見出し画像

気付いたことは、すぐ、やる。

FBで知り合いがぽろっと書いてた「まちづくりは気付いた人から」という一言から、電車移動の1時間をこの文章に充てようと思う。

「気付いたことは身軽にすぐ行う」という学びから

近年は、鈍感力も大事だというけれど、「気付くチカラ」は一朝一夕には身に着かない。気付いたことを、あえて気付かない。それだ誰かのためになるのであれば、それは大切な力だけど、気付いたうえでできるかどうかと、全く気付かないのは話が変わる。

気付いて行動に移せる人は、どれだけいるのだろう。ゴミが落ちていても、誰かが困っていても、行動に移せる人はほんの一握り。
「自分のことじゃないから」「自分の仕事じゃないから」「きっと誰かがやるだろう」
やらない理由のたいていは、「自分ごと」だなんて思っていないから。ただそれだけ。もちろん、私も例外ではなく。日々の生活で、ついまあいいか、と見過ごすことも、ある。

知っていることが増えるとイノベーションが起こりやすくなる、という話にも通じる

地方はベンチャー企業であるのと同時に、大企業の性質も併せ持つ。
例えば、地域おこし協力隊としてきた人が、地域を盛り上げようとしても、外の人間が言うことは信用できない、どうせ任期が終わったら出て行ってしまうんだ、と最初から決めつけている人のなんと多いことか。勝手に自分たちの生活はこうだ、都会と同じことができるものか、夢を語って何になる、と地域の幅を自分達で決めつけている。
知らないことは、誰もが不安だ。
ファーストペンギンになることを、誰もが恐れる。
村八分にされたくない、とか、変り者と思われなくない、とか。日本の村社会が作ってきた慣習も、もちろん起因していることだけど、時代は刻々と変わりゆく。問題に対して、ただ悲観的になっているだけの地方は変われない。

都会でできることも飽和している今、地方は本当に面白い。

ありすぎていることが当たり前だからこそ、ないことが、面白い。
ないからこそ、作りだせる。余白がある。

様々な地域に訪れることが増え、そんなしがらみの人間関係に悩みながらも、今までではいけない、自分達の手で地域を変えよう、という人たちが表れていることも、近年の顕著な動き。

圧倒的自分事としてものごとをとらえられるかどうかが、これからの働き方や動き方を加速させていけるかどうか、幅を広げていけるかどうかの境目だな、と感じる。

と、本題に戻ると

「気付いたこと」に対してどんなアクションを取れるかどうか。

まちづくりを行う上では、まちの問題をどう解決するか、から始まることが多い。これには、やっぱり外の目が一番有効だ。
自分の悪いところは気付けるのに、できること、得意なこと、好きなことは、自分では自覚できない人が多い。
だからこそ、まちの良いところ、悪いところを客観的にみるためにはある程度の他人目線がとても有効になる。都会との比較、近しい条件のまちとの比較、盛り上がっている地域との比較。

そしてそこで、何をすべきかが明らかになってくる。

私が香川にこだわる理由は、単純だ。
地元であることと、今までたくさんのエリアに住んできたうえで、一番自分が呼吸がしやすく、生活がしやすいと感じたまちだから。(適度な自然と、田舎具合、車で10~20分圏内にスーパーやドラッグストア、電気屋、ファーストフード、ユニクロ、GU、なんでも揃っているというので最強)
やっぱり帰りたくなる場所であること。いろんなエリアに住んで、やっぱりもう一度住みたい、帰りたいと思うのは香川の空気だった。

じゃあ足りないのは何だろうか、と考えたときに、香川の人はやっぱり良くも悪くも「のんびり」していること。人からの刺激が足りないこと。

めっちゃ面白い大人に出会うことが大切すぎる。

東京や滋賀、丹波。面白い人がいる場所に出入りして気付いたことは、エリアに関わらず、「めっちゃ面白い大人がいる」ことだった。
この2年、いろんな畑を耕し続けたことで、ある程度何かしらを収穫したり、やり方をシェアしたり、支援する力がついてきた、と自分で感じるようになった。そしたら、香川では私が「めっちゃ面白い大人」になろう。「誰もが挑戦してみようと思える場」を作ろう。そう腹を括れた。

私が接点を持ってきた「めっちゃ面白い大人」を自分が作る場に呼ぶこと。誰かのやりたいことが、小さく叶っていく場所を作ること。私も、周りから後押ししてもらった「料理」や「筆文字」をちょっとだけ武器にして、さらに歩み続けること。

おかげさまで母校の変革期にも立ち会えるかもしれないような機会が生まれそうで。香川をフィールドにする準備がやっと整ってきたように思います。
「やりたいをカタチに」できる人を増やしたい。自分の人生は、自分で舵を取る。「私は、」で始められる人を増やしたい。その方が、めっちゃ幸せだということを私は知ったから。

場をひらくこと、銀行からお金借りること。不安はありますが、でもやるっきゃなくて。気付いた私が誰か任せにしていてはいけない。
時代がやっと自分に追い付いてきた。はみ出し者なのではないかと思っていたけど、そうじゃなかった。時代を先取りすぎていただけだった。

じゃあ、これからもどんどん先取り続けるしかない。
気付いてしまった人は、動くしかない。それが気付いてしまった人の役割だから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?