見出し画像

エッセイ:私を救った一言。

けったいな性格だ、あなたは言う。

その通りだ。
私は、自分の成果を認められない。
私大で、学部の成績優秀者として表彰された。
別に、凄くない。
ごく真面目に勉強してきただけ。
毎年2000人そこらしか合格が許されない資格を持っている。
別に、凄くない。
私は、たまたま運が良かっただけ。
第三言語が喋れるようになった。
別に、凄くない。
相応しい努力をしただけ。
それに、世の中には、もっと努力をしないと到達できない場所が、
無限にあるから、私は別に、普通です。
偶然と必然、その組み合わせで、人生は出来ている。
そう思っていた。

正しい努力さえすれば、結果は得られるはずだ。
人生の四苦八苦と、向き合い続けられれば。
ある程度の幸運とそれに甘んじない謙虚さと、元気さえあれば。
そうでないと、人生はあまりに無情だ。
時間を投資した分、成果は出るはずだ。
向き合い続ける気概さえあれば。

「東大なんて誰でも入れる」
ホリエモンはそう言ったらしい。
そんなホリエモンが嫌いだ、その人は言った。

私も、嫌いだ。
だけど私は、彼と同じことを言っていた。
「こんな資格なんて、誰でも取れるよ」
その一言は、友人に腹を立たせた。

私が、そう感じているんだもん。
私が、そうだったからさ。
そこに他人は介在していない。
「苦しんだ人の気持ちが、あなたにはわからない」
あなたは言う。
ああ、もしかしたら、そうなのかもしれない。

いや、ちょっと待てよ。

高校時代。私は、一橋大学を目指していた。
まるまる三年間、部活以外の全ての時間を勉強に費やした。
苦手な数学は、電車でサクシードを解くくらいまで時間を費やし、
毎日泣きながら向き合った。
結果。
数学のセンター試験は、数IA、IIB合わせてピッタリ100点だった。
それでもなんとかセンターで8割以上を取って、2次に望んだ。
50点足りず、落ちた。

大学時代。米国から帰国した私は、就活を始めた。
まるまる2年間、80社から、リジェクトを喰らい続けた。
自己分析と企業研究。
同じ土壌に立った誰よりも、その企業に詳しかった。
落ちて、落ちて、落ちた。
とあるゲーム大手の最終面接。
あなたは、きっとウチに向いていないね。
その一言で、数時間後、落ちていた。

「正しい努力は報われる?」
「時間を投資した分、帰ってくる?」
え、嘘じゃん。

25歳になった。私は社会人2年目だ。
勤めている企業から、KPI(年間目標)を言い渡された。
新規開拓をし、〇〇を○件達成すること。
会社の人ら全員に掛け合い、パスを紹介してもらった。
複数の会社の社長に、2年目の社会経験で、立ち向かった。
世界的ISV企業Top3の1社の
CEOへ、英語でプレゼンをして協業を申し込んだ。
一日3セットのプレゼン資料を作った。
寝食忘れ、働いた。
夏には、過労で倒れた。
もう何度も何度もnoteに書いてきたことだ。
結果は。

達成、しなかった。


ねえ、嘘じゃん。
努力、報われないじゃん。
それが、人生ってことだったの?

抜け殻のようになっていた。
毎日心臓が痛かった。朝起きると、動悸がした。
仕事を辞める決意→
体力がないので辞めない→
消耗する→
仕事を辞める決意→…のループに、ハマった。

それでも決断をしない私を置いていく時間は、
ただ流れていく。時間だけは、平等に流れていく。
あれから、数ヶ月が経った。
時間は、今日だ。
朝から、プレス向けの自社イベントが開催されていた。
3年目になる私は、責任のあるデモンストレーターだ。

去年私が開拓してきたお客さんの、ソリューション紹介コーナー。
複数のパネルに、綺麗にまとまったソリューションが並ぶ。
全て、去年私がお客さんと一緒に開発してきた内容だ。
私がいなかったら、ここにパネルは1枚も無かった。
コーナーの一角は、存在しなかった。

