見出し画像

お久しぶりです

セルシン 2mg、セルトラリン 25mg、芍薬湯エキス。聞いたこともない薬が私の脳に作用し、昂る気持ちを落ち着かせる。考えることをやめさせ、ただ体をベッドに横たえさせる。思い出して泣く暇もないほどに、私は眠り続けた。眠気に耐えられなくなって起きると、また悲しみの波が襲ってくる。そんな時は両腕を被せるようにして目を覆い、強引に両目ごと涙を押さえつける。そうやって私は、毎夜を過ごしてきた。今年が明けてから2ヶ月近くも。目が覚めている時、何か雑用をしていられるのは数時間だけだ。後は耐え難い眠気が襲ってきて、私はまた眠りにつく。

医者は私が「普通の生活が送れるまで仕事は休んでください」と告げた。
私はすかさず「普通の生活って何ですか?」と聞き返した。
医者は表情一つ変えず、「散歩したり、料理をしたり、片付けをしたりが普通にできるようになるまでです」と答えた。
「そうですよね」、と答えながら、私は俯いた。
私はそんなことも出来なくなってしまったんだ、と思うと目の前が霞んで見えた。
医者の顔が少し青白かったせいか、その後ろの壁が真っ白だったせいか覚えていないが、私はふらつきながら助手が隣に座るその小さな部屋を出た。

「恋人と別れて、適応障害になりました」

私が徐に診断書を見せた時、きっと職場の人達は心配する素振りを見せながらも、「恋人と別れたくらいで情けない」と思ったに違いない。少なくとも、私にはそう思えた。私の職場は20代がほとんどのベンチャー企業。心が弱くては到底やっていけない。だけれど、まるで「タラレバ娘」で過去の経験が原因で笑うことが出来なくなったヒロイン、KEYみたいに、私の目は笑えなくなった。

2週間前の朝、通勤中に涙が止まらなくなり、マスクの下で何度も涙と鼻水を静かに飲みながら声を漏らさないようにこらえた結果、息が苦しくなり結局オフィスへ行けなくなってしまった日。その1週間前から、仕事を普通にしていてもただ涙が流れてきて、トイレに駆け込んで泣いてから、何事も無かったように席に戻った日々。そんな日々も、時間さえ経てばいつかは終わると思い、毎日ただ寝て働いてを繰り返した。1ヶ月が経った。あれ、と思った。

「時間は百薬の長」。「仕事に打ち込んでいれば忘れられる」。「趣味や友人との時間を増やせば回復が早い」。私はそれらの言葉を愚直に信じて長時間労働と、1ヶ月前に頼まれた結婚式の余興を無理やり引き受けることで、失恋のことなど忘れられるのだと思っていた。米国で現在大流行中の、過去の恋人への拭いきれない思いを歌ったカントリー・ソング、Noah Kahanの "Stick Season"の象徴的なフレーズ、

Doc told me to travel but there is COVID on the plane 
(お医者さんは(失恋を乗り越えたいのなら)僕に旅をしなさい、と言ったけれど、コロナで旅もできっこない)

Noah Kahan "Stick Season"

さながら、私が泣きついた1人目のカウンセラーの「遠くに旅行するのが意外と効くんですよ」の言葉に救われるようにして、その距離から足踏みしていた遠藤周作の記念館に行こうと思い立ち、長崎まで一人で旅行に行ってみた。初めて見る列島に囲まれた穏やかな日本海は確かに美しかった。だが帰りのバスも飛行機の中、涙が溢れ出た。イライラした。私の日常が壊れたことを明確に自覚したからだ。過去に恋人と行った数々の旅行先を思い出して頭が割れそうだった。それと、そこにあった笑い声と、怒号と涙も一緒に。

私の脳内が一つの大きな海だとして、その荒波を真っ赤な太陽の炎で無理やりかき消そうとするくらい、一方が負けることが確定している大きなエネルギーがぶつかり合った時、私の脳はシャットダウンしてしまった。あとから聞いたところによると、浅い傷や一過性の怒りくらいなら旅が効くらしいが、本当に深い傷やトラウマには旅行は逆効果らしい。今はただ薬を飲んで寝なさい、2人目のカウンセラーはそう私に言った。そうして私はやっと休職を決意した。母親は実家で寝てばかりいる私を心配して時々様子を見にくるが、気づかないうちに、泣きながら寝ている時があるらしい。そんな時、私は朝になって気づく。髪が乾いた涙で絡まりあっているのに触れて、ああ、またか、と。だが最近はそれが苦笑に変わった。凄いな、と呟く。泣いて目が覚めた日が増えるほど、美化しようとする思い出が過去へ過去へと押し流され、色が掠れていく。それが記憶に変わっていく。その度に、これまでみたいに「普通の生活が送れる」ように、自然と前へと進もうとする私の体に驚く。

