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一週間で夜行バス4回乗り継ぎ紀行 第3話

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8時丁度、例によって最低でも1人1ボックスシートが保証された5両編成の列車で大野駅を後にしました。始発からずっと固定編成なので、終電まで全列車が5両と思われます。基本的にいわき〜原ノ町〜仙台で系統が分割されているようで、原ノ町〜仙台はそれまでよりも短い4両編成でした。仙台に着く頃にはもう10時を回っていましたが、原ノ町を出た時には相変わらず1人1ボックスシートだったのが大都市圏らしく超満員になっておりました(なお、この日は平日でした)。関西人の実感としては、同時刻の御堂筋線や新快速より混んでいると言えばお分かりいただけますね。早く輸送力を増強してあげてください。

この先、僕はこの仙台駅からさらに北上し、岩手県は陸前高田市へ向かいますので、東北本線に乗ることになります。そうか、常磐線ではなく東北本線こそが仙台近郊の花形なのであろう、従って8両編成が毎時4本ぐらいかな、などと根拠のない思い込みを抱いていた僕は、30分後に4両編成が来ると聞いてすっ転んでしまいました。近鉄吉野線と一緒やん。仙台駅=橿原神宮前駅だったのですね(ちなみに仙台市と奈良盆地の全市町村を比べると、面積が790平米と900平米、人口が110万人と120万人で割と近い。可住地面積?都市圏?なんですかそれは??)。それでも12時台なんかになると毎時1本になってしまうので、まだマシな時間帯に来たと言えます。ただし、流石に政令指定都市なので、座席は結構埋まって立ち客もいる程度の混雑度ではありました。

ここからとりあえず大船渡線との乗り換え駅である一ノ関まで東北本線に乗るわけですが、仙台から一ノ関なら新幹線でも行くことができます。そこを何故18きっぷの旅でもないのに鈍行で行ったかというと、新幹線に乗っても各駅停車に乗っても、大船渡線で乗る列車が同じだったからです。あゝ大船渡線よ。

大船渡線は「我田引水」という四字熟語の鉄道版である「我田引鉄」の実践例として有名です。即ち、この辺りの政治家が、自身の地盤に鉄道路線を無理矢理通したわけです。おかげで大船渡線には進行方向が直角に変わるカーブが4ヶ所存在しており、オメガのように曲がりくねった経路から路線の愛称が「大船渡ドラゴンレール」になってしまいました。昔は「橋は3年、鉄道は一生(落選しない)」と謳われたそうですから、良くも悪くも無茶苦茶な時代ですよね。しかしそうやってローカル線を敷くだけならまだしも、鉄建公団は高架路線を造りすぎです。多分あなた方のせいで後世の人間は踏切を造れず苦労しているのですよ。

もしかすると生涯で二度と乗らないかもしれないローカル線たちをぐっすり眠って乗り通しました。大船渡線のみならず、原ノ町から気仙沼までの間の少なくとも半分は寝てましたからね。でも原発付近ではしっかり車窓に目をやったし、日本三景の松島も見ることができたので普通に満足しています。松島はほんの僅かしか見えなかったので撮影する暇もありませんでしたが、思ってたより風光明媚な車窓でした。

眠っているうちに到着したのは一日に両手で数えられる程の列車しか来ないであろう気仙沼駅ですが、駅前は復興住宅と思われる12階建ての立派な集合住宅が2棟建っていました。気仙沼駅は、震災前は3方面に線路が伸びる乗り換え駅でしたが、現在では盲腸線の終着駅となっています。残りの2方面は、線路が撤去され、バスに転換されました。通常、バスは駅を出たところの駅前広場を発着するものですが、気仙沼駅では直接ホームに乗り付けられるようになっています。つまり、線路の跡がアスファルト敷きのバス専用道路になっているというわけです。そんな訳で、大船渡線からバスに乗り換える際は改札口を通りませんから、切符を見せる機会が全くありません。遠方から陸前高田に行こうとしたら、乗車駅の券売機の路線図がそこまで書いていなかったので小銭で安い切符を買い、最後まで精算する機会がなくてそのままになってしまう人もいるかもしれないですよね(妙に詳細な仮説)。案内板とかも全くないので正解がわかりません。