それでも、結果が出なかったので、おしまいですよ。
結果が全てです。うちのDは言いますから。
自分で説明していながら、悔恨と、情けなさに、やられそうになっていた。
ちょっとは、誇らしかった。

説明を終え、席に戻る。
私は再び、PCに向かっていた。
ふと後ろに、2年前からお世話になっていた、私の上司が立っていた。
少し驚いて振り向くと、上司は私を見ている。
いつも発言に棘があって、自分の手柄を横取りするような、嫌な上司だ。
2年間、どうしても好きになれなかった。
認められることなど、一度もなかった。
私はずっと、そう思っていた。
その上司は、去り際に、やっぱり私のところに少し戻ってきて、
腕を組んで、私の目を見て、こう言った。

「あれさ…あのパネル。見たよ」

沈黙。

「頑張ったじゃん」

その人は、そう言った。
私は……去年の全てを、認めないつもりだった。
だけど。
不思議と、私の目に、涙が滲んでいた。
それは、れっきとした、結果だった。
KPIが、何なんだよ。Dが言う事が、何だって?
KPI。会社の目標。
それは、私が「達成したら凄い」と思っていた指標だ。
誰からも分かる、明らかに凄い結果ってやつだ。
今までの人生は、それを達成することにだけ費やしてきた。

だけど、私が結果として残したもの。
他人から見たって、実は凄いと思われていたもの。
その影響力は、自分の思う以上だったんじゃないのか?
自分が価値があると認めないことにしがみついていたら、
それまでの、お客さんとの、育ててくれた上司との時間は、全て無駄
になるんじゃないのか?


そんなわけ、ないだろう。


それから私には、今こそ部署は違えど、社内で最も尊敬している
かつての上司が、もう一人いる。
たまたまだが、その人も、今日のイベントへ、来ていた。
その人は、まだお客さんへの説明がされる中、
パネルを少し見ると、
静かにこちらへ近づいてきて、小さな声で、私に話しかけた。

「ねえ、頑張ったね」

その人は、そう言った。
私は、泣いた。

自分を認めることって、なんて難しいんだろう。
自己基準で物事を判断することって、なんて厄介なんだろう。
どうして、自分に厳しくしてしまうのだろう。
どうして、求めたものが得られないと、こんなに苦しいのだろう。

そこに答えなど、あるはずがない。
だけど。
「正しい努力は報われる」
「時間を投資した分、帰ってくる」

その答えが、YESだったとしても、NOだったとしても。
私の生んだそれを、結果と呼べないにしても。
明日には。明後日には、数ヶ月後には。
数年後には。10年経ったら。
今は、自分を認められないとしても。
そんな「けったいな性格」
なあなたが、ここにいるとしたら。

時間が経って、振り返ってみる。
誰かから、気付かされることがある。
無駄な努力という言葉など、存在しない。

あがいた結果が、必ず自分の望み通りである必要などない。
誰かは、あなたを必ず見ている。
捨てる神あれば拾う神あるのだ。
不思議な形で、結果は帰ってくる。
そうないと、人生はあまりに無情だ。

たった一言に、救われた。
だけど救ったのはその言葉自身ではなくて、
自分を認める決心だったと思う。
認めるまでの「間違った」と思っていた努力だって、
認める一瞬に辿り着いたのなら、立派な努力だ。
私はそう思った。

今日は、社会人になって初めて、
去年の結果に、向き合う事ができた日だった。
だから私は、帰宅後すぐに、PCを開いた。
どうしても今日のことを、残しておきたかった。
片手間にしか書けないエッセイも、何度同じことを書いてしまったとしても、私の心情の変化を記録するのに役立っていると思う。

今日も明日も、自分に素直になれたらいい。

今は自分勝手に聞こえたとしても。
いつかは私も、言葉で、行動で、人を救える人になれるように。

それが「けったいな性格」の、もうすぐ26歳になる私の目標だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?