分に残された時間が計算できるような年齢になっても、将来の夢を語りあえるのは楽しい時間であった。
 その二、満蒙開拓平和記念館の訪問。またまた正直に言えば、このバスツアーの行先に決まるまで、僕は記念館の存在を知らなかった。満州事変を「戦(いくさ)一発」(一九三一年)、日本の国際連盟脱退を「行くよ、さっさと」 (一九三三年)と年号だけは語呂合わせで覚えていたが、そうした歴史的な事件と満州国との関わりについては無知といってもよかった。記念館では館長からそうした時代背景や、国策としての満蒙開拓団の実態について丁寧な説明があった。その説明にそんな理不尽なことがあってもいいのかと憤りさえ覚えたが、同時に今まで知ろうとしなかった自分が、日本人として情けないとも思った。そして展示の中で最も目を奪われたのは引揚者の方々の手記であった。一生癒えることのない傷を覆っていたかさぶたを剥がし、その生傷をさらすような手記。行間から涙や汗、血までがにじみ出てくるようで、読みだすと止まらなくなってしまった。瞬く間に時間が過ぎ、気がつけば集合時間となっていた。この施設はまた訪れたい。
 その三、高蔵寺駅での打ち上げ会。高蔵寺駅でこの旅行の世話係をしてくれたMさんを労うためにGさん、Tさんと一緒に呑んだのだ。これも楽しい時間だった。飲みニケーションで組織の絆を深めた世代である。メンバーとの距離が縮まり、エッセイクラブの帰属意識も高まる。でも帰りの電車でふと思った。「異国の丘をあとにして」を書かれたGさんである。記念館を訪れて思うことは多かったはずだが、打ち上げ会ではそれを口にすることなく、僕らの馬鹿話につきあってくれた。さすである。学ばせてもらった。
今、僕は幸せであると実感した一日であった。命を脅かされることなく、明日の生活を心配することもない。今夜も暖かい布団で寝ることができる。この幸せに感謝しなければならないと思う。

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