ちる子
人生の軸であるメキシコとスペイン語について。
新卒で外資で働くということについて
家族との精神的軋轢や感謝や出来事がらみのエッセイ
劇場で見た映画のレビューまとめです。
最近、ちょっと嬉しいことが続いていた。 本が読めるようになった。感動する映画で泣けるようになった。夜に押し寄せてくる不安からくる不眠症に、自分で見つけた漢方で対処できるようになった。家族の代わりに一晩だけ、ご飯を作った。メキシコの料理、Carnitas(カル二タス、豚ロースを長時間煮込んだ料理)が作れるようになった。父親が美味しい美味しいと言って、私の分まで食べた。 そして私は全部に「感謝」した。 上記の商品の受け売りではないが、「感謝ノート」または「自分を褒めるノート」
最近、頭から離れない曲がある。 自転車を漕いでいる時、イヤホンで耳を塞いではいけないという法律が日本にはあるが、寧ろ自転車を漕いでいる時にこそ(しかも両足をペダルから解放してワーッと坂道でも降りながら)聴きたくなる、とある異世界ファンタジーアニメの主題歌だ。 その名も、 「息を吸う、ここで吸う、生きてく」。 歌い出しはこうだ。 ここ数年の異世界ものの主題歌をいくつも担当している、「ゆいにしお」の曲。彼女は言うなれば、「澄み切った青空の下、洗濯物を干して、あまりに気持ちいい
セルシン 2mg、セルトラリン 25mg、芍薬湯エキス。聞いたこともない薬が私の脳に作用し、昂る気持ちを落ち着かせる。考えることをやめさせ、ただ体をベッドに横たえさせる。思い出して泣く暇もないほどに、私は眠り続けた。眠気に耐えられなくなって起きると、また悲しみの波が襲ってくる。そんな時は両腕を被せるようにして目を覆い、強引に両目ごと涙を押さえつける。そうやって私は、毎夜を過ごしてきた。今年が明けてから2ヶ月近くも。目が覚めている時、何か雑用をしていられるのは数時間だけだ。後は
今年の10月、26歳の秋、これまでの自分の価値観を覆されるような事件、いや転換点を経験してから、私は文章がすっかり書けなくなっていた。noteに文章を書く時、おそらく執筆者のほとんどが、「無名の不特定多数に少しでもいいから読んで貰って共感を得たい」と考えていると思う。そしてその裏にあるのはおそらく、自身や自負、教養や知識、誰もしたことのない経験だ。おそらく一番大事なのは、「自信」。 私は最近まで、文豪ストレイドッグス第一シーズンの主人公・中島敦の決め台詞、 多くの人に刺さ
近頃、あれ?と思うことがあった。 仕事を辞めた後、1か月の休職期間、私は旅行を企画していた。 コロナ明けの夏を迎え、駅中に現れる国内旅行のポスターを眺める。 人気の観光地は、伊豆か。軽井沢か。はたまた、世界遺産巡りか。 皆が「行って良かった」と言っていたところへ、TVロケで芸人が食べ歩きをしている街へ、行ってみようか。 だが、計画を進めている最中に、私は気づいた。 あれ、これはあのポスターの、友人の、芸人がしたことをしたいと思っているだけなのかな……? 「良さそう」、そう思
最近noteを更新していなかったが、その間も文章を書いていなかったというわけではなく、実は日記は毎日続け、そのほかもちまちま小説等を書いたりしていた。とはいえ、日記も5か月分溜まったので、そろそろ整理のつもりで久しぶりに投稿する決心がついた。手元にあるのは、約150日分の記録である。読み返すと、非常に面白い。(自分では気づくことが出来ないので、もし文章に何らかの変化が表れていたら多めに見て頂きたい……) 有名な話だが、何かを習慣化するためには、平均66日の継続を要すると
前回、文章を書いてから、しばらく時間が空いてしまった。 その間、文章を書こう、という気が起きなかった。というより、内から湧き出てくる爆発的な感情が、生まれなかった。 転職活動がようやく終了し、心も落ち着いてきたところで、旧友に会いに行ったり、普段は読まないような厚い文庫本や上下巻のある長編小説を読んだりしているうちに、あっという間に時が経ってしまった。私は、至極健康的で真っ当な日常という"Whrilwind"(旋風)に巻き込まれ、内省的思考を失いかけていた。そんな自分に、焦り
オンライン会議越しに、私は話し終えた。 私の語尾は震えていた。 ややあって、人事が言った。 「そうですか…」 「会社としても大きな損失ですし、非常に残念ですが、そう決められたなら良かったですね」 「まだ迷いがあるように聞こえるんですが、何か今相談しておきたいことはありますか?」 止めてくれ。 今日の日を迎えるまでに、どれだけの時を費やしてきたと思ってる。180日。180日だ。180日の逡巡と足踏みと無気力。そして幾夜も耳元に訪れ私の枕を濡らした「これで良いのか?」「残っ
