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社会人になってからでも、日記を書くことを是非おすすめしたい(5か月続けて現れた効果)

 最近noteを更新していなかったが、その間も文章を書いていなかったというわけではなく、実は日記は毎日続け、そのほかもちまちま小説等を書いたりしていた。とはいえ、日記も5か月分溜まったので、そろそろ整理のつもりで久しぶりに投稿する決心がついた。手元にあるのは、約150日分の記録である。読み返すと、非常に面白い。(自分では気づくことが出来ないので、もし文章に何らかの変化が表れていたら多めに見て頂きたい……)

 有名な話だが、何かを習慣化するためには、平均66日の継続を要するという。私は無事そのボーダーラインを超えたわけだが、私は日記を「書かなければならないもの」というものより、「日記を書いている間は、いくらでも時間を使って良いことを自分に許す時間帯」と捉えることで、「自分の為に書いてあげるか」と考えるようになり、たとえ3日書けなかったとしても、その分量や内容にかかわることなく、自由に書くことを続けられている。

 そもそも、こういったタイトルがあれば、大体続けた結果を冒頭に持ってくるのが望まれるかもしれないが、結論から言えば、特に心境の変化が起きたわけではない。ただ、4月の自分の誕生日に記し始めてから今までの間に、新卒から続けた外資企業からの転職を決意し、他業界の転職先から内定をもらい、退職し、簿記3級に2回不合格になり、G検定に合格した。めまぐるしく移り変わる現実はすべてそこに記されていたのは確かだ。

 日記の中にもいろいろあり、特に自己実現日記を書くと、目標への距離と足りていない部分が明確になり、実現がしやすくなるというのは有名な話だ。確かにその効果によって、上記の列記事項を達成したのかもしれないが、私の場合、日記を5か月続けたことで、明確に下記三つの効果が表れた。

1.安眠効果

 日記を書き続けることで、それまでは1時間以上かかっていた入眠までの時間が、半分以下に短縮された。私は寝る直前までちょっとしたことでも記せるように、日記をMicrosoft社のOne Noteに書いている。

1年前からメモは全てこのアプリに集約させており、記録媒体としては非常に優れものである。検索機能が充実していてノート管理がしやすく、項目の分類を大→中→小とわけるのが容易だ。クラウド連携があれば、スマホが壊れたり無くしたりする際にデータが消えることもなく、時間がある日はPCから書くこともできる。
だが皆さんは思ったかもしれない。これではスマホと毎晩睨めっこしていることになり、逆に安眠が出来なくなるのではないか、と。
だが安心して欲しい。

一般に文章に落とし込むというのは、思考のプロセスをゆっくりにするという効果がある。それだけでも、何度も選択を強いられる興奮状態の脳を落ち着けることができる。だが、実際に日記を書くことで安眠出来るというのは、科学的に証明されている。例えば、下記の2つなどは良く実践されている例だ。

・エクスプレッシブ・ライティング

感情を紙に書き出すことで思考を言語化し、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌が抑えられ、健康状態が良くなるというパメラ・ピーク氏による研究結果である。

・スリー・グッド・シングス

一日の寝る前に、その日にあった「よかったこと」を3つ書き出すというもので、これを1週間続けると、幸福度が向上して、うつの症状が減少し、自己肯定感が高まるという、マーティン・セリグマン氏、関沢洋一氏による研究結果である。

何も米国の研究に準じる必要はないのだが、実際に安眠効果が得られるのは、少なからずこれらの結果が裏付けとなっている。

それから、私はもう一つ、なぜ寝つきが良くなったのかを考えた結果、一つの結論に達した。それは、「自分で自分の一日を締めくくる決定権を持つ」ことによる安心感を得られるからだ。これに関しては、元駿台予備校のカリスマ講師 表三郎による「日記の魔力」でも同じようなことが語られている。

「忙しいときほど日記をつけなさい」

と語り始める著者は、日記を書くことで、
「自分の人生の主導権を握ることができる」(p. 21)
と言っている。だからこそ、日記を多忙な中、敢えて書くのは、(自分に許した)究極の自由だという。一見矛盾しているようだが、私はこの著者の意見に大いに賛成する。理由はひとえに、自己管理ができるようになるからである。何かに成功した時や達成した時の記憶はだんだんと劣化していくため、その行動を鮮明に振り返ることが出来るように記すことで、未来の行動の指針になるというのである。更に著者は「内省は書いても無駄」であり、「今日からこうしよう」と宣言することで、行動に変化を起こすことが出来る、と言っている。

そう言う私は、内省を実は書きまくっている。
別に日記のスタイル等千差万別で、書きたいように書けばいいという点でも究極的に自由だ。
内省といっても、「あの時11時に起床したから一日の歯車が狂ったので、せめて9時までには起きようと誓った」等である。後は、先ほどのエクスプレッシブ・ライティングの派生版として、「前の職場の納得がいかない点」を殴りつけるように箇条書きでまとめたことがある。10個以上無限に湧き出てくるので少々怖くなったが、3年後等に振り返って、辞めた理由を確かめるのに使いたいと思っている。時にあまりに美味しかったお店やお菓子の名前を忘れないために、写真を挿入したりもする。(これが容易なのは電子版であることは間違いない)

そういった資料のような使い方が出来るのも面白い。

つまり、一瞬で過ぎ去る日々を一旦「その日」として落とし込んで、「自分の一日」として記録を残すことが、何よりも自己肯定感を高めるのである。
だから安眠につながるのだと私は思っている。

