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一週間で夜行バス4回乗り継ぎ紀行 第1話

皆様お久しぶりです。新参note会員でございます。初投稿から1年以上経過し、5本ぐらいの下書きと共に休眠状態だった当アカウントが、ついに再始動と相成りました。この度は完全書き下ろしの紀行文を投稿していきたいと思います。題して…

一週間で夜行バス4回乗り継ぎ紀行〜!!

ええやんええやん!学生生活満喫してるやん!と思ったそこのあなた、それは半分合ってますが半分間違いです。何故なら、この旅は大学の学祭期間に決行した弾丸旅行だからです。“リアルとバーチャルを両立させた学園祭”とか寒いんですわ。もちろん頑張っている大学や学生も多いのですか、全体的にはこれまでの学祭の悪弊ばかりが残り、魅力は半減したというのがコロナ禍の学園祭なんじゃないかと思います。

そんなこんなで、学園祭の一週間前に学祭のある週は授業が全休だということを知り、夜行バスでどっか行こうと思い立ちました。無難にバスの本数が多かったので東京にしました。上京するのは通過を除くと約10年ぶりですね。あまりにも予定が急すぎたので、地元である奈良発の夜行バスは全部売り切れていて、なんとか大阪発の予約を取れました。そのバスも満員だったので結構ギリギリだったわけですね。

今回の旅行で最初に訪れたのは、我が国建築史に燦然と輝くメタボリズムの代表作、中銀カプセルタワービルです。21世紀生まれとして、これを実際に建ててしまう昭和への憧憬を抱かずにはいられないですよね。その辺の神社仏閣より文化財としての価値があると言っても過言ではない中銀カプセルタワービルですが、どうやら投稿日ぐらいに居住者の退去期限を迎えるようで、偉大な建築もあと僅かの命かもしれません。最寄り駅は新橋駅ですが、駅を出てすぐのところで左手に静岡新聞東京支社、右手に日テレや電通の本社がある汐留のビル群、正面に進んでいくと旧新橋駅に辿り着きます。サラリーマンの街として有名ですが、中々見どころのある場所だと思います。

続いてぼったくり男爵や自民党三人衆に続いて銀ブラ(早朝で何の店も開いてないのでブラブラ歩くというよりスタスタ通過しただけだが)を敢行し、日本橋まで歩きました。周辺では日本橋上空の首都高速を地下化するための準備工事的なことをしていたが、それはここが三井財閥の本拠地だからなせる技なんでしょうな。近頃、三井不動産は調子がよく、本拠の日本橋のみならず日比谷や八重洲でも開発を行なっていますね。これに危機感を持ったのか、永遠のライバル三菱地所も日本橋と丸の内の中間地点にあたる常盤橋で高さ日本一となる高層ビルを建設中。ハルカスはもう時代遅れです。あーん(by近鉄)。


という感じで東京駅まで歩いてきました。流石に立派な中央停車場の前は三菱財閥の本拠地、丸の内です。名前に三菱と付いていないが、ここに本社を構える日本郵船、明治安田生命、東京海上日動などは三菱系の企業だそうです。なるほど財閥とは解体できるような代物ではないのだとよくわかりますね。丸の内に建つビルには、低層部にファサードを設け、東京の建物が100尺(31m)規制を受けていた頃の雰囲気を残しているという特徴があります。大阪の御堂筋でも全く同じことをしていますね。しかし、丸の内がこのような高層ビルばかりになったのは平成以降のことです。そもそも100尺規制には何らの科学的根拠もなく、戦前のエレベーターが無かった時代に、「もし高さ規制がなくても、そもそもそんな高いビルが日本に建つはずがない」というのが100尺だったそうです。今風に言えば「高さ規制:800m」的な感じですね。従って、100尺というのは階数で考えると微妙な高さになり、後に31mに変更されたわけです。いずれにせよそれでは土地が足りなくなったので、時代に即した新たな高さ規制を策定せんとなれば良かったのですが、日本には100尺規制護持派と高さ規制完全撤廃派しかいなかったらしく、結局航空規制がそのまま各都市の高さ規制となったわけです。とにかく、ビルを建てるのは景気に関わらず資金力のあるデベロッパーなので、ビルの高さと景気は特に比例しているわけではないとわかりますね。東京でも地方でも、駅前再開発はタワマンと複合商業施設を建てるものと相場が決まっていまずが、僕は高い金を出してそういう街に住むのは御免被りたいと思います。多少古かったり汚くても構わないので、個性的で面白い街に住みたい。それとは全く関係ないが、丸の内の都庁跡地に建つ東京国際フォーラムは、スロープを登るのに5分くらいかかって疲れました。