文章を書く元気も気力も湧かなかったこの2ヶ月間、私は最も生きていた。

失恋で仕事を休むことを、私は恥じていない。
日本の休職制度とその傷病手当があることを喜んでいるからではなく、もういい加減、自分の性質に気づいたからだ。共感をしてくれる人がいなくても大丈夫だと思っていたから、私が信頼する人達を除き、誰にも私の症状を言わなかった。これは
「私の闘い」だと気づいたからだ。2022年、全米で最も売れた恋愛小説である"It ends with us"(ふたりで終わらせる)のタイトルをもじれば、"It ends with me"(わたしが終わらせる) だ。幼少期のトラウマを抱えた二人が恋愛を通じてそれを克服していく様子を描いたラブロマンスだが、これは「大好きな相手」とのコミニュケーションを通じて愛する相手と結ばれるのだとすれば、私は自分との対話を通じて、相手について考えなければならない。

過去の恋人達や、私の愚かな行為、生まれつきの気性、経験不足からくる他者への想像力の欠如。それから、恋愛と一緒にハイキャリアを追い求めようとして、体調を崩す原因になったこと。自分の体力と許容量。それを全部、今「終わらせ」て、再構築しなければならない。

再構築することを考えた時に、これといった趣味もない私を嘆いた恋人を思い出す。だから君は人に依存するのだと彼は言った。その通りで言葉も出ない。一方で体調を崩すほど人を好きになれる人は恋愛も上手いんじゃないですか、と2個下の後輩が私を羨むようにして私に言った。確かに。どちらの言うことも正しいのだと思う。ただ人の思想が「異なる」だけで。恋人に相応しい人、結婚相手に相応しい人は違うと言われるように、長い時間を過ごすパートナーを自分の人生にとってどう価値を持たせるかなんて、一人一人違いすぎる。趣味がないことを憂うつもりもないが、まあ本は好きだし、一応目標もある。旅や英語も好きだ。何より人を喜ばせること、人の居場所を作ることも。無趣味でありながらも、好きなことも好きな人も沢山いる。私は時間をかけながらも、仕事も生き方もまるごとアップサイクルするつもりだ。

元気がない時は、YouTubeやアニメをひたすら眺める。
普段なら決して目にも留まらない本の紹介やYouTuberの動画がいくつか心に残ったりする。

それを書き溜め、何度も観返して再構築の礎にする。
話は少し逸れるが、新感覚ファンタジー「ダンジョン飯」が話題だが、あれも登場人物一人一人が、ダンジョンの階層が深くなるに連れて、それぞれの才能を活かしながら、それを時に邪魔する固定観念を打ち砕いて最大の敵へと立ち向かう物語だ。時に反発もするが、それを許容してくれる数名の仲間の信頼がある。そうやって人は一人では立ち向かえもしなかった自分にとっての敵と闘えるようになっていくのかもしれないと思うと、何かの流し見も悪くはない。



少しでも元気が出そうな時は、本を読む。それから人と少し話す。1月のいつだったか、悪魔主義で有名な谷崎潤一郎の「痴人の愛」を読んだ時に自分らしい何かを見出したことがあった。主人公が浮気性で他人を自分の為に利用しながら生きる、極めて自己中心的な恋人、ナオミが家を出ていった時の悲しみがより依存を強めたことを確信したラストの一節が苦々しく、私がそうとしか生きていけない、自分の為に生きられない人間だとしたら、これからも私は両親や恋人に依存しながら生きていくのだろうかと思うと、更に胸が塞がる思いになった。

本当にダメな時は布団を頭から被って寝るか、好きなYouTuberの占いチャンネルを流し聞きしたりする。結果に酔狂することは決してないが、将来の無数の可能性を想像する余地を与えてくれて、意外と精神安定剤になる。ぼーっとテレビを観るのも意外と良い。バナナマンの「せっかくグルメ」で人付きな日村が誰にでも話しかけて、地元の方々が好きな店をパネルに書いてくれて読みあげるのもいい。全国津々浦々に美味しい食べ物を作る料理人がいて、そこに到達すれば、職を通して私達に喜びを与えてくれるのだと思うと、いつか行きたい場所になる。

そうして時々、良かったものを人に共有する。
この2ヶ月、依存や執着を手放せない私の苦しみや恋愛観を否定もせず聞いてくれた元職場の後輩や、ゆっくりでいいんだよ、とメッセージをくれた旧友、何かをインスタに投稿する度に反応をくれる、海外の友人達に少しの恩返しをするつもりで、本や場所やフレーズなどを共有したりする。決して彼らの反応を期待するわけではない。ただ、私の元恋人ではない「誰か」のために何かをすることで、私は人間として大事な部分を取り返せる気がしている。彼らにとっては、有難迷惑かもしれないが…

そして、休職が明けたら。
一人目のカウンセラーがアドバイスをくれた「旅行」は今はダメだったけれど、きっとまた私は文豪達に会いに彼らの生家や記念館を訪ねにいく。そういえば彼女はさらりと、こんな言葉もくれた。

「誰かが作った何か」を心に入れていくだけで、少し暖かい気分になるものですよ
カフェにいったり、お食事にでかけて、温かいものを食べてみたら、心が落ち着くかもしれません