2. 語彙力・文章力の向上

なぜ、書きたいことを書くことで、語彙力と文章力が上がるのか…。疑問に思った方もいるかもしれない。だが、これはその日覚えた新しい語彙やニュース等、消え去っていく短期的記録を長期的記録に保存し、後からいつでも振り返ることが出来る単語帳のような役割を果たすからである。

その為には、印象に残るように出来るだけ面白く書くことと、一番覚えていたい部分を日記を開くたびに目につくように、冒頭に持ってくることが有効だと思っている。これはどういうことかというと、例えば One Noteで一番下の項目の1ページを一日分として使用した場合だ。日付を先頭に持ってきた場合は下記のように見える。その真横に、一番その日で覚えておきたいこと、印象に残っていることを書いておくのである。下記は一例だ。ちなみに内容については架空のものである。

5/6 風邪を引いたようだ。38度の熱が出る。
5/7 今日は久しぶりの出社だった。病み上がりには辛いものがある。
5/8  目の分解能は0.05-0.1秒程度らしい。

上記のようなまとめ方が150日分続くことで、日記を開くたびに嫌でも何回でも目に入る単語帳のサムネイルのような役割を果たす気がしている。

語彙力を上げるには、もちろんエピソード記憶も有効だと思っている。ちなみに私は、最近観終えた「ドクター・ストーン」放映分では覚えていたら約に立つかもしれないという知識を定着させようと思い、(炭素と融合することで)地球上で一番固い金属であり、携帯電話のフィラメントのもとになる「タングステン」という名前を覚える為に、

「宇宙最強の耐熱金属、タングステン」と石神千空の「クフフフフ…」という笑い声を融合させ、更に「スイカもみんなのお役に立つんだよ!」というセリフ迄書いてくっつけて、スイカか千空を思い出すだけでタングステンが出てくるようにした…。

文章力が上がる、そう明確に関した理由は、最近訪れた。芥川賞作家である宇佐美りんさんの「推し、燃ゆ」文庫版の「あとがき」に寄せられた文章があまりに美しかったからだ。宇佐美氏は高校の時に日記を書いていたと文中で述べており、内省と記録を繰り返し、完全に整理された状態で記載されていることが見て取れる。完璧な文章のお手本として、ぜひ読んでみるのをおすすめする。


3. 自分が「本当に好きなもの」の明確化

これは、なんとなく分かる方も多いかもしれない。人間は、好きなものは何度だって語るし、共有する。日記を書けば、自分が普段意識していることであったり、自然と摂取しているものは繰り返し登場する為、より「好きなもの」が明らかになる。もっと言えば、「結局自分はここに戻ってくる」モノ・コトや、「これだけは何時間も続けられていた」事柄の記録である。自然とできてしまうものは、日記に記さなければ特に記憶にも残らず、自分の行動を分析することは難しい。

例えばジムに行くことが日課になっている場合は、特に意識せずとも通っているその行動をとらえ、トレーニングメニューを少しでも記しておくことで、日常の連続から切り取って自分の立ち位置を確認するのに、役に立つと思う。もっとも、これは別の計測アプリを使えば済む話でもあるが。(私の場合は、面倒くさいには面倒くさいが、ランニングの時間と速度だけは、せめて書いておくようにはしている)

言わずもがな、良く食べる食べ物は何度も登場するだろう。
勿論、大好きな人の名前もそうだ。その人に怒った時も。

最後に、私は中学生の時に3年間日記を続けていたので、今振り返って、個人的に役に立っている日記の使い方をまとめさせて頂きたい。

・出来るだけ具体的に、感動した場所・店・食べ物の名前を記しておくこと
・読んだ本のタイトルを断片的にでも記しておくこと
・その時良く見ていた動画や音楽のリンクを張っておくこと(これは電子版のみ)

特に、三点目は、嫌なことがあった時に、自分が好きだった動画へ一瞬で連れて行ってもらえるので、とてもおすすめである。
(私の場合は、圧倒的にジェラードンさんの動画が多い。特に下のコントがお気に入りだ)


日記などいつ振り返るかわからない。恥ずかして読めたものでもなくなる時もくるかもしれない。だが、1年後等に振り返った時に、内面の成長等も明確になるのかもしれないと思うと、それも楽しみではある。

いつまで続くか…。
など考えずに書くことを純粋に楽しめることが、社会人にとっての余裕と、自由としての日記なのかもしれないと、大人になったことの喜びを、そこでも感じたりしている。そんなわけで、日記を書くことは、冒頭にも書いたが、「自分の為に書いてあげるか」と、自分を許す時間として設けると、意外と続くものなのかもしれない。

最後の最後に、人間の内面の葛藤を表現するのに、右に並ぶ者はいない三浦綾子氏の「氷点」上巻に出てくる勇気づけられる言葉を引用して、締めくくりたい。

これは氷点に出てくる、啓造という一家の父親が日記を記す理由として「誰かの言葉」を引いたものである。

「日記を三年続いて書いた人間は、将来何かを成す人間である。十年間つづけて書いた人間はすでに何かを成した人間である」

三浦綾子 氷点 角川文庫 p.215

実はこの言葉に励まされたりして書いているというのも多少はあるので、まずは3年間続けてみたら、目標なども達成に近づいているのだろうかと、少し楽しみでもある。(途中表三郎氏の言葉も引用させていただいたが、氏は例の著書を書いた時点で、30年以上は日記を書き続けていた。脱帽である。そして氏は実際に「何かを成した」方である)

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