そんな感じで丸の内を抜けて皇居外苑へ。実は、この皇居外苑こと皇居前広場は、モスクワの赤の広場や北京の天安門広場より断然広大で、世界最大の広場と言われています。あまりに外苑が広すぎるので、有名な二重橋や桜田門が逆に小さく見えてしまうという、現地に行かないと実感できないジレンマを体感できました。そんな何もかもが立派な皇居から後ろに振り返ると、丸の内のビル群が綺麗に見えるわけです。このくらい離れると、足元の外苑が綺麗なことも手伝って、ビル群を美しく見せてくれるようですね。そんな皇居と国会の中間辺り、桜田門と憲政記念館の間は大きな谷になっていて、「霞ヶ関」の名の通り関所に適した地形となっています。やっぱり地名は侮れないなと思って歩いていたら、首相官邸の前は一つの交差点に10人以上の警官がいてビビりました。皇居前や国会前には1人2人しかいなかったので、やっぱり国権の最高機関は実際にはこっちなんだと思い知るわけです。よく考えれば、立憲君主制かつ米国流憲法の戦後日本において、中選挙区制や派閥を潰し、官僚も中間団体も減らしていけば、自ずと首相の権力は強くなるでしょう。だがあの仮設バリケードはもう少し何とかならないのか。毎日置いているのなら、綺麗にデザインしたものを常設してしまえば良いのにと思いますが、やはり幾ら官邸に権力があっても権威は全部皇居に持っていかれる、古より伝わる我が国の伝統です。

ここでやっと地下鉄に乗った。メトロ乗り放題券を買ったので、都営は使えないにせよ無敵だと思っていたら、東京の地下鉄は便利に見えてたまに不便なところがあるので危ないですね〜。二日間乗り回したところ、絶望的に行けない場所はないけど、ちょっと不便だなという感じの所がいくつかありました。路線網が格子状になっている大阪市営地下鉄こそ正義である。

行き先は九段下、靖國参拝です。大鳥居とは聞いていたが、予想以上に大きかった。近年塗装を直したばかりとのことで、街路樹も相まってとても綺麗でした。下を車が通らない鳥居としては、多分日本有数の大きさだろうと思う。英霊に感謝と追悼の念を表して遊就館に行くと、玄関ホールに零戦と大砲が飾ってあり、その奥にある売店には、右翼の本と自衛隊グッズが大量に陳列されていて、散った桜をかき集めて糊で枝に貼り付けたようなカオス状態ですわ。こういうことをするから奉賛金が伸びず、靖國行幸も叶わぬ夢となっていることに早く気付いてクレメンス。参拝者の10人に1人が街宣右翼の格好だったので今更方針転換できないのだろうけど、何とかしてください(無責任発言)。一方、そんな靖國神社より一段と過疎っているのが千鳥ヶ淵。こちらは国営の戦没者慰霊公園だが、靖國の右翼の代わりに千鳥ヶ淵には左翼が来るとかそういうシステムはないので、閑古鳥が鳴いていました。僕が行った時には、偶然秋篠宮殿下と岸田総理の献花が置いてあったが、それでも無人。予算も少ないのか、公園の事務員の女性が清掃もしておられました。その事務員さんは若者の来園者が余程珍しかったのか、嬉しげに僕に話しかけてきて、奈良から来たとか靖國も行ったとかコロナで大学に行けないとか、しばし歓談に興じました。その後北の丸を通り、旧近衛師団司令部(ここ重要!覚えておくべし)や日本武道館、魔改造中の九段会館を見つつ九段下駅まで戻りました。そんな近衛師団司令部といえば戦後は長らく東京国立近代美術館工芸館として利用されていましたが、数年前に金沢市へ移転しました。ヘ〜。

