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人生を航海に例えたならば

「社会に出て仕事をして生活をする」ことを航海に例えるなら、会社という船に足をかけ、少ない荷物を持って乗り込んだ。とりあえずのテリトリーの案内を受け、、といったくらいかな。

大海原で縦横無尽に航海する日を楽しみにして、とにかく目の前のことを、与えられたことを、コツコツやることだ。まだまだ、これから、なのだから。

波が多少高かったとか、風がビュッと吹いたとか、雨が降ったとか、日差しが強かったとか、日々そう思っても、それはまだ、湾内でのこと。

まだまだ、これから、これから、です。

習うこと、教わったことを自分なりにどうやってうまくやろうか、などは考えなくてもいいと思うよ。習ったまま、教わったまま、それをやればいい。素直にそれをやると良い。覚悟を決めて、ハラを据えて確実に言われたことに応えればいい。やり方がわからなければ尋ねれば良い。

大丈夫、良いようになるから。

本気の心で物事に取り組んでいけばいい。わかったフリはダメ。できるフリもダメ。頭で考える、より、まずは、腹を決めるのだ。できないことは恥ずかしいことではない。(今は、ね。)

「聞くは一時の恥、知らぬは末代の恥」。自分の知らないことを人に尋ねるのは恥ずかしいと思うだろうが、それをせずにいれば、一生知らずに恥をかき通すということぞ、ということだ。

なぜ?とか、どうして?とか、こうすればいいのに!とか、この方がいいのに!とか、そんなのも不要だ。(そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないのだから)まずは、いまは、求められたことに"応える"よう、本気で取り組むことだ。そうすればきっと、"今"もうまくいく。

本気の思いは"人"を動かすもの。本気は本気を呼んで、こちらの本気に向こうも本気で応えてくれるでしょう。とにかく大切なのは"考える"より、ハラをすえて"それ(求めたれたこと、教わったこと)を行うこと"。理屈を述べず、素直に受け入れて、出力すること。

元気でいること。はっきりと声を出すこと(挨拶することも)。
機嫌よくしていること(損なわれそうな時は、こうすれば回復するという事案を自分で決めてしまう。「Aの店のBを食べたら、翌日私は元気になる」と決める)。
素直で謙虚でいること。謙虚は「引っ込み思案(消極的)」や「自己否定(自分を認めないこと)」ではない。謙虚とは、傲慢でないこと。
インプットとアウトプットの調和がとれていること。発する言葉は少ないでも構わない。むしろ余計なことは言わないでおく方がいい。的確に応えられればそれでいい。それが信頼となる。

失敗したり、くじけたり、枯れ果てたときに、答えを本に求めてみても、今この現実には、なかなかそうはできなくて、苦しかったり悲しかったりもするけれど、現実は逃避できなくて、そこで、それを「受け入れるしかない」ってことを、度に思い知るわけです。

しかし、「人間万事塞翁が馬」。ずっとそうではない、ということ。いい時も。そうは思えない時も。ずっとそうではない。

辛抱して、色々を、本気で、やらせてもらいなさい。辛抱って、"辛い"を"抱く"と書くでしょう?そうして、自分の力量をつけるのです。そうすれば、気持ちよく発揮できる時が、来るのです。理想論者とか、頭でっかちでは、役に立つ人間とは言えません。人間力のある人こそが、世の中で活躍できるのです。(そう思います。)

ま、とにかく、素直に、習ったように、教わったことを、求められることに、誠実に応えられるよう、励むことです。積み重ね、が、信頼です。お金を出しても買えない、自分の身につくものです。たとえ失敗しても、すぐに、まずは謝ることです。そう、きっと大丈夫。誰もがそうやってきている仕事です。あなたにもできるようになる。

転んだことなく滑れるスケーターもいないし、転んだことなく滑れるスキーヤーもいない。上手に転ぶことだ。柔道も最初に習うのは、受け身だそう。まずは転ぶ練習だ。と、あえて言えば、転びたくはないけれど。笑

若い、ので、色々経験していってわかってくることもあるのです。だから、色々思い悩まずに、いまは与えられたことを素直に、誠実に、やればいい。自分なりの解釈や要領良さを止めにして、まずは教わったように、または教えを乞いて、それを"基本"、"お手本"と受け取って、その通りにやってみるようにしよう。(いずれ、自分で、自分のやり方を模索して発展させればいい。)そう思っていなくても、いずれそうなる。

この言葉を君に贈ろう。

すべての偉大な人々は謙虚である。(レッシング 1729-1781ドイツの劇作家)

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