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「好きな言葉に出会うこと」と自己肯定感について

忘れられない言葉がある。
三年経った今も、私の手帳に切り抜いて大事にしまってある、人生の教訓がある。
私がその言葉に出会ったのは、令和2年、1月10日の金曜日、
私が大学三年生の時である。
私は大学生の時、「朝日新聞」の「声」欄を良く読んでいた。
多種多様なバックグラウンドを持った、年齢も国籍も違う人たちが、思い思いの人生や意見を綴る。時に仮名。時に無名。それでも「声」欄には、私達が出会ったこともない人が紡ぐ思いが描かれ続ける。

 近代の文豪、阿部公房は、NHKの養老孟司との対談シリーズの中でパブロフの「条件反射」の実験を例に上げ、「条件反射のそのまた条件反射のように、言葉は実験的に捉えることもできる」と最後におまけのように書かれた文章に感銘を受けたと言い、こう言った。
「言葉と精神を切り離して考える論が実に一般的だが、ぼくは言葉は精神そのものだと思う」と。

 そして最近また「弱物に寄りそう究極的に優しい物語の作家」として注目されている、「沈黙」「海と毒薬」で有名な遠藤周作は、
「本音とは、私たちが他人と接している間は決して出てこない、究極的に内面的なものなのである」と。

 最近個人的に読み返した名著、人間の闇と「妖しく光る希望」を描いた「赤ひげ診療譚」等で有名な山本周五郎の「小説の効用」からは、
「よき一遍の小説には、活きた現実世界よりも、もっとなまなましい現実があり、人間の感情や心理のとらえがたき明暗表裏がとらえられ、絶望や不可能のなかに、希望や可能がみつけだされる」と言う言葉がある。

 「声」欄の書き手は、喩え奥さんに、子供に、はたまた学校の先生に見守られていながら書いていたとしても、紙とペンを持つ自分、パソコンとキーボードを叩く自分の内なる世界に、他人は一切介在しない。
文章と向き合う時、書き手が物語を、随筆や意見を記すとき、私達は究極的に内なる世界を表現している。

だから、あの方のあの言葉が、22歳だった私にあんなにも刺さったのだ。
前置きが長くなったが、引用させてもらいたい。

「いのちある」だけで金メダルだ
                池田 宇三郎

 何年も欠礼しているのに、賀状がこんなにも。その一枚一枚に生きてよかったと胸が熱くなる。テレビの「ポツンと一軒家」。ほろり、じーん、じわーっと涙。庭の侘助が、咲いた。目白が来てくれた。
 ああ、生きていてよかった。
 膠原病10年。脊柱管狭窄症、椎間板ヘルニアを併発。寝起きの激痛に毎朝、けもののようにうなり、こどものように泣きわめく。
 これでも生きる意味があるのか。人の役に立たないッ自分。自称もの書きの矜持も失せた。ふと、スイスで「安楽死」を遂げた日本人女性のことを想う。でも、痛みが和らぐと人間は勝手なもの。いのちの輝き、ときめきを今ひとたびと思う。
 地位や名声、カネを求め、合理的に生きるだけが人生か。定年後はかように他人を批判しながら生きてきた。人に施すことに生きがいを感じ、上から目線で生きてきた。そしてそれができなくなると生きる意味を見失うなど愚の骨頂ではないか。
 お陰さまで。ありがとう。素直に人のお世話になれるのも、生き方の一つかも知れぬ。生きているだけでも金メダル。この世に「いのちある」だけで素晴らしい。

朝日新聞 朝刊 オピニオン&フォーラム 令和2年 1月10日 池田宇三郎

 「おかげさまで。ありがとう。素直に人のお世話になれるのも、生き方の一つかも知れぬ」

 ああ、一体、私はこの方の文章と出会い、どうしたらいいというのだ?
何を感じ、学ぶのが、「正解」なのだ?いや、正解などあるのか?
私はこの文章を読むたびに、畏敬の念に頭が上がらない。

