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26歳1分前。

遠くの籠の中にいる、鳥を思い浮かべた。
灰色で、毛羽立ち嘴の色素が薄くなった老鳥だ。
私は彼に問うた。君は、これまで「生きてて良かった」と思ったことはあったかい、と。ここまでこれて良かったと、一度でも思うことはあったかい、と。

君達が「物心がつく」前に死んでしまう前に、一回でいいから、聞かせてくれないか。生きてて良かった、私の家族の一員になれて、良かった、と。そしたら私は泣いて喜ぶだろう。だけど君は絶対そうは言わないのを知っている。勿論、君からその言葉が聞けたなら、嬉しいさ。

だけど、私は私の「生きていてよかった」を君に任せるつもりはないよ。


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26歳の誕生日を迎える2時間前に、突如訪れた感覚があった。

「あ、生きていて良かった」

それだった。

半出生主義という概念を知ってから今まで、五感に訴えかけるものと自分の間全てに一枚、半透明のフィルターが挟まっているように、生きてきた。母親に「何で生まれてきたんだろう」等、もう何度言って悲しませたことだろうか。

だが……今日のこの感覚だけは、違った。
一人部屋に籠り、誰から話しかけられるわけでもない。
根詰めて終えた仕事のせいか、頭が上手く働かずぼっとしていた。

済東鉄腸の「千葉ルー」を数ページ読んだだけで力尽き、彼が衝撃を受けたという久保帯人のBREACHに、漫画家志望のあの彼が、久保先生のサインを貰った瞬間に再度思いを馳せた。その青臭いが真っ赤な魂の叫びに急き立てられるようにして、慌てて台所に立つ。凍った鳥肉を適当に豆板醬と砂糖醤油、それからニンニクで炒めて焼いて乗せ、凍傷によってぱっくりと割れ茹るうちにメレンゲ状に中身が渦上にでろでろとほとんど漏れ出てしまったゆで卵の残骸を撒いた。料理にも食べるものにも興味はない。毎回絶対に30分以内で終える料理の時間は、全て私の手中にある感覚が嬉しかった。

食への無頓着は昔から変わらない。もう数年前から食べるたび、満足に食べられない人の姿が思い浮かぶようになっていた。欲張ってはいけない、欲してはいけない。食べられることを、奢ってはいけない。食べられる人の為に犠牲になった命を、無駄にしてはいけない。ウェーバーの「プロ倫」ではないが、いつの間にか、禁欲的に生きることを私は美徳としていた。

「自分ルールが多すぎる」。
私のことを良く知る彼は言った。私一人静かに耐えたところで誰も得をするわけではないのに。だが私は気づいていた。自分でルールを作ったのも、自分の自由意志に基づくものなのだ。自分を縛っておきながら、私は実際、生まれた瞬間から、永続的に自由だった。

今日降りてきた感覚は、それに近かったのかもしれない。

「自由の定義は?」

「そう問えること」

最近私の漫画観を覆した歴史的名作、「チ。」の中の登場人物はそう言葉を交わした。自由の中に選択肢があり、私は吐くほど悩む。悩む時間は光陰矢の如く過ぎ去っていく。だが悩むことが出来るのは、その間考える自由があるからだ。「暇と退屈の倫理学」ではないが、私達は暇を暇だと思わないために動き、結果空虚で退屈になってしまう。精神の王国にでも住まわない限り、耐え難い苦痛だ。

だから、だろうか。連綿と受け継がれてきた文学が、人を救うのは。

空虚と時間の余白を、思考実験や生きることの根源を問うことによって解明しようとした明治大正時代の文豪達。彼らとの出会いで、私の中のエネルギーのうねりが、大きく捻じれ始めた。

だがここで「生きていて良かった」と真笑顔で言い放てるまでには、もう少し心に降りた帳を払う必要がある。

なぜなら、「生きていて良かった」なんて、他人に思いを馳せれば堂々と言えないからだ。

「今が幸せ」だというヤツは、他人を常に念頭に置けば自己中で卑しいヤツだと、岡本太郎は言った。「幸せ」という事の自己矛盾を小学生の時から抱えていた私は、その言葉に救われた。と同時に、絶望した。彼の言葉が真理だとすれば、私は永遠に心から幸せになることなど、出来ない。幸せと思える感覚がないなら、苦しみの中だけに「生きる歓び」を見出さないといけないのだろうか?そんなの、あんまりだ。

それでも何とか、暴れる自分を鋳型に押し込めて、その開いた穴から「歓び」の飛沫を時々浴び、甘美な気分に浸ることの出来る「文章表現」に、私はいつしか憑りつかれていた。

昨年から文学に目覚め始めてからは、良く分からないまま文章を書いてきた。物事の理由が行為に先行することはなく、きっかけや動機は今となってはどうでも良いが、確か、立教大学の生協販売店で何の気なしに購入した、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」を読んで頭の中で明確な「救済」の二文字が浮かび、人生が転換した気がしている。

