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自分の人生が誰かの模倣だっていい。

近頃、あれ?と思うことがあった。
仕事を辞めた後、1か月の休職期間、私は旅行を企画していた。
コロナ明けの夏を迎え、駅中に現れる国内旅行のポスターを眺める。
人気の観光地は、伊豆か。軽井沢か。はたまた、世界遺産巡りか。
皆が「行って良かった」と言っていたところへ、TVロケで芸人が食べ歩きをしている街へ、行ってみようか。

だが、計画を進めている最中に、私は気づいた。
あれ、これはあのポスターの、友人の、芸人がしたことをしたいと思っているだけなのかな……?
「良さそう」、そう思った自分は、本当に自分から行きたいと思ったの?
そもそも、自分から「行きたい」と思う場所なんて、あったのかな?

そんなことを思うようになったのには、きっかけがある。

2週間前、衝撃的な本に出会った。
ルーク・バージス著「欲望の見つけ方」という本だ。

「あなたの行動のすべては、模倣で説明ができる」

そう言い切る筆者の圧力にその内容に、私はもう閉口した。
手に取ったきっかけはその謳い文句「お金・恋愛・キャリア」に対して何か劇薬的なヒントが得られると思ったからで、まさかこんな話だとは予想だにしなかったのに。

この本は、ルネ・ジラールという人類学者が説いた「ミメーシス(模倣)」理論をもとに、「人間は動物の中でも最も模倣に優れている」とし、これでもか、というほど無数の「模倣」が要因となっている世界のマーケティング例などを挙げ、私達の行動を振り返らせてくれる。もっとも、人間の赤ちゃんはやはりお腹にいる時から音楽を聴き分け、生まれて数秒で人の表情を真似る能力を獲得しているらしい。彼はこの能力が、令和で情報が溢れる今、私達の心をざわつかせる原因だと論じる。

「動物は、音、表情、ジェスチャー、攻撃などの行動を真似る――引退計画、恋愛の理想、性的な創造、食事の支度、社会規範、崇拝、プレゼントの監修、同業者間の定義、ミーム。私達は真似ることに敏感なので、許容できる真似から少しでも逸脱すると気づく。もらったメールやメッセージの語調がおかしければ、私達はちょっとした危機に陥る(彼女は私のことが嫌いなの? あいつ自分のほうが偉いと思ってるのか? 私何か悪いことした?)」

である。誰もが経験したことがあるのではないだろうか。
確かに、ラインなどのやり取りは「なんか今日冷たくない?」などとは私も何度も思った気がする。読めば読むほど、自分のこれまでの行動原理が説明できるような気がして、私はこの本を読み終えるのがとてもつらかった。

因みに、作者は最後の結論として、「(それが)行動であること」「自分でよくやったと思っていること」「充足感をもたらすこと」の3つが、模倣に負けない自分にとっての人生を描くことのヒントであるとするが、私には無数の例をぶつけられても、どうも実感が湧かなかった。

だから私は、転職までの1か月で、私は考えて考えて、考え抜いた。
特に何かを達成したわけではないけれども、今の社会に心をすり減らしてばかりの私に、この1カ月は、必要な休息だったのだと思う。

どうしたら、情報に刺激を貰いすぎてしまう令和の時代に、周りの「模倣」でも「社会からの焦り」でもなく、「自分が好きだ」と言えるもので、自分の人生を彩れるだろうか。そもそも、自分が本当に好きなものって、なんだったっけ。

何かを「好き」と言えること。「愛情」を感じること。「愛を込めること」。"Likes" と"Love" がSNS上でこんなにも簡単に与え合える時代で、自分にとっての「愛」=大好き、はどこにあるんだろうか?

「愛」について考える時、2つの曲が砂時計のように脳内で行ったり来たりし始める。

一つ目は、不動の世界的人気アニソン、YOASOBIの「アイドル」
イントロでもなく「誰かを好きになることなんて私分からなくてさ」の転調が特徴的なBメロでもなくサビでもなく、Bメロが私の脳内を搔き乱す。

何を聞かれてものらりくらり
そう淡々と だけど燦燦と
見えそうで見えない秘密は蜜の味
あれもないないない
これもないないない

好きなタイプは?
相手は?
さあ答えて

YOASOBI 「アイドル」

この歌詞は、「愛すること」とは何かの実感が湧かず、圧倒的な若さで天賦の才に恵まれていたが為に、周りに注目されるようになってしまった主人公の一人「アイ」の心情を良く現した表現としてかなり印象的なものだ。

