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商品コンセプトその①/何故サステナブル(持続可能性)にこだわるのか

学生時代の後悔が始まりです。


皆さんご無沙汰してます。
國吉真矢です。

前回投稿から約3週間、だいぶ間が空いてしまいました。

いつも読んでくださる方、フォローして頂いてる方、申し訳ないっす!

なんかアプリの仕様が変わったのか若干タイムラインが見づらい気が…

まあ慣れですかね?

起業しておよそ一か月経ちました。
何をしていたのか、は次回以降書くとして

今回から商品コンセプトに入っていきたいと思います。
やっと!

ただ、話としてはかなり長くなりますんで
設計としては

・前提
・形状
・塗り
・素材
・それ以外のコンセプト

という形で書く予定です。

ですので第一回目の今回は前提を書いていきます。


まずは復習から

私は「塗器」というコンセプトを提唱しています。

条件の一つとして
・サステナブル(持続可能)であること
としています。

社会貢献としてはもはや当然なんですが、これは私のライフワークと言っていいぐらい思い入れのあるものなんです。

というわけで今回は前提として
「なぜサステナブルにこだわるのか」、という話をしたいと思います。


話は大学時代に遡ります

私は大学受験に失敗して浪人後、地元の大学に通いました。

といっても何となく目標を見失って行ったり行かなかったりでした。
(ちょっと失敗したぐらいで揺らぐ目標だったということはその程度だったのかもしれません。)

そんな中、環境とESD(持続可能な開発のための教育)、という環境学習のゼミがあり、私は取り損ねていた単位のために参加しました。

そこで私は環境と持続可能性(=サステナブル)について学びます。
(ざっくりまとめると、要は環境は「人が暮らすこと」と関わってくるから人が暮らし続けられる持続可能性が必要だよね、ということです。)

最初は特に興味があったわけではありませんでした。

しかし担当してくださった恩師の話の面白さと、研究室の居心地の良さをキッカケに2年ほど楽しく学習を続けました。いやー楽しかった。
ま、最後は実家の仕事に関わって行くためフェードアウトしていくのですが。

ゼミ合宿



ゼミに参加して一年経つか経たないかのころ、1泊2日のゼミ合宿がありました。

私が長年暮らし、よく知っている地元。

そこを環境、持続可能性という普段とは違う切り口で見て回りました。

地元で有名な企業を見学させて頂いたり貴重な経験をさせて頂きました。

そして各地の名産を頂いたり、各企業の方に差し入れを頂いたりと最高でした。(笑)いやー美味しかった。

ひとつの悩みとシンプルな解決方法

合宿が終わり課題として出たいくつかのレポート課題を済ませるなか、私には一つどうするか悩んでいることがありました。

2日目、見学に行ったあるところのレポートです。

それは、原発です。

見学の際、職員の方の説明を聴きながら、私にはある疑問が湧いてきました。

事故は起こらないようにしている、起こらないようにしてる、っていうけど実際起きたらその時の対策あるのかな?起こさないためのセーフティネットが機能しなかったらバックアップあんのかな?」

「このひと、起こさないことをえらい強調してるけど、所詮人がやることだし事故って起こるものだよなあ。ハインリッヒの法則があるぐらいなわけだしここのヒヤリハットはたまにニュースなっとるしなぁ」

と。

石油資源、大気汚染という切り口を考えると原発はとても価値のあるものです。

しかし持続可能性という点で考えると事故が起こったら環境と社会は。。。

そう思った私は「後者」の切り口でレポートを書き始めました。

しかし少し書いたところで「やっぱ時間が3倍ぐらいかかるな、面倒だ」と思い、全て削除しました。

原発は大気汚染が少ない、という切り口のみでレポートを仕上げました。


サステナブルが私のライフワークになった瞬間

ゼミ合宿からおよそ1年後のことでした。
私は既に実家でガッツリ仕事を始めていました。

2011年3月11日、皆さんもよく覚えているあの歴史的な大災害とともに福島原発は吹き飛びます。

事故が起きたのです。

起こさない、と言っていた事故が起きたのです。

私の地元ではありませんでした。
しかしそれは全くの偶然で、同じことが起こってもおかしくなかったと思わずにはいられませんでした。

あの日の出来事の映像はたくさんありますが、あの吹き飛ぶ映像は忘れられないものの一つです。

多くの皆さんがそうであったように私は酷くショックをうけました。

そして思い出したのです。あの手抜きレポートのことを。
自分が範囲選択でまとめて一瞬で消してしまった文章のことを。

事故の可能性を考えたにもかかわらず、面倒くささが勝ってしまった。

多くの人がそうしてきてしまったように、私は危険性から目を背けたのです。

原発は事故を起こさない、そんな空気づくりに私は加担してしまった

そのことを強く強く後悔しました。

もちろん、私がそれらを書いたところで何か変わったかと言われたら、全く関係ないと答える他ないでしょう。

私は無力でした

ですがそれでも、何かができたのではないか、と衝撃的な出来事を映すテレビに打ちのめされながら強く思わずにはいられませんでした。

学んでいた持続可能性、サステナブルとはどういうことかをこれ以上なく実感し、実践していかなければならないと決意した瞬間でした。



あの日、災害と事故によって多くのものが失われました。

そしてあの事故は私のような無力な無数の人間の無関心が引き起こした事故なのです。

私たちにはその責任があります。


(もちろん直接責任のある力を持った少数の人々がいるのは間違いありません。彼らを免責するためのものではありません。彼らは正犯です。)


過ちを正す。

だからサステナブルなのです。


私たちの社会はサステナブルを必ず意識して運営されなければなりません。

そうでない社会のありようは私は断固拒否します。

私には二人の子どもがいます。

彼らが大人になったとき、がっかりさせたくないのです。

完ぺきではなくとも、今よりは良い世界を見せたい。

その多くの人の想いの積み重ねが「過去に比べたらよりよい現在の社会」だと考えています。

その先人たちからの想いを繋いでいきたいと考えています。

サステナブルは私たちの「よりよい社会」の進むべき道です。

私はもう見ないふりはしたくないんです。

このことをコロナ禍という世界を変える大きな出来事のなか思い出しました。


後悔と責任

私がライフワークとしたいのは、世界をよりよくすることです。

そこに人権論を包摂しより具体的な目標となったSDGsもその過程で当然実現しなければなりません

だから私がこれから作ろうとしているもの、20年以上構想し、作り出そうとしている「塗器」はサステナブルが前提になるのです。



というわけで以上でーす。

以前書いたパーパスやビジョンの文がブラッシュアップされていくと思います。

ではまた次回。


SDGs関連でちょっと気になる話を見かけたので追記、
というか注意喚起です。

今何かと話題の某反社会的なカルトですが、大学では有名な「原理研」というサークル名だったのが最近は一般に「CARP」という略称で活動しているらしいです。

それが最近になってSDGs活動を標榜したり、「SDGS」という団体名に改称しているところも出てきているようです。

なんというか皆さんもお気をつけ下さい。



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