 私は、この方は、この壮絶な四段落を通じて綴られる文章でしか知り得ない。環境も生き様も、文章の描写以外は想像すら出来ない。だが、22歳の私は、はっきりとこう思った。私は、この方のように「自分が変化し、他人との関係性が変わっても捻くれず、絶望せず、他人にできる限りの感謝をし、変わらず生きていきたい」と。

 そう思うようになってから、三年が経過した。
 今になって、私があの方の文章を再び思い出したのは、否応なしに、生を考える瞬間が、二度ほど訪れたからである。

 私は現在25歳である。若いから大丈夫だろう、と油断していた私に、悪い知らせが入ってくる。「胸」と「子宮」に突然異変が見つかったのである。どちらもすぐに精密検査が必要だと、医者から言われ、動揺を隠せない私は、病院へ向かった。

 左の乳房にしこりが見つかったのは、昨年の夏のことである。右の乳房に痛みがあり、年のため両方触診を受けたのだが、左胸に触れた瞬間、医師が「ん……」と曇った表情をしたのを、私は未だに覚えている。エコーを見ても、どうやらしこりのようなものが、表層部にのめり込んでいるらしい。すぐに細胞検に回され、鋭い痛みにこらえながら、細胞を摘出してもらった。
物々しい医師と看護師の態度に、「まさか、悪性じゃないですよね?」私は三回も医師に聞いていた。

 それから一週間、結果を待つ私は、気が気ではなかった。「もし悪い知らせだったら人生が変わってしまう」と思うと、仕事も趣味も全く手につかず、実家の母親も酷く心配していた。六日目になって、結果がどうであれ受け入れようと肝が据わり始めたその翌日、朗報が届いた。

 結果は、陰性だった。聞けば、良く悪性と間違われる腫瘍の一つらしかった。結果を聞いたものの、私の中で思考回路が少し変わってしまった。
たった一回の検査。寝付けないほど恐ろしかった。病院に行くか行かないか、そこで人生が変わることもあるのだ、と。始めて、生命が脅かされることを自分事として体験した瞬間だった。

 そして今年に入って、今度は「子宮」に異形が見つかるのである。健康診断が返され、何の気なしに結果を覗いた私は、"E"と書かれた検査項目が目に留まり、その場で凍り付いた。"Error"の"E"であってくれよ、と思いながら判定を見ると、「精密検査をしてください」との表記がある。そこから1時間、私はざわつく心を何とか抑えながら、ネット上の記事を読み漁った。どうやら悪性腫瘍に変化する可能性はそこまで高くないらしい、と少しの希望が見えた私は、本日、早速精密検査へと向かった。

 膣の中に冷たい金属を入れられ、まるで小学校の理科の実験のような、酢酸で細胞を染め、再び鋭い針で何度もそれを削り取られる。激痛が走った。血が出た。10分くらい、冷たい器具は私の膣に入ったままだった。あと1分でも、あれが続いていたら、私は大泣きしていたと思う。

 家に帰り、私は泣いた。食べたうどんの味がない。苦しかった。私は一人だった。ピンクのドレープのカーテンの奥で何度も何度も私の体を痛めつける器具と手。私の体は、泣いていた。
 あと二週間で、もし、悪い知らせが届いたら……私は、再び悪い方向へと人生を考える。
 ぐったりとしてしまった私は、椅子に座り込んで、突っ伏した。
本当にちょうど私が突っ伏した瞬間だった。一通のラインが届く。

「大丈夫だった?」

私が状況を説明していた知り合いから、メッセージが届いていた。
私はまた涙を流した。痛く、冷たく、残酷だった。私はすっかり落ち込んでしまって、もう寝てしまおうかと自棄になっていた。

私は一人じゃなかった。
私はまた言葉に、救われた。

一人で向き合って、その先に、その内省的な思考の集合体となった私を受け入れてくれる場所があった。

 
 病院での出来事もそうだが、最近どうも調子が良くない。
 小説も行き詰っている。そんな矢先、最近はまっている「文豪ストレイドッグス」で出会った織田作之助の「俗臭」に、私の今の気持ちを良く表したような趣深い言葉を見つけてしまった。