片手にチョコモナカジャンボを大事に抱えながら、月600円だったお小遣いを握りしめ、毎日1km離れたコンビニまで帰宅するや否や自転車で飛び出していった12歳の頃の自分を思い出した。600円等、まだ今よりは数十円ほど安かったジャンボでも5日で底を尽きるはずであるのに、祖母から貰ったお年玉を大事に分割してちまちまと使っていたのか器用にやっていたらしい。あの頃はいつも、無性に腹が減っていた。 小学6年生まで、ろくに友達も作らず「一匹狼」と呼ばれる始末。物語の空想ばかりして、昼休みは
射幸心と好奇心が強すぎるのは、時に困りものである。 それらは硬い殻を破る原動力にもなるが、時間や労力やお金を必要以上に投資してしまう原因にもなる。 だが、人生にはどうしても「今がその時だ!今しかない!」と突然心に火がつく時が訪れる。 これはそんな瞬間を、GW2日目に迎えてしまった私の奮闘記である。 出会い数週間前、私は勤めている会社の仕事の関係で講演者を探すべく、ココナラを開いていた。単価数万円から高いものは数十万まで、大変魅力的なスキルと提供者がずらりと並んでいる。そ
社会に「憤りを感じ」ている暇はない。 その間にも、私の大事な時間は流れていくからだ。 転職サービスで、「圧倒的成長」を標榜するヘッドハンター達に、「怒り」を覚えたりはしない。 なぜなら、私自身そのサービスに21歳の時から登録しているからだ。 だが、どうしても「自己責任化」が止まらない日本社会に、日々勝手に「焦り」を感じさせられてしまっている自分がここにいる。 これは「自然発生する焦り」ではなく「社会的に醸成された受動型焦り」なのだ。何もしていないことに対する焦りではない。何か
遠くの籠の中にいる、鳥を思い浮かべた。 灰色で、毛羽立ち嘴の色素が薄くなった老鳥だ。 私は彼に問うた。君は、これまで「生きてて良かった」と思ったことはあったかい、と。ここまでこれて良かったと、一度でも思うことはあったかい、と。 君達が「物心がつく」前に死んでしまう前に、一回でいいから、聞かせてくれないか。生きてて良かった、私の家族の一員になれて、良かった、と。そしたら私は泣いて喜ぶだろう。だけど君は絶対そうは言わないのを知っている。勿論、君からその言葉が聞けたなら、嬉しいさ
忘れられない言葉がある。 三年経った今も、私の手帳に切り抜いて大事にしまってある、人生の教訓がある。 私がその言葉に出会ったのは、令和2年、1月10日の金曜日、 私が大学三年生の時である。 私は大学生の時、「朝日新聞」の「声」欄を良く読んでいた。 多種多様なバックグラウンドを持った、年齢も国籍も違う人たちが、思い思いの人生や意見を綴る。時に仮名。時に無名。それでも「声」欄には、私達が出会ったこともない人が紡ぐ思いが描かれ続ける。 近代の文豪、阿部公房は、NHKの養老孟司と
けったいな性格だ、あなたは言う。 その通りだ。 私は、自分の成果を認められない。 私大で、学部の成績優秀者として表彰された。 別に、凄くない。 ごく真面目に勉強してきただけ。 毎年2000人そこらしか合格が許されない資格を持っている。 別に、凄くない。 私は、たまたま運が良かっただけ。 第三言語が喋れるようになった。 別に、凄くない。 相応しい努力をしただけ。 それに、世の中には、もっと努力をしないと到達できない場所が、 無限にあるから、私は別に、普通です。 偶然と必然、そ
弟が実家を出てゆく日が来た。 この日が来るなど、夢にも思わなかった。 パラサイトシングルで一生を終えるのではないかとヤキモキしていた私だったが、意外とあっという間に自立の時がやってきたらしい。 引きこもりで、常に親に反抗的な弟が。 誇らしい、などおこがましい。頑張れよ、も違う。 ただ、弟の自立を機に、数奇な運命の巡り合わせについて、考えざるを得なかった。 実は私と弟は、かなり仲が悪い。 同じ屋根の下に住んでいながら10年間程度ほとんど口を聞いていない。 まあ、それでも
「あなただけのレアな体験」。 そのタイトルを見た瞬間、何かが脳裏をよぎり、私はもう日本にはいなかった。私は、メキシコにいた。 いや、正確に言えば、私の記憶が、だが。 今から3か月ほど前のことである。 私は友人の結婚式に出席するためにメキシコに滞在していた。 詳しい内容は、下記の滞在日記を参考にしてほしい。 英語こそ話せるものの、スペイン語はまだ初心者であった私はメキシコ人の話し言葉が一切理解できず、かなり惨めな思いをしていた。 友人の、現地の友人達に紹介してもらえるのは嬉