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さあ、行こう

最近、頭から離れない曲がある。
自転車を漕いでいる時、イヤホンで耳を塞いではいけないという法律が日本にはあるが、寧ろ自転車を漕いでいる時にこそ(しかも両足をペダルから解放してワーッと坂道でも降りながら)聴きたくなる、とある異世界ファンタジーアニメの主題歌だ。

その名も、
「息を吸う、ここで吸う、生きてく」
歌い出しはこうだ。

息を吸う ここで吸う 生きてく
思い出の中にいつもあなたがいて
そして始まる Beautiful Day

「息を吸う ここで吸う 生きてく」より

ここ数年の異世界ものの主題歌をいくつも担当している、「ゆいにしお」の曲。彼女は言うなれば、「澄み切った青空の下、洗濯物を干して、あまりに気持ちいいのでお隣さんに笑いかけてしまうような」歌声と世界観を持つ、新進気鋭のシンガーソングライターだ。

今年の春アニメに2期を控える、「真の勇者じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました」

という大人気な異世界スローライフものに、作品を良く理解している以上に、「この作品が今の時代に存在する意味」をスパイスとして加え、この作品の味わい深さを更に引き立たせてくれる超納得な役割を持つ、いわゆる神曲だ。「ケッ、また異世界かよ」と決して食わず嫌いせずにぜひ一度聴いてみて欲しい。

YouTubeのコメント欄から見てもわかる通り、この曲、アンチコメントがほぼゼロに等しい。まあ、当たり前のことなのかもしれない。サビでいきなりスッと優しく息を吸い込んで、「息を吸う」と始まるフレーズを聴いた瞬間、肩の力は抜け、私達は思う。

「あ、これでいいんだ」

と。「これで」と言うのは、「今のままで」、とか、寧ろ「今が」いいんだ、という最大級の「今の自分のまま」の肯定だ。そのフレーズのすぐ後に畳みかけるように、「ここで吸う 『過ぎてく』」が吹き込まれる。自分の居場所を知り、肯定し、流れる時間をそのまま受け入れる。まさにかの有名な下記の名著のエッセンスを詰め込んだよう名曲だと思う。

ここでもう一歩踏み込んで、上記で紹介したアニメの内容に触れたい。

生まれつきの「加護」が才能を左右する世界で、戦闘の指揮を行う「導き手」として魔王討伐パーティーチームに貢献していた主人公レッドが、その才能の目立たなさ、仲間からの嫉妬によって突然追放されてしまい、とある辺境の町「ゾルタン」で薬局を運営しながら、自分を慕ってくれる人達の心の支えとなっていくというものだ。(あくまで一番おいしい部分のネタバレはこれでも、伏せている)
そんな、現代のノマド的生活、二拠点生活、田舎暮らしなどのブームを彷彿とさせる正真正銘の異世界スローライフものだ。そう、私が度々noteに書いてきた、「激動のAI社会の中に迷子になりがちな自分」に手を差し伸べる、心の置き所ともなるアニメなのだ。

「生まれ持った才能」で魔王を倒し数百万人もの命を救う英雄になれたはずの主人公レッドが、自分にとっての幸せを見つけ、辺境の町ゾルタンの周りの人達を幸せにしていくことに徹する。その中で、必ず誰しも「これは今の自分のようだ」と共感するキャラに出会える群像劇となっている。

出典:https://natalie.mu/comic/gallery/news/443095/1654277

特に、物語の中盤、ゾルタンの精鋭を率いて、魔王討伐軍に参加し英雄になることを生きる目的とする若き戦士「アルベール」が、才能のある主人公レッドを自分と共に前線に復帰するよう勧誘し、対立するシーンは、異様なほどに胸を打つ。彼の悲痛な叫びと苦悶の表情は、「今の新卒は自分が望む部署に配属されなかったり、スキルが得られないと見限ればすぐに退職を決める」と最近ニュースで話題の、今の時代の若者のアイデンティティ確立を目指し奮闘する姿を映し出しているようだ。

出典:https://ktv-smart.jp/store/movie.php?id=A204851004999H01

俺はこのゾルタンがつくづくいやになった
アウルベア(※初中級のモンスター)
を倒すだけで騒ぎ立てるような町
そこで英雄を気取る俺は何なのだ
この街で終わるのであれば
俺の人生とは何のためにあったのだ