とある東京のカウンセラーの方の言葉

そういえば、私は少しの間でも、カフェに行くことが増えたような気もしている。効果があるかはわからないが、五感への刺激が得られるから、嫌いじゃない。店員さんの案内、仕事をする人達を眺める聴覚と視覚。それから1杯目のミルクティの温かみによる触覚と味覚と、2杯目の「チャイティーラテ」のスパイスが刺激する嗅覚。

恋愛は時々、いや、大体、自分のことを嫌いにするけれど、だけどやっぱり好きだ。恋人がしてくれたこと、くれた言葉、一緒にいった場所は一緒にいたその時間分、人生の大事な一部になる。スパイスなんかよりももっと大事なピースみたいな。

恋愛やセックスを人生のスパイスと捉える人もいるだろう。つまり人生を楽しくするちょっとした刺激だ。でも私は到底、まだ恋愛はそんな言葉じゃとても片付けられないと思う。ならば、自分にとってのスパイスは何か、想像してみる。「チャイティーラテ」や「鰻丼の山椒」や「ピザのタバスコ」は確かに好きだ。コメディアンの風刺の効いたギャグも。それから、普通の恋愛映画やドラマに飽きた人のための、Netflixの”Beef”みたいな新感覚ロマンティック・コメディーやオープンワールドアドベンチャーに飽きた人達向けの「エルデンリング」も。次に何がくるかわからないネプチューンのホリケンのギャグも。


人生にスパイスを与えてくれるもの。喪失感に打ちのめされていたり、仕事が向いていなかったり、大切な持ち物を無くしたりした時に「もう一度帰ってきたくなる」場所が、スパイスなんだろうか。そんな場所に出会えた時、私の中に眠る創造性(クリエイティビティ)が刺激されて、生きていてよかった、と思うのだ。
そんな場所や瞬間に出会う旅が、私の人生なのかもしれないな、とさえ思う。

さて、この文章もそろそろ終わりに近づいている中で、私がずっと昔から大事にしている言葉を共有したい。今更、noteで共有する機会が生まれたことを嬉しく思う。

It only takes a taste , when it's something special
It only takes a taste when you know it's good
sometimes one bite is more than enough
to know you want more of the thing you just got a taste of 

素晴らしいものって、少し口にいれただけでわかるだろう?
たった一口で、その良さがわかるだろう?
たった一口で、もう十分なんだ
その素晴らしさを、もっともっと味わっていたいって気づくのにね

ミュージカル Waitress "It Only takes a taste"より

人生で、もしかしたら自分の人生の転換点かもしれない作品、言葉、食べ物、人、仕事、場所…に出会った時、そのとき迸るアドレナリンやドーパミンが、それが私達が求めていたものなのだと直感的に判断させる。だから、何か素晴らしいものに出会った時は、その感覚を大事にしなさい。私はこのミュージカルからそう教わった。

だから、大好きな恋人と別れを迎えてしまったとしても、出会えた時、一緒に何かをした時や会話で生まれた幸せな感覚は、その時その時が永遠に続けばいいと思うほどに大事な時間だった。それほどに、楽しい時間を与えてくれた恋人に、今は感謝を捧げたい。「スパイス」などよりももっと強い刺激と後味だから喪失感が激しいのは分かっている。だけれど、そんな瞬間に26年間で一度でも、巡り会えたことが掛け替えのない事実だったんだと思う。


最後に。

根本的に弱くて、他力本願。
26歳の私が今、そう気づいたとして。

できればそんな人間とは、私達は関わりたくない。
自分も蝕まれる可能性もあるし、同類だと思われれば仲間から弾かれる可能性だってある。生まれつき備わった防衛本能だ。私もきっとかつてはそう思っていた側の人間だったんだろう。だけど、今は自分が鬱状態を経験し、回復しようとしていく中で明確にわかったことがある。


私の心は少しの間失われたけれど、創造性は残ってくれていた。


2ヶ月の間、寝て脳を休めているうちに、色々と考えを処理をしてくれたみたいで、湧き上がってくる気持ちがあった。

この文章を実は書きたくて仕方がなかったこと。
今、作ってみたいサービスがあること。
書きたい小説があること。

支えてくれる人達がいつもいたから、そう思えたこと。
弱くて他力本願で、おまけに趣味がない、依存癖がある。それが私だとしても、
昔から、落ち込んで反省して、次に活かすことができるのが私の良いところだ。過去に、私の未熟さにより傷つけてしまった人達に今度もし会えたら、少しでも顔向けができるような人間でありたい。そう思いながら、何かを社会に向けて、一人や数人の人達に向けて、作って発信すること。そうして誰かの人生の支えになりたい。私は今回の経験を通じて、そう思っている。

次noteを書くのがいつになるかは分からないが、私はこの場所があってよかったと心の底から思っている。執筆歴も3年目に突入し、たまに昔の友人が見つけてくれて、感想をくれる。そんな瞬間を大事にしながら、私の人生を再構築しながら、今年は過ごしていくつもりだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?