そして、そのような専用道路を走行するバスのことをBRT(バス高速輸送システム)と呼びます。世界各地で導入されていますが、海外では地下鉄を建設すると採算が取れない場合に整備されることが多いのに対して、我が国では地方の廃線跡に整備される事例が多いです。しかし、そのような場所は基本的に過疎地なので、バス専用道路すら維持できず、平行する一般道路に移る事例もあります。ここ東北もそう順風満帆ではありません。私が乗ったバスは、気仙沼駅から線路跡を進み、次の鹿折唐桑まで行ったところで一般道に入りました。その後、高速道路を通ったりもしましたが、目的地の陸前高田駅まで線路跡を走ることはありませんでした。最早BRT詐欺の域です。

しかし、僕はこれで良いと思います。線路跡より一般道の方が市街地に近いし、この時間帯では特に渋滞もなかったので、現状の運行経路が最適と考えられます。前口上がBRTなので、期待との落差で不満を漏らしてしまいそうですが、このバスは一般的な地方の路線バスと比べると非常に優れている点があります。それは、運賃・時刻・路線案内の全てにおいて、鉄道との連絡が前提となった運用がなされている点です。というのは、JR東日本の旅客案内サイト「えきねっと」で、鉄道駅からBRT駅までの運賃や時刻を調べることができ、JR東日本の路線図にもしっかりとBRTの運行経路が掲載されているのです。


これを東北の被災地よりはるか以前に採用していた事例を紹介します。まずは韓国です。日本の国鉄・JRに相当する鉄道公社の路線は、首都圏と釜山以外では特急しか運行されておらず、驚くべきことに各駅停車という種別が絶滅寸前となっているのです。その特急しか走らない都市間輸送特化型の鉄道を補完するのが路線バスで、日本なら鉄道とバスが併存している地域輸送を全て路線バスが担っています。そのため路線バスの利用者が非常に多く、運賃収入や財政支援の優先度も高いので、結果的に立派な待合室がバス停の標準装備となっているのだそうです。

そして米国です。米国の都市間鉄道は航空と自家用車の挟撃を受けて壊滅し、アムトラックという公社になりました。それ以降も段階的な運行規模の縮小を余儀なくされていますが、そのような鉄道不毛地帯にはアムトラックスルーウェイという鉄道代行バスが運行されています。アムトラックの公式路線図には堂々とバス路線が描かれています。しかし、あくまでアムトラックは旅客鉄道です。米国の鉄道は、日本の鉄道の旅客と貨物が正反対になった状態と言うとわかりやすいでしょう。日本では旅客鉄道の保有する線路を貨物列車が間借りしていますが、米国では貨物鉄道の保有する線路をアムトラックが間借りしています。さしずめJR貨物のオフレールステーションがアムトラックスルーウェイに相当しますね。

緑色の線がアムトラックスルーウェイ。基本的にバスで運行されるとのこと

これらと比して我が国の鉄道利用者がバスを目にする機会を考えますと、JRやJTBの分厚い時刻表に載っていることと、旧国鉄バス路線が乗り換え駅で案内されることくらいではないでしょうか。まぁまとめると、鉄道とバスを同列の公共交通機関として扱っていけば良いのでは?ということです。実は、この点で一躍先頭に躍り出たのが大阪メトロです。大阪府市では経済成長を犠牲にして財政再建への取り組みが進められていますが、その一環で地下鉄今里筋線の延伸が凍結されました。そして、今後この凍結を解いて建設するかあるいは完全に計画を放棄してしまうか決めるために、需要調査としてBRTの「いまざとライナー」が運行され始めたのですが、このバスは地下鉄に乗り継ぐと初乗り料金に近い額が割引となる上に、地下鉄路線網の一翼を担うものとして地下鉄の路線図に載っています。