今こそ英雄の加護にふさわしい俺に
本当の俺に変わるのだ
せめて英雄に倒される敵としてくらい
俺の人生に意味を持たせてくれ


ーーアルベール

アニメ 第1シーズン 第6話

結局、主人公レッドはいくら自分に世界中の人々を救う才能があろうと、「自分にとっての幸せ」は歴史に名を残す英雄になることではなく、「小さな町で好きな人達と過ごしていくこと」、自分に英雄になる資格はなく、町を背負って立つ覚悟のあるアルベールこそ英雄に相応しいのだと伝え、アルベールは泣き崩れる。自分の才能と、自分が本当にやりたいことは関係がないという事実を、彼は受け入れられない。これも、今の若者の、「やりたいこと」に耳を傾けるというよりは、自分を磨くために居場所を点々とし「続けられる何か、そして自分の居場所」を見つけようとする姿に重なる。勿論、ジョブ型採用がより浸透してきた今の日本社会には寧ろ好ましいのだろうが、以前の記事でも触れたことがあるがその分、迷いや焦りが生じやすい。

主人公レッドは既に「英雄」ではなく「町人A」として生きていくことを決めたのだ。それは過去に魔王討伐軍で活躍した記憶が実際にあるからとも、好きな人達の側と過ごすことが英雄になることよりも価値があると気づいたからともいえる。とにかく、他人は一切関係がない。「自分にとって」幸せかどうかが全てなのだ。世界中の民を救う役割を放棄したことで、後ろ指指されることもあったとしても、彼は自分の選んだ人生を生きる。

残念だがこの時点でレッドは、他人と自分を比較してしまうアルベールより、格段に幸せなのだ。

出典:https://animeanime.jp/article/2021/10/20/64768.html

私は、彼のこの決断に、周りの声に惑わされず、自分が生きたい人生を送るヒントがあると思っている。勿論、アニメの流行は社会的情勢を与して初めて成せる業だ。だからこそ、最近Netflixに初登場してはランキング上位に食い込んでいく「異世界スローライフ」ものに出会った視聴者達に、このゆいにしおの曲が刺さるのは自明のことなのだ。

離さないで このすばらしい日々を
また目覚めて 食卓につくの
息を吸う ここで吸う 生きてく

「息を吸う ここで吸う 生きてく」より

実際、自分の才能やスキルに関わらず、「自分のしたいことだけを追求して生きていく」主人公像は昨今の異世界アニメに浸透しており、商人として大成するスキルを十分持っていながら「あまり目立ちたくない」と異世界を「放浪」する「とんでもスキルで異世界放浪メシ」や、

「異世界のんびり農家」など、過去の自分の人生とは全く異なる自給自足生活を送るチャンスを与えられた主人公のハーレムもの等が動画配信サイトで上位に食い込んだりしている。

これらのアニメの主人公に共通していることが一つある。
それは「自分の才能やスキル、生まれ育った環境に関わらず、『自分にとっての幸せ』を追求すること」だ。欲望のままに生きると言えるかもしれないが、ある意味取捨選択を最もシビアに行った決断と言える。

この決断が、どれだけ身を軽くするか。
非常に前置きが長くなったが、今日私はこのことについて、このnoteで語ろうと思っている。

ここまで私が3,000文字も異世界アニメを語ってしまったのには、理由がある。
前回の記事に少し私自身の現状を書いたが、2月から今まで、私は失恋のショックと過労から適応障害を発症し、仕事を休んでいる。前回記事を書いたのが2月の後半だったが、命からがら書き残したあの日から、私の症状は悪化し、平日はほとんど横になっているか、起き上がってご飯を食べているかしか出来ない日々が1か月以上続いた。休日はもともと入っていた約束は破らず、半日ほど家族や友人達と過ごして、後は家で倒れるように寝た。4月に入ってから体調がだいぶ回復したので、またこうやって文章を書くことが出来ているが、未だに一日動いた日の次の日はあまり動けず、リハビリが続いている。

「適応障害」、つまり軽度のうつ状態は、軽度であっても本当に恐ろしかった。うつ状態にも勿論落ち込みの深さや体調の振れ幅はあるというが、共通しているのは「物凄く疲れやすい」状態が続くということだ。家の外に出る、歩く、会話をする、起き上がって作業をする、人間の文化的な生活におおよそ必要な全てが、後から疲れという反動となって跳ね返ってきてしまう。医者が積極的に行けと薦めた旅行の途中でも、一時間は車やレストランで突っ伏して寝てしまう。全くもって、別人だ。外に出られている以上、大丈夫そうに思えるかもしれないが、重しのようにガンガンと積み上がっていく疲労におびえながら過ごすことが、特に前半は多かった。内面は「何も普通にできない自分」に変わったのだと常にうっすらと絶望していて、特に大好きだった本が読めなくなり、文章が書けず、「やりたいこと」が考えられなくなった。

