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自分自身を受け入れる勇気

前回の記事「自分自身と向き合う勇気」
(1)好きなことについて書いた。
今回は(2)得意なことについて書いてみる。

やりたいこととは何か

やりたいこと=好きなこと×得意なこと

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(2)得意なことを考えよう

頑張らずに自然とやってるのに、人から喜ばれることは何か。

得意なことって自分で言えます?
私には無理だ~泣
むしろ得意なことなんてないと思ってる。
頑張らずにやれていること…はて?笑

そんな自己肯定感の低い私のような人種は
身近な人に聞きまくるといいですよ!!!
この一ヵ月、色んな人に「私のこと」聞きました。
ご協力いただいた皆様ありがとうございました笑

褒められたこと(=得意なこと)はこの4つでした。

①人との距離の取り方
②アクション起こすまでの速さ
③周りを見る力、気遣い
④フットワーク

会社の上司に私の強みを聞いたら
「眉毛の動く領域」と「脚力」と言われました。
すいません、今回はボツにします。
※眉毛の動きには自信があることは事実です。

どれも言われてみれば…って感じです。
あえて「〇〇力」に置き換えるなら
①コミュニケーション力
②行動力、現場力?
③観察力、サポート力?
④なんだろう…人間力?いや違うな。

すいません、無理がありました。
そんなかっこいいものじゃないので
もう少しわかりやすく書いてみます。

①人との距離の取り方
子ども向けのイベントもお偉いさんとの会食も特にツライと思うことはないし、老若男女問わず良い人間関係を築けるタイプ。
思わせぶり、八方美人とも言われる。

②アクション起こすまでの速さ
言われたことはすぐやらないと気が済まないし、言われたことプラスαで何かしたいと考えるタイプ。
せっかち、お節介とも言われる。

③周りを見る力、気遣い
誰かのために何でもしてあげたい精神が強く、持ってるお菓子は自分の分なくなるまで配るタイプ。
ダメンズウォーカー、イエスマンとも言われる。

④フットワーク
お誘いを断らない1週間を実施したら、休肝日3日作ったにも関わらず10件の飲み会が入るようなタイプ。人気タレント並みだった(錯覚)
パリピ、遊びすぎとも言われる。

意識せずにやっているからこそ得意だなんて思ったことはなかった。①に関して言えば、人見知り&人からの見られ方を気にするという根本的な性質があって無意識にちょうどいい距離感をとれているのかもしれない。強みと弱みは紙一重という言葉の通り、苦手だと思っていることは「得意なこと」のヒントを与えてくれる。

そんな感じで、前回と今回にわたり、好きなこと、得意なことを絞り出してやりたいことはみつかったか。



答えは「NO」

結局、見つからないんかーい!!
突っ込みありがとうございます。

やりたいことをみつけるための手段として
「好きなこととやりたいことを考える」
という手法があると話したけど
全人類がこれで見つかったら苦労しない。
つまり、見つけ方は人それぞれ違っていい。

28年間いろんな挑戦をする中で
短期的な目標(やりたいこと)はもちろんありました。

★教育を変える力を得たい、オンリーワンの教師になりたい。
⇒より多くの経験を積むため世界中を旅した。

★国際教育を実施したい、海外に出る学生を増やしたい。
⇒教育現場に外側から関わるため教育旅行を扱う旅行会社に入社した。

★広い層、海外に興味がない人にも海外に興味を持ってもらいたい。
⇒海外経験が活きる社会を創るため旅人採用を立ち上げた。

★「夢」を語れる日本人を増やしたい。
⇒誰もが自分の人生を愛せる世界を創るため、目標に向けて頑張る人、挑戦する人のサポートをしたい。
そのための1つの手段として海外経験を広めたかった。
海外に行って何かしらの衝撃を受けてほしかった。
衝撃を受けて何かが変わるきっかけを作りたかった。

今までの挑戦はそれらを実現するための手段だった。
その当時は嘘偽りなくそれらがやりたいことだった。
見え方は変わっていても形は変わっても
思いは変わっていないことに気付いた。
★海外×教育
★夢や挑戦を応援したい

