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エッセイ:去り行く人とまた会う日まで(令和の時代に、家族を考える)

弟が実家を出てゆく日が来た。
この日が来るなど、夢にも思わなかった。
パラサイトシングルで一生を終えるのではないかとヤキモキしていた私だったが、意外とあっという間に自立の時がやってきたらしい。
引きこもりで、常に親に反抗的な弟が。
誇らしい、などおこがましい。頑張れよ、も違う。
ただ、弟の自立を機に、数奇な運命の巡り合わせについて、考えざるを得なかった。

 実は私と弟は、かなり仲が悪い。

 同じ屋根の下に住んでいながら10年間程度ほとんど口を聞いていない。
まあ、それでもしっかり家族をしてきた。
本当に必要な時は最低限の言葉を交わしていた。
 一年のうちに数回顔を合わす程度でも、お互いのことは両親に聞いたりして、自分たちなりに気遣い合い、把握していたと思う。
 
 幼い頃はかなり仲が良かった私たちも、成長するにつれ、すれ違いのせいで結局、まともな会話の仕方も忘れ、気づけば学生を卒業し、働くようになっていた。内向的と外交的の極地にいるような私達は、全く対照的な性格で、弟は私の暑苦しさを「ウザい」と思うようになったらしい。
それでも、だ。2年前に、初島の旅行に家族で出かけた時。普段決して交わない弟が参加したことがあって、そこでも一切言葉を交わさなかったが、そこに流れる空気は別に不自然でもなんでもなかった。未だに、食べた料理や会話を思い出し、良い思い出だったとすら思う。

 凄く表現しにくいが、仲が良くない家族に向ける感情は、どれだけ心理的に距離が離れていようと結局のところ「愛情」な気がしている。
苦労をほとんど知らずに育った奴だから社会の荒波に揉まれることだろうが、なんだかんだ、上手く生きていってほしいと思う自分がいる。

 弟と会話をした期間なんて、本当に10年もあったかないかくらいだった。これから関係が修復するのか、ますます疎遠になってしまうのか、親に何かあったら…少し不安にもなる。ただ、一つ言えること…ある一定の期間を共にした関係性というものは、血縁関係のある家族であろうとなかろうと不思議な連帯を生み出す。
 英語には "‘You'll always hold a special space in my heart"(私の心の中にある、大切なあなたがいる場所)という表現があるが、まさにその表現のように、どこか、考えたり想ったりする「スペース」は、これからも消えないんじゃないかと思ったりしている。

お互いの近況報告でも…。
そんな日が訪れるのは、そう遠くない未来な気がしている。


私は家族、もっといえば「縁」について、最近思うところがある。


 私には21年間の仲である幼馴染がいる。
彼女は数年前に、地元を出ていったのだが、昔は毎週のようにサイゼで集まって「粉チーズ」だけ頼みながら良く深夜までだべっていた。彼女が数年前に地元を出てからはその機会は無くなっていたのだが、本当に偶然、私自身の引っ越し先でも距離が近く、結局毎週のように会うことになっている。

 彼女と私の縁も不思議なもので、実家同士が数100mの距離に住んでいながら、幼稚園・小学校ではこれもまたお互いの性格のせいでほとんど交わることもなかった。小学生の気質や生活リズムは、家庭の影響が色濃く現れるのだから、仕方がない。地元の幼馴染たちの中でも、ハマる人もいればいけ好かない奴だっている。
 だから、もうこれから縁も薄くなっていくのだろうと思っていたところ、ひょんなことから大学でバイトの職場が重なり、面白いもので、かなり仕事が出来ることが発覚した彼女に私は感化され、大学の第一志望に落ちて燻る私に彼女は興味を持ち、性格以外のところで、お互いを面白がり、好きになったのである。
 8年の間にお互い全く違う学生生活を送ってきたことが、お互いの興味を引き、経験や苦労を分かち合うことが出来るようになっていた。大学時代は、冒頭で述べたようにほとんど毎週のように遊んでいた。
 普段の生活だけでなく、私があまりに酷い男性と付き合っていた時も、離れ、回復するまで、とことん付き合ってくれた。彼女は、家族以外で、私の幼い頃の気質も生い立ちもバイアス一切なく知っている、人生のメンターのような存在になっていた。性格こそ違えども、お互いを尊敬していた。

 彼女が地元を離れた時、会う機会がぐっと減った。
毎日のようにしていたラインも何だか気まずくなり、また、心理的な距離も離れた。自立したんだし、離れてゆくのも当たり前、そう思っていた。