どういう訳か、活字が本当に読めないので、ニュースや本や漫画は一旦諦めて、受動的に流れてくる視覚、聴覚の情報だけをたよりに、適当にNetflixやYoutubeの動画を流し、寝ていた。
仕事に戻る気にもならず、別人になってしまった自分のまま生きることを受け入れ始めた、その時、とある動画に出会った。

「フェルミ大学」で紹介されていたのは、休学してベンチャーで夜通し働き、周りに追いつこうと何度も自分を追い込んだ結果、うつ病を繰り返し発症し、今では週2のバイトと複数の稼ぎ口を持ち、インフルエンサーとして活躍する「デラさん」の初の著書の紹介動画だ。始めは自分は「うつ病」とは違うだろうな、と何となく一歩下がって観ていたのだが、途中で私の胸に染み渡るある言葉に出会う。

「村人Aとして生きる」

そのたった一言。それなのに、出会った瞬間、私自身をここ数年間縛り付けていた呪縛から解放された気がした。そうか、「何者」かになろうとする自分達、これまでの「外資系企業で高年収を稼ぐ自分」でもなく、「文系だけど独学でプログラミングも出来る自分」でもなく、「作家になった自分」でもなく、「ただXX県XX市XX町」で暮らす自分として(好きなことでもして)生きていくという考えがあったのか、というより「生きていっていいんだった」、そんなシンプルなことに、筆者のその表現一つで気づいたのだ。そんな一言で価値観がガラリと変わってしまうほどに私は自分に厳しく、他人を意識しながら生きてきてしまったのだと思う。(特に高学歴や、家が厳しかった人間ほどこれに陥りやすい気もしている)

動画では要約のみだったため、せめてこのフレーズの周りだけでも原文を読みたく、思わず購入していた。そこに書かれていたのはこうだ。

たとえて言うなら、ドラクエで最初の村出てくるような "村人A"、つまりサブキャラ。

主人公である勇者目線だと、そんなに印象深いキャラではないかかもしれませんが、彼にも楽しく生きる権利はある

勇者ほどの力や華々しさはなく、誰からも注目は浴びないけれど、村人Aには村人Aなりの楽しさが必ずあるはずなのです。

「うつ病で20代全部詰んでたボク」が回復するまでにやったこと」P.33

村人Aとして生きることは、「諦める」こととも、「大望を捨てる」こととも違う。生きる以上様々な欲求が生まれ、いつ人生が転じるかなど分からない。ただ、「自分がこういう人間だから」と知ることから始まる、と言っているのだ。実は、この本に一貫して書かれていることは、「うつ病」への対処法は勿論のこと、究極の「自己理解」と「再構築」の方法なのだ。そして、どんな自己啓発本よりも自分に優しくなれる、セルフケアの本。
この本は、精神状態に関わらず、「今の社会や生活にうっすらとした不安や不満」を抱える人や、人生の意味を考えてしまう人にも、ぜひ読んで欲しい一冊だ。

今回精神病に罹ったことで、私は自分の「キャパシティ」を知った。どんな時に無理が出来てしまうのか、追い込んでしまうのかを知った。あまり労力を割かずにできることと、どうしても苦手で時間がかかってしまうことを知った。私は体力はないし、うっすらと人の役に立ちたいと思ってはいつつも、やはり常に自分より他人を重んじる社会への大義もない。それを誰よりも深く自分が理解して、「息を吸う ここで吸う 生きてく」スローペースな思考で日々を送ることと、先に紹介したアニメの「アルベール」のように自分を運命だとか人生の意味だとかに縛りつけられながら生きるのでは、今後の自分への「いたわり方」に雲泥の差があるのだと思う。

「村人A」としての生き方を語ったが、私は休職中に、今後の生き方についてぼんやりと考えながら一室にこもっている間に、様々な人生に出会うことができた。リアルライフドキュメンタリーを永遠に見ていた週があって、特に5人のQueer達がそれぞれの専門性を活かして、1週間で、人生を変えたいけれども心理的・金銭的なバリアから、一歩が踏み出せない「ヒーロー」達に衣食住、見た目、心のケアのMake Over(メイクオーバー)を施してその後押しをする、"Queer Eye"(クィア・アイ)などは観ていると、不思議と力を分けてもらえる。