そんなこと言いつつ、5年後や10年後はわからない。
東京に来てから10年、私自身もだいぶ変わった。

教員を目指して必死に勉強した4年間も
教育実習での挫折も、苦戦した就活も
添乗員で海外を飛び回っていた経験も
修学旅行中に高校生と朝まで語ったことも
大手からベンチャーに転職をして
新規サービスを立ち上げた経験も
全部に意味があって今がある。
そう思えるのは今だからこそで、
当時はそういう風に思えてなかった。

そうやっていつか点と点が線になる日が来る。
それがいつかはわからないけど必ず来ると思う。

そのためにはとりあえずやってみる。
やろうと思ったときにやってみること。
「得体の知れない“将来”のやりたいこと」探しに縛られ
今に全力を注げないことほど、勿体無いことはない。
今は今しかなくて、今が未来を創るわけで。

今の自分と向き合い、受け入れ、
今の自分にできることをまずやってみよう。



私のこれまで

私の28年間を振り返ってみる。
(興味ない人はここまでで大丈夫です笑)

小学校時代

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あら、かわいい。
ポケモンに囲まれても引きつる笑み。
そんな笑顔じゃ相手に失礼よ?(相手、誰)
と、今の私は言いたい。

小学生の私はものすごい人見知りだった。
今よりひどい、根っからの人見知りだった。

休み時間は一人で読書をしていた。
クラスメイトに話しかけられても
うまく答えられず「つまんない」と言われ、
自然と自ら距離をとるようになっていた。

話しかけられないように
それとなく他人と距離を置いていた。

芸人魂のかけらもない。
今の私からしたら、なんとも信じがたい。
(もっと体張って笑い取りに行け!)
と、今の私は言いたい。

それを見かねた両親は
何か夢中になれるものがないかと
色んなことをやらせてくれた。

英会話、ピアノ、書道、プール、
テニス、絵画、工作、ダンス。

平日5日間で8つ。
歌って踊って、アイドルか?
(あ、歌は習ってないか)

でもアイドル並みの多忙さ。
毎日習い事に没頭していた。
放課後に友達と遊ぶ時間はなくなり
まずます距離ができた。

テニスやプールで体を動かす楽しさを知って
高学年になり国体選手である母の遺伝が開花。
(もっと早く開花してほしかった)
少しずつ運動ができるようになっていった。
マラソン大会では全校で後ろから2番目だったのが
いつの間にか10位以内が当たり前になった。
(開花しすぎ)
高学年のころにはクラス対抗リレーに出ていた。
市の陸上大会にも代表として出ていた。
(もはや眠れる獅子が目を覚ました)

それもあって、できることが増えた私は
少しずつ休み時間も外に出るようになり
スポーツを通じて友達と過ごす時間が増えた。

好きな男の子と仲良くなるために
果敢に男子の中でドッジボールしていた。
力だけは強かったので
好きな子からはきんにくんと呼ばれていた。
(アプローチ方法を間違った模様)

運動音痴の人見知り女子はそうして
男子とじゃれ合うスポーツ少女になった。


中学校時代

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中学になって部活動が始まった。
とにかく厳しい顧問だった。
正真正銘の鬼顧問だった。笑
3時間テニスコートで切り返しをやらされ
生れたての小鹿みたいになった日のことは
今でもしっかりと鮮明に覚えている。
でも今振り返ると彼女がいなければ今の私はいない。
そう思えるくらいの恩師だった。

部活の影響もあって習い事を減らした。
ソフトテニスではつくば市3位にまでのぼり詰めた。
勝ち負けの世界で一つのことを追求していく楽しさ、
自分の成長を実感できる楽しさを知った。

人間関係で一番苦しんだのはこの時期だったと思う。
部長として部員と衝突したり(完全なるいじめ笑)
部員と顧問の間に挟まれ嫌われ役になったり
学校一の問題児(茨城名物ヤンキー)と仲良くしてたら
なぜか教員総出で中を引き裂こうとされたり
親友に裏切られたり(好きな人を取られた)
引っ越しの数日前に家が全焼したり(漏電)
父親が急に家を出ていったり(10年以上会ってない)

