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母の介護 そして別れ

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2020年12月の記事一覧

ぶらぶら

ぶらぶら

認知症の母の背中側から
両脇の下に私の腕を入れて
身体を支えて歩かせようとすると

歩くのが面倒なのか
時々母は
軽く足を浮かせて
ぶらぶらさせて
体重を預けてくることがあった

小さな子供の
お茶目な悪戯のようで
微笑ましく思えて
クスッとなっていたが

小柄な母が
足腰も弱って
認知症も段々と進んでいって

自然と
私が母の面倒を見る
保護者の立場になって

少しずつ
親も自分と同じように

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あやつり人形

あやつり人形

ある暑い夏の日
親戚の車に
自宅近くで車椅子の母と二人で拾われて
母の父親が眠る田舎の墓地へ
お墓参りに出かけた

家の外は車いすの
親戚の叔父さんと母は
冷房の効いた車の中で
運転手の従兄と
静かにお留守番

車を降りた
叔母達と私は
お墓にお線香とお花を手向け
ご先祖様に心を寄せて手を合わせ
お参りをすませると

車に戻り
全員そろって
田舎の家にお邪魔する

玄関から進んで
和室の居間に入る

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臭う

臭う

母は要介護4くらいの時から
立ち上がるのに介助が必要になり
一人ではトイレに行けず
リハビリパンツに尿取りパッドを
常に使用するようになっていた

しかも認知症のせいで
時々おむつの中の便を手でさわってしまったり
その手を周りにこすりつけたり・・・

もちろんそんな惨事に気づいた時には
母親自身と周りの寝具など
すぐに汚れを落として
清潔な状態にしていたが

いくら清潔に綺麗に整えても
母は常にお

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大事件

大事件

触ってはいけない
不浄なものだという事が
認知症の母には分からなくなっていて

便が出てしまったおむつの中に
手を入れてしまう事がある

母はおむつの中が
気持ち悪くて
落ち着かなくて
手を入れてしまうのか

ただ不快を感じたり
自分の欲求に従って
やっているだけの事なのだろうが

母のベッドに近づいた時に
何となく臭ってきたり
母の手が汚物で汚れているのを
発見してしまったら
すぐに対処しないわ

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東京新聞

東京新聞

昔、一時期
家で東京新聞をとっていた

東京新聞と
うちの家族のかかわりは
ただそれだけだったけれど

いつのまにか
母の頭の中では
私が
東京新聞に勤めていることに
なっていたようで

ある日
「東京新聞を取り始めました」と
デイケアの職員の方が
私に言ってきた時にも
ああ、そうなんだと
ただ思っただけで

仕事に介護にと
割と忙しくしていた
その頃の私は
別に気に留めることもしなかったが

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ちょこんと

ちょこんと


小柄な母が
玄関の上がり框に
幼子のように
ちょこんと
大人しく腰掛けている姿を見て

自宅に車で迎えに来てくれた
デイケアの新しい職員の方が
思わず「かわいい」とつぶやいた

昼間に
グループホームで
ショートステイ中の母の
様子を見に出かけると

ちょこんと
椅子に埋もれるように座って
テレビを見ている
母の横顔がみえた

とある夜
家の中で転んで入院した母のもとへ
着替えや日用品を持って

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夜中の冒険

夜中の冒険

朝、母を起こそうと
ベッドの脇まできたが
ベッドに寝ているはずの
母の姿が見えない

布団をめくってみたが
そこにもいない

一体どこに行ってしまったのか
母が消えてしまった

家の中の伝い歩きも
一人ではおぼつかないので
まさか
一人で起きて
どこかへ行くとは到底考えられない

母を起こしに来た時に
ベッドに密接している押入れが
開いていることには
すぐに
気づいてはいたが

押し入れとベッドに

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行く日ですか

行く日ですか

朝、母を起こしに行くと
「今日は行く日ですか?」と
デイケアに行く日かどうか
尋ねてくることが多かった

認知症が進んできた母は
時々自分がどこにいるのか

さらに
自分が誰なのかも
分からなくなることもあったが

デイケアと認識していなくても
どこかに出かけるか出かけないかは
分かっていたらしく

デイケアに行く日には
私が母に
朝食を食べさせ
おむつを取り替えて
洋服を着替えさせて
玄関まで手

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モヒカン

モヒカン

「○〇(←母の名前)さんの,かっこいい髪形が好きです」

毎年母の誕生日に
グループホームの職員の方々からのメッセージと
母の写真が貼られたカードをいただいていて

冒頭の言葉は
ある年の誕生日カードに
職員の方が書いてくださったメッセージだが
その頃、母の髪の毛は
私がカットするようになっていた

介護初期の頃は
美容院に行く母に私が付き添っていたが
そのうち
車いすでも行けるカットのお店になり

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おはようってなぁに?

おはようってなぁに?

朝、いつものように
ベッドで目を覚ました
認知症の母に
「おはよう」と声をかけると

「おはようってなぁに?」
と尋ねられた

母はたびたび
自分がどこにいて
何をしているのか
わからなくなったり

はたまた
自分が誰なのか
わからなくなったり

挙句の果てには
ある日、年齢を尋ねてみると
6歳と答えることもあったが

そんな状態の母にとって
「おはよう」が分からなくても
全く不思議ではない

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あたたかい手になりたい

あたたかい手になりたい

冬のある日
デイケアから戻ってきた
認知症の母の手が
とても冷たくなっていたので

思わず自分の両手で包んで
温めていると

母が私に
「私も温かい手になりたいの」
と、つぶやいた

その言葉に
私の心は
ふわっと
あたたかくなって

こんな
かわいらしい
素直な言葉で
お願いされた私は

早く温かい手にしてあげようと

自分の両手で包み込んだ母の手を
母がふわっとさせてくれた
あたたかい気持ちと

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おねえさん

おねえさん

親が鬱陶しく思えるようになった
思春期の頃からか

母ともちゃんとした大人の会話を
あまりしてこなかったせいか

母の認知症が進んできて
私を呼ぶのに
まるで他人のように
「おねえさん」とか
「すみませんが・・・」とか
私が誰だか分からなくなって
面識のない人に話しかけるようにされても

それまでの私は
家族よりも外に気持ちが向いていたせいか
昔はあんなにしっかりしていた人だったのにとか
親が自分

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夜中のトントン

夜中のトントン

夜中に「トントン」と
私の部屋のドアを
微かにたたく音が聞こえた気がした

気のせいかと思ってまどろんでいると
また微かに「トントン」と
ドアをたたく音が聞こえる

もしかしてと思ってドアを開けると
寝間着姿の母が立っている

その頃の母は
足元がおぼつかず
昼間でも机や家具を頼りにしながら
家の中を歩いていたが

夜中に
電気の消えた家の中を
1階の自分の寝室から
階段をのぼって
3階の私の部屋

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むすめがかえてきますように

むすめがかえてきますように

母の通ったグループホームで
ある年の七夕の日に
母が震えるような字で
書いた短冊に
「むすめがかえて(帰って?)きますように」
と書かれていた

母は、一度目の結婚で
生まれて1年も経たない我が子をおいて
家を出されて

2度目の結婚で生まれた私は
幼少時に交通事故で
生死の間をさまようような重傷を負い

奇跡的に助かった娘が
成人して一人暮らしをしたいからと
家を出ていった時には
母が泣いていた

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