次に行ったのは迎賓館赤坂離宮。とにかく豪華絢爛で、これを建てた明治時代の日本人の気概というのはすごいと感心するばかりです。元々は若い皇太子(後の大正天皇)の東宮御所だったためか、建物正面の尖塔?に星がデザインされていて、そんなに目立ってはいなかったが、全体のデザインからは明らかに浮いていました。あの立派な宮殿にきらきらお星さまを付けてしまうあたり、当時の日本人が西洋を理解しているようなしていないような雰囲気が伝わってきて嫌いではないですけどね。


そこからだいぶ歩いて、赤坂御所の脇を通過すると明治神宮外苑で、有名な銀杏並木を横切ると、東京五輪の舞台となった国立競技場が目の前に現れます。建設当初は「高すぎて圧迫感がある、景観が悪化する」と非難轟々でしたが、僕は以前の景観を知らないので、そんなに圧迫感は感じませんでした。むしろ、前はザハ・ハディド案や伊東豊雄案の方が好きで、丹下健三の代々木競技場を建てた1964年とザハ案を建てられなかった2020年、などと一人立腹しておりましたが、立地環境的にザハ案は似合わなかったかもしれないですね。ザハ案を見たかったという気持ちも大いにあるけど。そして隈研吾案の欠点は内装にある。スポーツ施設の設計経験がある伊東豊雄に対して、隈研吾はこれが初めて。こけら落としとなったサッカー天皇杯で、ゴール裏にゲートは有り得ぬとか、通路も階段もトイレも狭いとか、賛否両論あった原因は隈研吾の経験不足によるところが大きいでしょう。有名な建築家とて神様ではないのに、隈研吾に期待しすぎなんですよ。

外苑の次は内苑へ向かう。JRや都営には乗れないので、熱烈親中派の学会本拠地でお馴染みの信濃町を迂回し、元コミンテルン日本支部でお馴染みの共産党本部前を通過、アメリカ被れデザインでお馴染みのNTT代々木ビルを仰ぎ見ると、神社本庁本部横から明治神宮に入ることができます(日米中ソコンプリート)。創建前は原野だった場所に人工的に木を植えたのがこの明治神宮の社叢で、森林の成長を一から完全な形で記録している森は世界で唯一とも言われています。明治天皇もびっくりの貴重さを誇る明治神宮の社叢はとても気持ちが良く、まさに都会のオアシスです。明治神宮は正月の参拝者数が毎年日本一でお馴染みだが、正月でなくとも物凄い参拝者の数なんですね。僕の体感では地方の大きい神社の一月五日くらいの人出で、神社本庁がここにあるのも納得です。帰りは表参道方面に抜けると、丹下健三の国立代々木競技場が目の前に。間違いなくこれが日本一、もしかすると世界一の体育館かもしれません。競技場にカメラを向ける人も少なくなかったです。…と、このようにして高度経済成長期への憧れは増すばかり。岸田さん、あなた令和の所得倍増とかショボいことを言ってないで、昭和の所得倍増をもう一度やってください。新しい資本主義の会議に竹中平蔵先生が参加しているとは一体どういうことですか?あ、新しい自由主義ってことですね…。

夜は特に何もせず、メトロ無料券も使ったりしながら後、お世話になっている先輩のシェアハウスに泊めて頂きました。シェアハウスとか面倒そう、なんて思っていたが、普通に楽しかったです。帰って来た後もワーワー喋れるのはいいな〜と思いました。ありがとうございました。

と、平穏に夜が終わると思ったら大間違いである。先輩と合流する前、東京タワー至近の神谷町で駅を出ると、大きな再開発の工事現場が目の前に広がっていて、その奥に六本木ヒルズ、少し移動した場所で虎ノ門ヒルズも見えたので、森ビルばかりだなと思って調べたら、この辺りは森ビルの巣窟であるということがわかりました。森ビルは用地買収に長い年月をかけることで知られていて、一つの街区全体に「立体緑園都市」を建設することをビジネスモデルとしています。