私はこの歌詞に自分を重ねた時、社会人3年目の私がスマホを開くたび、ニュースを耳にする度に、センセーショナルな情報に振り回され、「のらりくらり」と行き当たりばったりに興味の対象に飛びつき、「ああでもない」「こうでもない」「好きなものは何だ?」と自問自答している姿が浮かぶ。

確かに、好きなものにはもう沢山出会ってきた。
その反面、自由な時間が年々少なくなっていく、社会人の私は、「好きなことに時間を費やす」ことの意味を真剣に考える。「一体自分がしたいことは何だ? 好きなものは何だ?」と焦る私の姿が、自分にとっての「愛」の答えを見出す旅路に出るアイと重なる。それは、正直言って息が詰まる状態なのだ。SNSを使用している人なら誰しも、「このままでいいのか?」というマーケティング宣伝手法が、私達の不安を煽ってくるのは、誰もが経験したことだろう。

二つ目は、地球の裏側アメリカ出身の、グラミー賞歌手「ジェイソン・ムラーズ」による "Love is still the Answer"(ラブ・イズ・スティル・ジ・アンサー)。

The question I'll ask at the end of my days
Is what did I give and what will I take?
There's only one answer that matters 
Even if your heart and your dreams have been shattered
Whatever you want, whatever you are after
Love is still the answer

一日の終わりにぼくは自分に聞いてみるんだ
僕は一体今日、何を与えて、何をもらったらいいんだろう?
だけどいつだって、答えはたった一つしかないことに気づくんだ
たとえぼくらの気持ちや夢が閉ざされてしまったとしても
ぼくらが何を望もうとも、なにを目指していようとも
「愛」がすべての答えなんだ

Jason Mraz "Love is Still the Answer"

彼にとって「愛」とは、「(人や対象に)何を与えて、何をもらうか」だという。定義も多様な「愛」について言語化するのに、現在活動している世界中のアーティストを集めても5本の指に入るくらい(と私は少なくとも思っている)優れた表現力を持つムラーズは、これまでに、"Living in the moment" や ”3 things"で「自己愛」、"Have it All"で「隣人愛」、"Let's see what the night can do" や "Lucky" 、"Beautiful Mess"で「恋人への愛情」、"Going back to the earth"で「自然や地球への愛」を歌っている。

そしてこの歌で、「人類愛」を表現した。上記のミュージック・ビデオでは、ジェイソンは最初にこう説明している。

僕は色々な人から、彼らにとっての「愛」の答えを聞いてみたんだ。
そしたらこんなものが出来上がったよ。ぜひ観て欲しい。

ジェイソン・ムラーズ

そして流れ始める、お互いの顔を引っ張り合って悪戯をする二人の兄弟。一緒に海に飛び込むサーファーのカップル。太陽。海。ヨガ。愛する娘・息子との一コマ。笑顔が私に伝播する。私の表情が柔らかくなる。
どの動画を切り取っても、ここまで手を止めてまでして、ずっと観ていたいと思う動画は、なかなか無い。最後には、どうしても涙が頬を流れてしまう。

動画を何度も再生して、私は思うようになった。

「いつだって、私達の心を感動させるものは、こんなにもシンプルなのか。皆にとっての「愛の答え」は、どうして動画を観ている地球の裏側の私の心を揺さぶるのだろう。私は、いつから煩悩に頭を悩ませ、周りに左右され、シンプルな「愛」を感じられなくなったのだろう」

そうやって、「いつまでたっても好きなことが分からない」際限ない焦りと「この上なくシンプルな行動や瞬間に垣間見える「幸せ」自体がもう答えであるという事実」は、私の心を揺さぶり続けていた。

だが、それは8月に入り、転職前の有給をゆっくりと消費し、「自分が好きだと思えるもの」に真剣に向き合ってみて、あることを始めるまでのことだ。

私の密かな目標である「自分の納得の行く小説を書きあげる」ことを達成する為に、2週間の間は1日8時間以上、机に向かって執筆を進めていた。だが2週間経ったある日、「好きなことをやっている」はずの私は、ふと猛烈な恐怖に襲われた。

「いやいや、好きなことって、もう自分26歳でしょ?
2週間あったら、資格取ったり勉強でもして、旅行でも行って、今しかできないことすればよかったじゃん。早く!夢なんて語ってないでさ!現実を大事にしようよ」

私の心の中の「アイ」が、そう叫びながら、強く心の扉を叩いてきた。
するともう一人の登場人物が、私の心の中で言い返してきた。
それがこのお方だ。「ブルーピリオド」の原作ファンで分かる人には一発で分かる「佐伯昌子」先生。

