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カンボジアで当時出会った少年は今何をしているのか

私は今から5年前、旅人として東南アジアを中心に様々な国に1人旅をしていた時期がある。

今日は、東南アジアのカンボジアを1人旅した時の話をしたいと思う。


当時のことを思い出すと
はっきりと思い出せる部分と思い出せない部分がある。

確か旅行した理由は、世界遺産としても有名なアンコールワットを見てみたかったからだと思う。歳は24、5の時か?


遺跡に向かう為にチャーターをした車で経験した出来事がいまでは強烈に印象に残っている。






チャーターした車に乗り、アンコールワットに到着した時のこと。

運転手が道を確認する為に車を停車したとき、ふと窓の外を見ると3・4歳くらいの子供が立っていた。



裸足で体は黒ずんでおり、汚れている。



私が物珍しそうに見つめていたからか、その子は車にヨチヨチ歩き寄ってきたではないか…。


手にはカンボジアの素材で作ったと思われるジャラジャラとネックレスやアクセサリーなどがたくさん…。



「物売りか」とやっと私は気づいた時には遅く、近づいてきたのは私が観光客と認めたからであろう。


ドライバーがタバコを吸う為に窓がちょうど空いていたので、子供は手を社内に突っ込んてきたではないか。



もちろん私にそのジャラジャラとしたものを売るために、であろう…。



そこでドライバーが子供の存在に気づき、急いで窓を閉めた。当然子供の腕は窓に挟まれそうになる。

しかしその子は驚いた様子も痛そうな顔もせず、ずっと手を入れたまま。
私の顔を見つめたままそのまま微動だにしない。



旅慣れている人にはよくある光景かもしれないが、呆気に取られたというか、たじろがない子供の様子に少しゾッとして何も言葉が出てこなかった。


あれからカンボジアのニュースなどがTVで取り上げられると思い出してしまう…。

・あの少年は今頃何をしているのだろうか?

・あれから10年経った今でも、あの時の生活と同じようなことをしているのだろうか?

・まだ生きていられているのだろうか?

などと。





1998年にフン・セン政権による長期政権が始まったカンボジア。



開発国家を目指したことで2000年以降は高い経済成長を遂げているものの、
あくまで急速な経済成長を果たしたのは都市部のみだ。




都市部と農村部の所得格差はますます拡大し、富裕層と貧困層の富の格差は一層拡大する結果になってしまった。










1953年にフランスから独立したあとは、シアヌーク体制の下で仏教社会主義を歩んできたカンボジア。



1975年から始まったメール・ルージュの圧政と虐殺、ベトナム軍の侵攻(1979年〜)によるポルポト政権の崩壊や1980年代までの内戦。

そして、1991年まで続いた混乱状態など。
これにより農民の医療費の支出負担の増大問題や、農業収入と副収入の減少問題、農民の借金の拡大問題、土地の売却による土地なしの農民や都市やタイへの出稼ぎ農民の増大問題も未だ問題視されている。





急成長を遂げたカンボジアに残されている課題は山積み。



『極端な貧困と飢餓の撲滅(ミレニアム開発目標)』はほぼ達成したものの、カンボジアにおける政治的弱者(子供や女性)に対する栄養状態の一層の改良の必要性などが未だ課題として残されているのは明確。




昨今では、気候変動による農作物の不作のため、農村部の貧困はますます拡大していく状態ともなっている。


私が、そして私たちができることをあえて考えるとするならば…なんだろう。


『限られた時間の中で様々な国へ足を運び、そこの国の現状を、この目にしっかりと焼き付けて、そこで何を感じるか??そして自分はどんな行動を取りたいのか?を現実から目を背けずに考え抜くこと』


だと私自身は感じる。



命ある限り生きていかなければならないのだから。


そして命は有限なのだから。

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