いろいろありすぎた。笑

人間関係からの学びは沢山あった。

・努力は誰かが必ず見てくれている
・努力は裏切ることもある
・人を見た目で判断しちゃいけない
・人を見かけで判断する人もいる
・不良はとにかく仲間思い
・向き合えば必ず分かり合える
・自分の思いと人の思いは必ずしも一致しない
・家庭環境が複雑になると子供は反抗期を迎えない

学びがあった分、
この辺りから人の目を気にするようになった。


高校時代

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高校生活は大きな波もなく。
朝も夜もテニスばかりしてた。

高校一年時に初めて一人で海外に行った。
交換留学でオーストラリアへ。
人生初のホームステイだった。
現地校に通うことで外国人の友達ができた。
(生徒会長がめちゃくちゃイケメン)

人生の大きな転機だった。
これが今の私を基盤を作り上げている。

唯一得意だと思っていた英語が全く通用せず
人生で一番大きな挫折を味わった。

価値観とかって言葉はあまり使わないけど
当たり前が当たり前じゃないことや、
知らないことがこんなにあることに高校で
気付けたのはすごく貴重な体験だったと思う。

バディーが駆け落ちしていなくなったり
野生のカンガルーに追いかけられたり…
ホームステイ先でもいろいろあった。
(割愛します笑)


大学時代

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大学では国際教育という学部で
日本と海外の教育を学んだ。
(部活のせいで黒い、黒すぎる)

折角なら小学校免許だけでなく
中高の教員免許も取得したいと思った。
部活の顧問に憧れていたということもあった。
授業数を増やし、教育実習は3回行った。
(偉すぎる。もっと遊んでおけ!)

教育実習では小学校の頃に習っていた
ピアノや水泳、書道の経験ががっつり生かされ
水泳に苦戦するガールズや
ピアノに苦戦するメンズが多い中、
実技で苦労することなく無事に教員免許を取得した。

バイトは3つ掛け持ち。
(働きすぎ、もっと遊んでおけ!)

サークルはテニスサークル。
入学式の健康診断で肺に腫瘍が見つかって
大学最初の夏休みは入院生活だったこともあり
部活ではなくサークルを選んだ。

みんなアホみたいにお酒を飲む、
アホみたいにいい人たちだった。笑

負けず嫌いの私は物足りなさを感じ、
2年になると同時に部活へ移った。
(だから、もっと遊べる道を選べ!笑)

言うまでもなくほとんどの時間を部活に捧げた。
望んでいた結果はついてこなかったけど
人生で一番真剣に1つのことと向き合った。
この経験が私を強くした。
(大恋愛もした。笑)

私は負けず嫌いで中途半端が嫌い。
欲張りでもあると思う。
今のままの自分じゃだめだ。
もっといろんなこと知りたい。
そう思って教員ではなく一般企業を選んだ。


今の私

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人見知りだけど人が嫌いなわけではない。
人は好きだけど、人が怖い。
新しいことは好きだけど、伝統も大切にしたい。
何事にも積極的に挑戦するけど、かなり心配性。
究極のサポーター気質で、何かを生み出すのは苦手。
自分のためより誰かのための方が頑張れる。
自分にないものを持っている人を応援したい。
面倒見はいい方だけど、母に似てお節介。

大体のことは、それとなくこなせるけど
これといった“誰にも負けない特技”がない
「私」はこうして出来上がった。

そして社会人になり、
人前(表)に出ることは嫌いじゃないけど
サポート(裏方)の方がやりがいを感じる
そんな「私」になっていった。

28年生きてきてやっとそれ
自分の得意なことなんだと思えるようになった。
これまでの経験がそう思わせてくれた。
点と点が線になりつつあるのかもしれない。

こうやって文字にするだけでも
少し頭の中が整理されていく気がする。

ここまで読んでくださった方…
お付き合いいただきありがとうございます。

そうやって紡ぎだした言葉を基に
私にできること、私にしかできないこと、
それらを考えてみようと思った。

自分と向き合い、自分を受け入れたい。






次は「私のこれから」について書きます。
タイトルは「私にしかできない事で生きていく」

スキルがない人間なんていないということを証明すべく、スキルという言葉に悩まされた私が偉そうに語りますよ~!wa

少しでも自分探しのヒントになったら嬉しいです。
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