激動の時代を生き抜き、自身の音楽のルーツから7章節に分けて小説を構成するという、チェコの天才作家クンデラの代表作。無論、無知な私は、歴史も哲学もさっぱり頭の中で繋がらなかった。あの頃は、何か凄いものに出会ってしまったぞ、という感覚だけだった。

ああ、一人の人間は、一体こういうことを出来るのだな。

それからは、自然と言葉が頭の中を流れ始めたような気がしている。私はもう憑りつかれてしまったのだ。小説家になったわけでもないのに。小学生の頃崇拝していたあさのあつこの「小説家になれば、自分とは異なる人物の人生も、一緒に動き始めます。世界が広がり、価値観が広がっていくのです」という言葉に語られる、「私一人だけではない人生」が作られることの「希望」にすがってしまう。

そんなことを考える時は、私はいつも、"American Got Talent"というオーディション番組の、応募者たちの言葉を思い浮かべる。大学生の時に、私と同い年の25歳でデビューを果たした

Olly Mursに出会ってからというもの、あの番組には「生きること」を煎じ詰めた答えが詰まっている気がしてならない。

I just wanted to know that my life is so much more than this.

「私の人生にはもっと出来ることがあるんだって、知りたかったの」

とある応募者は言った。その言葉に出会った時は、「私も」くらいに思っていたのだが、今になって、一人でいる時、何故かこの言葉を思い出すようになった。

私は冒頭部分で、「自由」について、触れた。「好きなことを追求する自由」を持って、ステージに立った応募者。彼女の言葉を借りて、それを更に深めれば、私はただ、「何かが出来る」ことの歓びが欲しかったのかもしれない。それが、これまで26年間も生きることを許して貰えた私の、今の答えなのかもしれない。多少のお金と健康さえあれば、意識せずとも、憲法に守られ、与えられるべきその「自由」だが、私は自己肯定感という怪物とも5年ほど闘ってきたため、特別に意味がある。

で、結局私は何がしたいか。

それは結構自分の中で長年ふわふわと安定しないのだが、

最近、また自分に何か憑依してしまったような感覚に襲われた。

私はいつか、人を救う人になれないだろうか?

今は、文章で。いつかは、変わるかもしれないけれど。

漠然とした、それである。

そう思い始めたのには、最近逝去された、大江健三郎氏の作品に出会った事が大きい。

「飼育」が、第二次クンデラショックを、私に与えた。感想や考察を述べればきりがないので省略するが、「人間の文章はここまでのことが出来るのだ」という、また私の狭隘な世界の壁を何枚も打ち破り、私を新たな「自由」に触れさせた。

今、人間が書く文章の力とは何だろう。

近頃、急速に開発競争が進むジェネレーティブAIの技術に絵描きやコピーライターの仕事が奪われた、というニュースが絶えない。正直、心が痛む。スキルを持ったものでさえ、仕事が奪われる、と騒ぎ立てる人たちがいる。私はただ黙って記事の文字を追うだけだ。これではまるで、メディア社会学で有名な、1935年の「宇宙人の侵略」で100万人の米国人を恐怖に陥れた、ラジオ放送そのものではないか?社会実験のような歴史が、目の前で繰り返されている。そう感じる。特権階級と下層階級の認知の歪み、人間の弱さと希望の中にある絶望を描いた「金融義賊」の作者F氏は、「結局、AIは人の役に立つために使われるのではなく、格差を広げるためにあるのだ」と述べていた。そのうち法律が改定され、遂にAIとの共存に関する法律が議決されるかもしれない。

この時代において、私の上司は言った。

「そのうち、AIが文章を書くようになるのかもねえ」

いや、もうなっている。だけど、だから、何だというのだ?
F氏の言葉を借りれば、「くそくらえ」だ。

何百年にもわたって人を救ってきた文章が、簡単に消えるわけがない。

私達は、そこまで愚かではない。

なぜ今、平成初期のアニソンが再びリメイクされ、登場しているのか?

なぜ、人はキャンプへ、山へ行くのか?

過去の人類が築いてきたものを失わないように、私達の遺伝子が訴えているからではないのか?

なぜ、何度も何度も、令和のアニメの中でさえ、孔子の論語や、芥川龍之介やカフカが今になっても引用され、論じられるのか?

文章は人を救える力があるから。

きっとそういう事なのだと思う。

令和と言えば、若者を中心に絶大な人気を誇るバンドの、マカロニえんぴつは「夢を見失った若者たちは、希望を求めて文学を」と、「ヤングアダルト」のAメロで歌う。今日も私はそれを一日中聴いていた。少しでも希望を与えてくれた、文学。クンデラから始まり、阿部公房、遠藤周作、桜庭一樹、それから大江健三郎。何度も彼等の作品を読み返し、私は、迷いながらも、希望を追い求めたい。

そう思える何かに出会えたことと、それを肯定出来ていること。

それが仮に文学でなかったとしても。

それが、私にとっての自由であり、「好きなことを追求すること」であり、

「生きていて、良かった」と思える瞬間だった。

どうやら私の25歳は、ここで一旦幕を閉じ、新しい章が始まるようだ。


明日実家に帰ったら、もう一度鳥の目を見つめてみよう。

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