それぞれ愛する人達との別れ、失職、病気、依存症などで人生のどん底にいる参加者達は、少なからず「動けない」私の状態と重なった。このままずっと疲れやすい自分のまま生活することへの言い知れない恐怖と戦っていた時、「そんな私でも前に進めるんじゃないか」と思わせてくれたのがこの番組だった。
参加者達の番組参加後、別人のように自信に満ちた表情を見ると、彼らをこの番組に推薦した友人や家族のような、自分を支えたいと思ってくれる周囲の存在が「少し」でもいてくれて、自分の準備さえできれば、どれだけ底辺にいたとしても、いつでも変わっていいのだと思える。

ここで大事なのは、この文章の原点、ゆっくりでいい、ということ。
もう一つ、友人の勧めで何の気なしに観始めた「今日もあなたに太陽を (Daily Dose of Sunshine)」という精神科で勤務する新人看護師を描いた韓国ドラマでは、「うつ病も「病気」の一つ」だから風邪のようにその対処法があるし、自分のペースに合った治療法があるのだと教えてくれた。自分の場合、症状がひどかった時はほぼ感情が動かないので、ドラマもただ動く絵のように見える時がほとんどだったが、その中でも、病気と共存することの赦しを与えてくれたのはこのドラマだったと思う。

ところで私の休職中は、歩合制に近い私の会社からは給料が出る訳ではなく、治療を行いながら最低限の傷病手当金で家賃や治療費などを払っているが、生産性のあることは一切せずとも、勿論のこと自由な時間は生まれる。ドラマや動画が自己理解へのきっかけに繋がるのであれば、生身の人間との対話はなおさら、きっかけを作ってくれた。

私は今、2週間に1回、臨床心理士とカウンセリングをするのだが、その中で私は最近、「不安障害」や「強迫性障害」の症状が出ていると教えられ、最近では認知科学療法に取り組んでいる。上記で紹介したドラマには、仕事ができることから過重労働を強いられたことがきっかけで、息が出来なくるほどの「パニック障害」を抱える主人公の幼馴染が出てくるが、

彼は「不安に襲われた時、息をする風穴を開けてくれる場所や存在」、大事な友人の存在や、定時で帰る宣言など、いくつか逃げ道となる拠り所心の中に持っておくことで、少しずつ彼の症状に向き合うことが出来るようになっていく。

私の強迫性障害については、たまたま今回そうだと診断されても、今思えば私は5歳の時に片鱗が見え始めるくらい、ずっと強迫観念に駆られていた。片道10分のピアノのレッスンの2時間前から「今出ないと遅れる」と気が気ではなくなったり、高校の時は「誰よりも早く帰って勉強をしてクラスで1位になる」ことに囚われたり、就活の時は「この企業に入らなければならない」と自分を追い込んできたと思う。それこそ、周りなど全くおかまいなしに。どれだけ周囲の人達を傷つけてしまったのだろうと思うと、時に居たたまれなくなる。

私にとっての「息をする風穴を開けてくれる場所」と言われてもそれが今までは恋人だったりして、人に依存しがちな私には少し難しいのだが、今は強迫観念に襲われた時は、「楽しい思い出を思い出す」ことで対処している。
古いスマホのデータをそのままにしておいて、充電しなおしては、何度もそれを眺めるのだ。少し前の旅行でも、幼い時の兄弟との写真でも何でもいい。「あの時はあれだけ楽しかったんだから、またきっと同じ思いが出来る時が訪れる、そんな場所が見つかる」と私は安心する。その他にも、「チョコレートを食べる」、「好きな匂いを嗅ぐ」、「食器を洗う」等いくらでもあるが、お金のかからず、自分一人で今すぐにできる、できるだけ多くの対処法を持っておくとよいそうなので、少しずつだが探している。

このプロセス。ところでよく、3~5日間の瞑想合宿などに参加して徹底的に今に向き合う訓練をすると、ガラリとその後の物事への対処法が変わるというのを耳にするのだが、何だか強制的な感じが否めない。私は精神疾患を患って始めて、自分で「今」に向き合う方法を学び始めた。