 鯛焼き饅頭屋は二十年、鯛焼きを焼いている。一銭天麩羅は十五年、牛蒡、蓮根、蒟蒻、三ツ葉の天麩羅を揚げている。鯛焼きが自分か、自分が鯛焼きか、天麩羅が自分か、自分が天麩羅かわからぬくらい、火種や油の下限を見るのに魂が乗り移り動きがとれなくなってしまっているほどの根気のよさより、左様に一生うだつの上りそうにない彼等のふがいなさがまず目につき、呆れていたのだ。
 

角川文庫 織田作之助 「俗臭」(P57)より

 これは、まさに今の私なのである。動くに動けない、どう転がりそうもない。そんな天ぷら屋や鯛焼き屋に、私は自分を重ねる。

 仕事を辞めたくて仕方がない。一緒に働く仲間が、嫌いだ。
 だが私はとても弱い人間なので、確固たる意志もなく、勢いもなく、元気もなく、辞める決心がつかない。毎日辞めたい辞めたいと嘆き、実行に移さない口だけ人間なのだ。

 尊敬する人物達の文章を読むたび、私も頑張ろうと自分に喝を入れるが、それも長くは続かない。いつかこうなれたら……いや、なるために頑張ろう、その想いで希望を捨てず生きている。

 導きの法則、ではないが、私はnoteを始めた昨年頃からちょうど、色々な人や本との巡り合うことができている。仮に文章が自分と向き合うための手段でしかないとしても、その結果自分が変わり、新たな出会いへとつながる人生の不思議さは、実際に書いてみないと体験し得ないことだったりもする。

と、うじうじと悩んでしまうのはどうも、「自己肯定感」と関係しているらしい、と私はとある人から教わった。

 自己肯定感。さして詳しくない私が語るのもなんだが、最近、自分の自己肯定感が高まる瞬間、というものがあるような気がしている。それは、この文章を通じて書いてきた、好きな「言葉」に出会う瞬間に訪れる。

 例えば、同じく織田作之助より、自己肯定感をくすぐる表現。ちょうど今から三年前の私の気持ちをそのまま表出させたような表現に感服してしまった。

ただ私は、人に好かれたかった。自分に自信をもちたかった、自分の容貌にさえ己惚れたかったのだ。だから、はじめて見合いして、仲人口を借りていえば、ほんとうに何から何まで気に入りましたといわれれば、私も女だ。いくらかその人を見直す気になり、ぼそんと笑ったときのその人の、びっくりするほど白い歯を想いだし、なんと上品な笑顔だったかと無理に自分に言いきかせ、これあるがために私も救われると、そんな生意気な表現を心に描いたのだった。

角川文庫 織田作之助 「天衣無縫」(P77)より



 

 なぜ好きな言葉に出会うことが、自己肯定感を高めるのだろう。
 自分の感覚を分解してみると、こうである。
  
 まず第一に、これまで、幸運にも、人に恵まれ生きてこれたことに対する紛れもない感謝の気持ちがあり、第二に、その言葉を理解できるまでに勉強や出会いを積み重ねてきた結果の巡り合わせがあり、第三に、現代の「ファスト教養」や動画配信サービスでは感じ得ない、文学という連綿と受け継がれてきた芸術の一遍に織り込まれた、たった一人の人物の生きざまに、たった一言、一文で触れることが出来るという、人への希望が湧くからであるからだと思っている。

 そう思うようになってから、私は言葉との出会いにより注目することで、苦しい時期を乗り越えてこれたのかもしれない。

 とある日に、人生を変えるような言葉と出会ったことから、私は生をより意識し、自分事として感じられるようになり、有難く、ここまで年を重ねてこれた。

 あと一か月で、私はまた一つ歳を取る。どう生きたいか、そんなことはかっちり決まっているわけではない。だけど、私はこれからも多くの言葉に出会いに行き、生きていくことは、もう不文律のような気がしている。


 何だかんだと今日も書いてしまったが、文章だけは、頼むから、自分を裏切らないでくれよ、と願っている。

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