港区の広い範囲が安倍政権の看板政策のひとつであった国家戦略特区の特定都市再生緊急整備地域に含まれていて、森ビルのみならず三菱や三井が手掛けている再開発もほとんどがこの中で行われています。日本には東京よりも都市再生を緊急に進めるべき地域が山程ある、むしろ東京以外の全ての都市を緊急に再生する必要があると思うのですが、そうはならない世知辛さ。そもそも基本的に自民党や維新の会が掲げる地方創生というのは、田舎を助けるという意味ではなく、地方自治体の中央からの自立を促すという意味が大きい。つまり、田舎の切り捨て、再分配の否定こそが「地方創生」の本分というわけですね。そこを(市民の意思によって建設された団結した強力な)野党連合が舌鋒鋭く糾弾してくれると思いきや、口を開けばジェンダー平等と多文化共生しか言わないのでみんな仲良く議席減。しかし、もし共産党との選挙区調整が無ければ壊滅していたという危機感が立憲民主党から微塵も感じられないあたり、いよいよ自民と維新の二大政党時代が見えてきてお先真っ暗としか言いようがありません。

それはそうとして、2050年頃には、虎ノ門から六本木までの広い範囲が全部森ビルになっている可能性が普通にあると思います。洒落た街並みが広がるのは普通に良いことなので、そうなったらなったで面白そうです(老朽化して現在の多摩ニュータウンみたな状況になってるかもしれないが)。しかしその時に地方都市が全部廃墟になっていたらプラスマイナス0で意味がないわけですよ。その辺を差配するのが「国家戦略」だと思うのですが、我が国ではただの再開発事業のことを平気で国家戦略と言いますからね。それは戦略じゃなくて「作戦」「戦術」です。なるほど真珠湾奇襲作戦も戦略が無かったから燃料タンクを爆撃せず帰投したのですね。


翌日は、まず池袋の自由学園明日館を見に行きました。朝イチで行ったにも関わらず、既に数組の見学者が来ていたのは流石ですね。戦前にフランク・ロイド・ライトが設計した女学校であり、当時の日本人、それも子供向けの建物なので、屋根が非常に低かったです。しかし、随所に工夫された意匠が織り込まれているので、見ていて飽きないようになっています。そんなライトといえば旧帝国ホテルの設計で知られていますが、玄関部分が岐阜県の博物館明治村に移築・保存されています。ヘ〜。


続いては駒沢オリンピック公園。この中央広場がとてもかっこいいのであります。僕はどちらかと言えばポストモダニズムが嫌いで、昔ながらのモダニズムの方が好きなので、大抵「敢えて中心から外す」などといったデザインはしっくり来ないわけですね。しかし、ここでは軸線から少しずらした位置に置かれた管制塔が左右の競技場と見事に調和している。このバランス感覚は見上げたものです。あと曇り空がいい雰囲気を醸し出していました。例えばディストピア映画で晴天のシーンなど有り得ないように、その場にふさわしい天気というのが存在すると、僕は勝手に思っています。駒沢オリンピック公園では曇り空です。

この後、高校の同級生と合流して昼食を取り、彼の自宅にあげてもらいました。奈良から東京へ出て一人暮らしだという彼は生活費を極限まで切り詰めて生活しており、その微笑みつつも鋭い眼光と共に発せられる「極限目指せ」という掛け声は、山上の仙人に勝るとも劣らない達観をサイゼリヤのテーブル席全体に示し、あたかも水面に落ちる水滴のように私の心を打つばかりでした。などと茶番に興じているうちに数時間も仙人の庵(1K)に滞在してしまい、そそくさと東京を発つバスに乗り込みました。この日の宿は福島県いわき市のホテルです。夜行バス全然乗らねーなと思ったそこのあなた、案ずるな!ここまでは余興みたいなもので、ここから先はエクストリーム旅行になります…

次回へ続く

0日目
(夜行バス泊)
1日目
東京観光
(先輩宅泊)
2日目
東京観光
同級生宅見学
バス移動
(いわき市のホテル泊)
3日目へ続く

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