ちなみに、現時点では我が国の交通政策はこれと逆行しています。国鉄民営化以降、JR各社で鉄道本体とJRバスの分社化が進められ、既に全ての地域で別会社となっています。JRバスの前身である国鉄バスは、ほぼ全ての路線が鉄道の代行や短絡のための路線でした。そのような歴史を考えれば、そのまま直営でも良かったはずですが、分離されました。国鉄民営化の際、全国一社ではなく分割された理由は「地域密着を図るため」だったのですが、それならバス直営の方が筋が通ります。バスが分離されたのは、国鉄バス時代の路線をほとんど捨てて東名間のドル箱路線を主力としているジェイアール東海バスの例を見るまでもなく、赤字のバス路線を効率的に廃止するためだと考えられます。鉄道を民営化して採算性を求める上にバスにも単独で採算を取ることを求めたら地方の公共交通がどうなっていくかなんて、端から分かりきっていたことでしょうに…。

それはそうとして、全て公共交通機関は都市間輸送か都市圏輸送を担うべきですが、日本にはどちらにも満たない残念なものが多くあります。例えばJR西日本の芸備線はその界隈では有名な路線で、列車が一日に3本しか運行されないという驚異的な区間があります。いくらなんでも3本では地域住民の足とはなり得ません。従って、有事に貨物列車などを通すために残しているのかと思いきや、芸備線の路盤は日本最弱なので(車両が高速で走ると路盤が痛むため、保守費用削減を図って制限速度25キロの区間が山ほど設けられている。通称必殺徐行)、気動車1両よりはるかに重い貨物列車を通すことは不可能です。その上、便利で快適な中国自動車道が並行しているというおまけ付き。従って、芸備線の当該区間は廃線が妥当なわけです。芸備線に投資していた費用は山陰本線に回して、山陰本線の緊急迂回路にしておくべきです。

2013年、交通政策基本法が成立し、国には国民の交通権を保護する責任があるということが法制化されました。字義通りに読めば、鉄道であれバスであれ、国は地域に最適な公共交通手段を保証しなければなりません。平成の30年間で起こった、地方公共交通の衰退と、国鉄民営化による大都市圏の路線の収益化を併せて考えると、国鉄は首都圏、関西圏及び東海、その他の地方に3分割し、首都圏と関西東海をそれぞれ民営化、その他の地方は国営維持または公設民営化、バスや航路も同様の扱い、というのが日本経済全体で見たときに最適なんじゃないかと思います。この分類って既存の大手私鉄の分布と重なるんですよね。官民の分担は、市場競争に委ねても公共の福祉を維持できるかどうかで決するべきである。おぉ、我ながらこれは至言です笑。福岡はどうやねんとか細かい点は専門家に任せますが、これを日本中のあらゆる分野で大原則にすべきだというのが私の考えです。宇沢弘文の社会的共通資本だとわかった貴方は偉い。

…鉄道もnoteも脱線は禁物。ここらでこのnoteの本題である紀行文に戻ります。気仙沼からBRTに揺られること数十分で、次なる目的地である高田松原復興祈念公園に到着しました。僕は鉄道以外に建築も好きで、日本の有名な建築雑誌に新建築というものがあり、たまに本屋で立ち読みしています。ある時、その表紙に陸前高田の高田松原復興祈念公園の写真が使われていて、かっこえ〜これはそのうち行きたいな〜、と思って今日のエクストリーム旅程に至るわけですね。内藤廣による軸線を重視した設計が特徴的ですが、結論から述べると、この公園はとてもかっこいいです。広島の平和記念公園や、第1話の時に歩いた広大な皇居外苑と同じ匂いがするなと思いました。素人考えですが、近代のナショナリズムは文化的なものと経済的なものがあって、日本の文化的ナショナリズムは「祈り・慰霊・儀礼・皇室」で大枠が形成されていると考えると、広島と東北は街(即ち文明そのもの)の消滅という最悪の形で経済的ナショナリズムが傷付けられた分、皇居並みに文化的ナショナリズムを体現した慰霊施設が出来た、ということにしておきましょう。

