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【もし人間として生まれてこなかったら】

ミーーーンミンミン。夏に散歩をすると、こんな音が聞こえてくる。セミが鳴いているなと。今まではこの鳴き声を聞くと、夏が来たと感じる。


セミは土の中で幼虫時代を過ごす。7年もの間、土の中で過ごした後に、成虫時代を過ごす。その期間は何と1週間から1ヶ月の間といわれている。ここは仮に1週間としよう。


地上に出て、7日間しかセミには残されていない。もし、セミとして生まれてきたら私たちの人生はどれほど短かったのだろうか。セミとして生まれてきたのなら短いとも感じることはないだろう。それが当たり前であるから。

そう考えると、私たちの人生は長い。80年くらい生きることができるなんてどれだけ幸せなことなのだろうか。


もし私たちもセミと同様に7日間しか地上で過ごすことが出来なければ、1分1秒も無駄にせずに生きていただろう。1日という価値がどれだけ貴重なものか。私たちが当たり前のように生きている今日は誰かが生きたかった今日。生きているだけで幸せというのはまさに。



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命というものは儚くて尊い。当たり前というものが当たり前じゃないということを知れば知るほど、今あるものに感謝できるのかもしれない。


たまたま人として、生まれてきた私たち。それだけでもうあなたの人生は充実しているのだ。人として、日本で生まれていることだけで世界的に比べてどれだけ幸せなことか。日本人は世界から見れば、幸せ過ぎる生活をしている。


だからこそ、今ある幸せに気付けないのかもしれない。確かにそれは仕方のないことである。


家があるのが当たり前。
おいしいご飯を食べれるのが当たり前。
家族がいるのが当たり前。
働けるのが当たり前。
勉強できるのが当たり前。


自分だけでなく、周りの人もこんな生活をしているからこそ、それがすべて当たり前になる。当たり前は当たり前ではない。今いる場所から一歩外に出ればそれに気付くことができる。


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今生きている時間は人生のボーナスタイムである。何をしたっていい。生きているだけであなたは幸せなのだから。これからこれから生きていれば、辛いことや苦しいこともあるだろう。


そんな時はもし人としてこの世に命を授からなかったことを考えてみるのもいいかもしれない。すべての当たり前が当たり前じゃないことに気付くことができるから。


あなたも一度、セミとして生まれてきたらどんな人生を送ることになっていたのかを考えて見てもらいたい。


本日も最後まで読んでくださりありがとうございました!


【今日の格言】

からっぽのうつわのなかに、いのちを注ぐこと。
それが、生きるということです。

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