 だが、最近になって、また毎週のように会っている私達がいる。本当に偶然、私が別の友人に紹介してもらった引っ越し先が彼女の住居と近く、気づけばふらっと会うことが日常になっていた。
 まあ、言葉を濁さずにいうと、腐れ縁なのかもしれないが。
(良い意味で使えるとすれば…)
 
 割と奇跡的な巡り合わせだとは思っている。21年間お互いを知っていることもかなり稀であるし、つかず離れずを繰り返して今また近くなるという運命を辿ることも予想し得なかった。これからまた離れることもあっても、おそらく、死ぬまで本当の意味で袂を分かつことはない気がしている。これまでも心の底からお互いを嫌い合うことがなかったからこそ、また距離が近くなったのだとも思っているのだから、物理的に離れている間も支えになっていたことはまず間違いない。

 さて、ここまでくると、私は思う。
「彼女は、もう家族の一員なのではないか?」と。
「家族」と表現するのにはおこがましいのかもしれないが、弟との関係を想起したとき、どうしてもその言葉がしっくりくるような気がしている。

 今でこそ、親子関係に変化がもたらされつつある日本だが、昭和の時代から、「核家族」やサザエさん一家のような”Extended Family"が家族の形として、特に昔から定着している概念として有名である。
 一方で、メキシコ(ラテンの国々)の概念には、"Family"が、友人や近しい人たちを指したり、アメリカでは、仲の良い友達グループを”We're the fam”とか呼んだりする。

家族の形は、国と文化、そして時代によって、呼び方も、対象も全く異なる。

その形を良く表現した歌として、Rina Sawayamaの "Chosen Family"には、下記のような歌詞が出てくる。

"Chosen Family"

We don't need to be related to relate
We don't need to share genes or a surname
You are, you are
My chosen, chosen family
So what if we don't look the same?
We been going through the same thing, yeah
You are, you are
My chosen, chosen family

by Rina Sawayama, Elton John

https://genius.com/Rina-sawayama-chosen-family-lyrics

 今の日本は、令和はどうか。
 2020年より猛威を振るっているコロナウイルスが、地方の学生のIターンを引き起こしたり、逆に家族との隔離を引き起こす中、家族の存在に変化がもたらされることは、多少なりとも起きていると思う。
 私自身がそうだったが、未曾有の事態は、家族の間に隔離と障壁をもたらした。2年前、大切な家族であった祖父と結局、最後まで面会が出来ず、病院で一人、亡くなった。
 家族であってすら確定的な事実、変わらぬ関係などないと思い知らされる。その中で、血縁関係のある家族だけが家族でなくなることも、多いのではないかと思っている。

 家族にどうしても芽生えてしまう愛情のような何かと、大切な時期を共有した仲間や友人。この二つを分かつものなど無く、敢えて家族という言葉で敢えて表現をしなくても良いかもしれないが、ただ、そう認識することが私たちを救う瞬間があるんじゃないかと思う。

 プロポーズの言葉、「あなたと家族になりたい」、という愛情表現。
恋愛においても、好きな人と家族になりたい、と思うことと、友人をそう認識する時に生まれる安心感に共通する部分がある気がしている。
(ちなみに恋愛における愛情と友情は似て非なるものであるから、一般に友情の方が長続きする、とは言われているから安定性において違いはあるかもしれない…)

 一方で、家族のように慕っていた人が突然裏切ったり消えたりと、世の中には、不確定要素が多すぎる。悪い人も確かにいる。自分から察知して離れられるほど、みんながみんなそんなに器用ではない。
 自分はこれまで、人生の数奇な人との縁、巡り合わせには感謝することも多かったが、打ちのめされてしまう事も何度もあった。就職や独立を経験すればするほど、できることなら、仲が良い人たちだけで一緒にいたほうが心が傷付かなくて済むのではないか、と閉じこもりたくもなる。

 そんな中、どんな距離感でも結局、お互いを想い合う家族はやっぱり精神的な支柱であり続けたと思う。私と弟のように、わがままでいても、喧嘩をしようとも、そこに言葉がなくても、愛情はあったのだと思う。

 だからこそ、自分を支えてくれる人たちを求めるとき…その時に、少し「家族」という言葉の意味を再考して、血縁関係や距離に関わらず、どこか気遣い、どこかでやっぱり愛している人たちが、令和における(少なくとも私にとっての)家族になり得るのかもしれない、と、ふと思うのである。


 弟には、幸せになってほしい、とひっそりと思っている。




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