公園はかなり大規模なもので、僕が訪れた時点でまだ全体の半分も開業していなかったらしく、工事用の車両が大量に投入されていました。他にやることがあるのではと思わなくもないですが、被災地の土建業者は、復興特需がひと段落したら設備が過剰になって大変になるぞと聞いていましたが大丈夫なんでしょうか。主に小泉政権以降、というか小渕政権の財政拡張の効果を見誤って以降、我が国は公共事業を削減しすぎて土建業が弱体化しています。都市住民向けの所得税減税と地方における公共事業が長らく戦後日本の定番経済対策でしたが、そんな時代も久しくなり、「公共事業」といえば五輪や新幹線のような政局の道具以外は全部「無駄」の代名詞のような感じになっていることは皆様ご承知のところですね。無駄を削りすぎたらどうなるのか、日本人はリーマンショックと東日本大震災とコロナ禍で3回も学びました。そろそろ平時の無駄は有事の余裕なのだと気付きませんかね?

公園の中には東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)という施設が設置されており、震災にまつわる展示を無料で見ることができます。内容は充実していて一見の価値ありと思いますが、中でも自衛隊大活躍の様子が伺えました。実際に自衛隊は例えば消防団などとは練度が桁違いなので、現場にいた人ほどその力を実感したというのは間違いありません。ただ、自衛隊を持ち上げたい人々にとっては、災害派遣の宣伝は空母や戦闘機にも勝る最強の武器ですから、姿形は違えども靖国神社と似たような政治的意図を感じずにはいられませんでした。

その一方で、靖国神社とは明確に異なる点もあります。靖国神社には殉職自衛官も祀られていますが、一般に自衛隊のイメージは薄く、今も昔も日本軍の文化的な象徴と言えます。特に昭和初期の日本軍は経済的ナショナリズムと文化的ナショナリズムの結節点となっており、即ち双方のナショナリズムを体現していた存在でした。経済的ナショナリズムを体現していたのは、高度国防国家建設にあたっての統制経済下において軍部が指導的役割を担っていたからです。そして、文化的ナショナリズムを体現していたのは、西南戦争以来、日本軍が多くの戦死者を出しながら推移してきたからです。軍隊は良くも悪くも文化的ナショナリズムを体現するものですが、自衛隊の場合は戦死者がいないので、文化的ナショナリズムとまるで馴染めない。この復興祈念公園の中で自衛隊の展示は浮いていました。大勢の死者を慰霊するというこの場の性格と、戦闘で死者を出したことがないという自衛隊の軍隊としての非現実性が、本質的に矛盾しているのです。中国が南西諸島に侵略してきて、水陸機動団が死屍累々の戦いを演じたら、自衛隊は日本の「現実」になります。そのとき、復興祈念公園の自衛隊の展示はそれまでと全く異なる意味を持つようになるでしょう。お前が何を言っているのかわからないという方は、それでも構いません。まだ日本は長い戦間期にいますので。

なお、伝承館にあった一番感動的なエピソードは、電話回線が途絶し孤立状態だった釜石市の惨状を伝えるため、釜石漁業無線局が国際遭難周波数で他の無線局に呼びかけを行ったところ、関東方面の漁業無線局が通信をキャッチし、そこから岩手県庁への通信ルートができたという話。無線局同士の通信は違法なので処罰覚悟で呼びかけたそうですが、釜石局が避難者の名前を一晩中読み上げていた間、世界中の無線局が交信を妨げないよう不要不急の通信を控え、普段は混雑している国際遭難周波数が水を打ったように静かだったそうです。そう、このような涙なしにはいられない話こそがこの展示館にふさわしい。ていうかこういう話を道徳の教科書に載せれば揉めずに済むんですよね。

これが有名な奇跡の一本松

復興祈念公園から少し離れた場所にある市街地は大規模なかさ上げ工事が施されており、街中の施設は全てが新築でした。悔やまれるのは滞在時間が短くなってしまったことです。この日の内に仙台へ移動することになっていたのですが、運行本数の少ない大船渡線に生殺与奪を握られるのが心許なかったので、早めに仙台へ向かうことにしました。