ブルーピリオド公式HPより

独学で東京芸大への合格を目指す主人公八虎の成長と葛藤を描いた「ブルーピリオド」の1巻では、彼の高校時代の恩師である佐伯先生の印象的なセリフが出てくる。

佐伯先生の名言としては、「好きなことをする努力家は天才なんですよ」の方が有名だろうか。「好きなことウエイトを置いたって良い」。この言葉ほど、私を肯定してくれるものはなかった。今年の春にこの言葉に出会って以来、私は「今やっていることは本当に意味のあることなのか」と感じた時は、先生の言葉を何度も思い出すようにしてきた。

この言葉を胸にしまいながら、私は小説を書いた。
あっという間に、2週間、経っていた。出来てしまった。佐伯先生の言う通りだったのだと思う。八虎が夏休みの間に、何十枚もデッサンを進めてしまったように、私は夢中になれたのだと思う。

その分、残り2週間になって、怖くなった。
「これだけやっていれば良い」と自分を騙しきることが出来なくなった。1か月の間、他にも私にはやりたいことがあったのに。好きで自分を欺き続けられるのか? 好きの最後には、何が待っているのか?

悩んだその翌日、私は海外へ行くことを決めた。
(突然、と思う人もいたかもしれないが、しっかりとした理由があるので安心して欲しい)
私は、中学でニュージーランに10日間ほどホームステイして以来、海外生活とはつくづく縁がある人生を送ってきた。何度も滞在して、実際、英語を使って誰かと話すことは、私のアイデンティティにもなりつつあった。円安、時差ボケ、小説の時間とのトレードオフ…。色々と不安要素は多かったが、私は発つ1週間前に、シンガポールに住む友人に連絡を入れた。

ものの10分で、往復のチケットを取って旅発つ。
高校の友人、それから前の職場で出会った友人と、5日間中4日間も沢山時を過ごして、語らって、(普段は節約している(?)分)美味しいモノを食べる。ああ、私はこれが大好きだった、そう心から感じた。友人との会話も、スマホの情報なしに街を歩いて発見に体を預けるのも。これだって、この上なく好きなことの一つだ。もう一度、私の身体感覚で、取り戻すことが出来た、大事な瞬間だった。

旅行の最後に、私はふと、こんなものを書いていた。(もはや雑記なので読めないかもしれない、申し訳ないです)

・紛れもない人生を豊かにする要素
・最終的な目標
・それから、達成してきたいこと

旅行で、私は自分が好きだと少しでも思えるものに、その場で向き合うことがいかに、自分らしさを思い出させてくれるかを知った。
「紛れもなく私の人生を豊かにするもの」
これは、もうずっと昔から、これからも変わらないのだと思う。
これまで積み重ねてきた好き、の結果それを見つけたことは、時間の無駄でもなかったし、やり切ってみて、全く後悔はなかった。

帰宅して、私はもっとその人生を豊かにするもの、へと向き合ってみた。
私はそのついでに更に深堀りして、こんなものも書いてみる。
音楽、映画、食べ物。場所。私が好きなものをわざと具体的に記録していく。思いついたら、その場で書く。後で振り返る。嫌な気分になったら、無理にでも開いて覗いてみる。そうして、これを「私が選んだ好きなもの」だと言えるように貯めていく。

こんなに単純で、誰もが思いつくことかもしれない。だが、実際にまとめてみると、不思議な安心感が得られるのだ。私が毎日日記を書く理由は前のエッセイで述べたが、「自分の人生の主導権を握ること」に近いのかもしれない。

これまで、「模倣」でない自分が選んだ人生を生きていくこと、について考えてきたわけだが、結局のところ、例えば趣味や仕事や家族との時間など、「今ここにあることとこれまでの軌跡」を肯定することを「連続してできれば」、文章やメモでなくても、不安は少しずつやわらぐ助けにはなると思う。言うは易く行うは難しなのは承知だが、もしこの方法で少しでも悩みが消えるなら…。試す価値は、少しはあるのではないかと思っている。


最後に、私の最近はKANA-BOONのこの曲で彩られている。
今まで色々な文章を書いてみたが、結局、この一文が全てだと思う。

君の人生はファストフードじゃないぜ

ソングオブザデッドより

ファストフードじゃないこの人生、敢えて何かを書いて自分が好きなものを整理してみること…。そんな時間が敢えてあっても、悪くはないのだなと思う長い夏休み明けの26歳の今日この頃だ。

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