治療中によく私と旅行に行ってくれた母親とごはんを食べている時でさえ、昨年までの恋人との色々を思い出して涙が湧き上がってきた時などは、今目の前にいてくれる母親と、美味しいごはんにひたすら集中したりと、過去と今を切り離す訓練を続けている。不安障害や強迫性障害などは生来のものであったとしても、治療は出来る。寧ろ、不安障害が私を助けたことも多々あったと思う。就活の異常なまでの情報収集や時間管理能力は、その気質があったからこそ、これまでのキャリアや、付き合ってきてくれた友人達の存在がある。

だからこそ、私は今回この文章を書いた。
変えられないもの、共存していくものを知る。気質や精神疾患だ。
「今」をどうしたいかを知る。自分が決して無理をせず、安心して身を置ける場所を見つけることだ。

これは誰であっても、絶対に自分しか知らない。誰に何を言われようと、聞き入れたくなければ、そんな言葉に揺らぐ必要はないのだ。時に専門家の力や、薬の力が必要となろうとも、出会っていく作品や人、過ぎていく時間は、自分がいくらでもコントロールできると知れたこと、「村人A」として、序盤で話した主人公レッドのような人生へのシフトの仕方を今学んでいる最中だ。何なら、「(進化するかもしれない)村人A」でもいい。自分を理解して始めて、私は決して無理をしない職場への転職を決心したし、疲れた時は動かないことにうしろめたさを感じなくなった。

それに気づいて実践し始めた4月から、私は少しずつ回復してきた気がしている。5月には職場に戻らないといけないのだが、基本はアニメばかり観ている。その意義は一切考えず、今は少しでも「面白そう」「やりたい」の感覚を取り戻すことに徹するのも悪くないんじゃないかと思う(余談にはなるが、色々と疲れたひとへ、最近のおすすめの2作品を少しだけ紹介させてほしい。YoutubeやTwitterは多くの情報についていこうと脳が疲れるので、息抜きアニメやお笑い動画などを持っておくも精神的にはいいのだそうだ)。

最後に、1週間ほど前に私は27歳の誕生日を迎えたのだが、沢山の友人から祝福のメッセージを貰い、とても感謝している。素敵な人達とのつながりをこれだけ持っていながら、ずっと実家にいるせいか、最近は何かと気に掛けてくれる母親に大分依存してしまっているので、最近は両親が亡くなったら私はどうなるのだろうと考えて苦しくなる時が増えてしまった。
だがそれも、そのままにしておくのではなく、今私が不安に対して「楽しい思い出」で対処しているように、母親とも、お互いが生きている間は、その先のことなど考えずに、出来るだけ楽しい思い出を沢山作ろうと最近思うようにしている。そのことで、もし一人になってしまう時が訪れても、私は楽しい思い出と共に生きていける。

悲しみや絶望への向き合い方は本当に千差万別なので、もし周りに今苦しんでいる人達がいるのであれば、やはり休息を誰よりも与えてあげて欲しいし、私自身も、同じような苦しみを味わっている人達の支えに、いつかは慣れたらいいと思っている。

終わりに、原先生のつい最近累計発行部数1億を超えた「キングダム」シリーズ、贏政(えいせい)の名言に、「人の本質は光だ」というものがあり、最近はこれに支えられたりもしている。キングダムや以前触れたヴィンランド・サガなどは、まぎれもなく死ぬ前に本当に出敢えて良かったと思う作品の一つで、それも私が今回noteを書こうと思うきっかけをくれた。

出典:https://www.mensnonno.jp/fortune/kingdom-astrology/detail23/area02/

形や立場が違えど皆一様に
自分の中心にある”光”を必死に輝かせて死んでいった
そしてその光を次の者が受け継ぎ
さらに力強く光り輝かせるのだ
そうやって人はつながり
よりよい方向に前進する

キングダム  40巻

人生について私が語るのはおこがましいし、これまで、関わった全ての人達から貰ったものは数えられるものでもないし、短いかもしれないが、光が見えない時期も経験して、とうの昔に認知科学療法を教えてくれた友人、適応障害の対処法を教えてくれた友人、私の文章を楽しみにしてくれている友人などの存在があって、また立ち上がろうとしている今、私が次の人に与えられる光は何だろうと、ぼんやりと考えたので、敢えて文章を書いてみたくなった次第である。久しぶりとはいえ、書くと多少なりとも元気が湧いてくるようで、大分長くなってしまった。これからまた色々な出会いを通じてて、最悪な時期がまた訪れたとしても、今日までのこの気づきを、注いでくれた愛が消えないというのは何と素晴らしいことだろう。

だから私は、

「息を吸って、ここで吸って、生きて行こう」!


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