津波の高さは衝撃以外の何物でもない
市街地から復興祈念公園を望む


とは言え、短い滞在時間でも多少わかることはあります。車通りはそこそこあったのですが、中心市街地を歩いている人は全くいませんでした。散策中、路上では1人の人間ともすれ違わなかったのです。では人々は車に乗ってどこへ向かっているのかと言えば、(BRTの)駅前にある真新しいショッピングモールが賑わっておりました。街並みはピカピカですが、これでいいのか感がすごい。加えて、空き地が多すぎます。非常に言葉は悪いのですが、中途半端なニュータウンとしか言いようがありません。陸前高田がこうなってしまったのは、震災から復興までに時間をかけすぎて、その間に人口が流出したからでしょう。例えば阪神淡路大震災は、大都市での震災であったため、人口が集積していたことが復興の原動力となって、比較的早期に都市を再建しました。南海トラフ地震や首都直下地震では東日本大震災をはるかに上回る死者が出る可能性も指摘されていますが、高層ビルがどうなるか心配ですが、歴史を鑑みるに短期間で復興するのではないでしょうか。

右手、緑色屋根の建物が陸前高田駅

しかし、ここではっきりと言いたい。陸前高田の最大の失敗は、復興祈念公園と市街地が何の連関もなく、完全に分離していることです。あの素晴らしい公園が、市民生活と無縁なものになっているのではないかと危惧しています。私は奈良県民ですが、奈良県民の多くは、県内の文化財と無縁な生活を送っており、若者は地元を嫌って大阪や東京の方ばかり見て、大人たちも観光資源になるもの以外は平気で崩れるがままに放置したりします。奈良が古都であり文化観光都市であるというのは一つの側面でしかなく、千年前の都としての歴史ばかりが盛んに語られ、近世や近現代の歴史はまるで語り継がれていません。人は見たいものだけを見て、見たくないものから目を背けるものです。復興祈念公園は、人々をさらった海と近過ぎるとして、被災者の間で論争を生んだと聞いています。議論の末に海岸線のすぐそばに建設されたは良いが、海もろとも復興祈念公園を市街地から追いやったように見えなくもありません。そのような意味で、私の訪問時は工事中でしたが、震災から11年の今日、国営の復興祈念公園とは別に、駅から程近くに陸前高田市の東日本大震災追悼施設が整備されたのは非常に評価できることではないでしょうか。

奈良県民としては、生活の中で地域の重要なアイデンティティを活かす術を議論してほしいと思います。毎週東大寺に行こうとか復興祈念公園に行こうというわけではなく、地域の大きな物語から出発して、議論や思考を通して問題を認識すること自体に大きな意義があります。震災追悼施設もそういう過程で設置されてのかと思って調べましたが見事に何も出てきませんでした。とにかく、これから市立博物館なども開館を迎えるとのことで、またいつか陸前高田を訪れて復興の進展を見たいと強く思いました。

2022年秋開館予定の市立博物館

再び大船渡線で爆睡した後、一ノ関から仙台は課金して新幹線に乗りました。自由席でしたが、枕がフカフカだったので快適そのもの。この区間は、課金して枕フカフカ快適新幹線か、節制してロングシート各駅停車かという、究極の二択を迫られる区間なのです。日本全体で見れば新幹線の横を特急や快速や私鉄の路線が走っている状況の方が余程珍しいじゃないか、ということはかなり後になって気付きました汗。これは猛省しなければならないですね。

仙台では時間に余裕があったので、厚切り牛タンを食べるなどして仙台の街を楽しむことができました。僕は小泉進次郎は嫌いですが(唐突)、せっかくニューヨークに来たんだからステーキ食べたいじゃないですか発言だけは100%支持します。肉は正義なのです。厚切りええやん。そして、せんだいメディアテークなんかも訪問し時間を潰し、ついに乗り込みました。皆様お待ちかねの夜行バスでいざ新宿へ!

次回へ続く

0日目
(夜行バス泊)
1日目
東京観光
(先輩宅泊)
2日目
東京観光
同級生宅見学
バス移動
(いわき市のホテル泊)
3日目
夜ノ森駅・大野駅周辺視察
高田松原津波復興祈念公園見学
陸前高田市街地視察
(夜行バス泊)
4日目
続く

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