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「カモメと富士山」 1

あらすじ
 アメリカ留学中の富士美は、日系四世のジョージと交際を始める。だが、9・11テロが勃発し、ジョージは憎悪犯罪ヘイトクライムや不当な拘禁に苦しむイスラム教徒、中東・南アジア出身者の支援に奔走する。そのことで、富士美とジョージの考えの違いが露呈し、関係に亀裂が入る。富士美は、ジョージや彼の祖父らと対話を重ね、日系アメリカ人としての彼らの活動の意義を理解する。
 コロナ禍でアジア系に向けられる憎悪犯罪が増え、日本人も標的になっている今日、彼らの活動の重要性は増している。本作は、日本人が日系アメリカ人の経験と考えを知り、相互に理解し合うことを願って送る物語である。


2001年8月

 待ち合わせの時間まで、まだ少しある。バスを降り、ロサンゼルスの日本街ジャパンタウン リトル・トーキョーをぶらぶら歩く。日本で生まれ育った私の目には、違和感を覚える街並みに映る。赤いやぐら提灯ちょうちんも、日本ではあまり見なくなった二宮金次郎像も、無理に日本趣味を寄せ集めたような違和感を呼び起こす。だが、そもそも文化とは動態的ダイナミックなもので、アメリカに根をおろした日系アメリカ人が再構築した日本だと思えば違和感なく受け止められる。その街並みは、あのとき現れた老人の姿にも重なる。

 静岡の実家で春休みを満喫していた五か月前。春眠を貪った気だるさを解消したくて、みかん畑まで散歩しようと外に出た。コートを着ていても海風が肌にしみた。

 玄関の鍵を閉めようとしたとき、門の前に見慣れない老人が立っているのに気づいた。彼は凍りついたように立ち尽くし、私を凝視していた。その視線は、私の奥にある何かを探しているように深く力強かった。

 長身で筋肉質の彼は、野球帽をかぶり、黒いレザージャケットにジーンズをはき、サングラスをかけていた。日本人離れした体型と服装にも関わらず、髪色や顔立ちは日本人の老人というバランスの悪さが違和感を引き起こした。

 声を掛けずにおこうと思った。だが、視線の強さから、何か目的があって尋ねてきたように思われた。年齢からして、祖父か祖母の友人に思えた。

「こんにちは。私は勇次郎ゆうじろう富士子ふじこの孫の水野富士美みずのふじみと申します。祖父か祖母のお友達ですか?」

「Ah……」

 彼は英語なまりの日本語で、動揺を隠せない早口で話し出した。
「私はカズヤ・マエカワ、日系アメリカ人二世。亡くなった佳史よしふみさんと大学の友達。妹の富士子さんとも友達。富士子さんに会えますか?」

「ああ、あの……」

 祖母の富士子から、戦死した佳史兄にカズヤという日系アメリカ人の親友がいたこと、彼らが第二次世界大戦時に敵味方に別れて戦わなくてはならなかったことを聞いていた。

 彼は佳史の戦死は知っていて、せめて富士子に会いたいと尋ねて来たのだろう。だが、祖母の富士子は昨年鬼籍に入った。

 私は一瞬迷った後、「少し待ってください」と言い残して家に戻った。引き出しから、祖母のアルバムを引っ張り出し、年季の入った白黒写真を慎重に剥がした。仏壇に供えられたみかんと墓参りセット、写真を紙袋に入れ、急ぎ家を出た。あの老人は幻で、戻ったらいなくなっているかもしれないと胸騒ぎがしたからだ。

 彼が感慨深そうに家を見上げる姿を見て、幻ではなかったと胸を撫で下ろした。庭に止めてあった軽トラックの助手席のドアを開け、「乗ってください」と促した。

 国道に出ると、運転席と助手席の窓を下げ、車内に潮風を入れた。助手席から彼の視線を強く感じた。

「このトラック、祖母の富士子がよく運転していました」

 私は、彼が理解できるよう、一語一語を丁寧に発音しながら、ゆっくりと話すことを心掛けた。

「祖母から大叔父の佳史さんの話は聞いています。佳史さんに大学で知り合った日系アメリカ人の親友がいて、戦時中は敵味方に別れて戦わなければならなかったことも。祖母は生前、この写真を私に見せてくれました。一緒に写っているのは、あなたですよね?」

 私は写真を彼に渡した。そこには、佳史とカズヤが肩を組み、その脇に白いワンピース姿の富士子がすまし顔で映っている。大学の夏休みにカズヤが遊びに来たときに撮ったと聞いていた。

 彼は息を止めたように見入っていた。

「祖母は、友達同士が戦うような悲しいことは二度と起こってはならない。最も関係の深いアメリカとは、友好的な関係を維持しなくてはならないと口癖のように言っていました……。みかん畑で朝から晩まで働いていた祖母ですが、日米関係のニュースだけは欠かさずに見ていました」

「そう……」

「私は佳史さんと同じ東京商科大、いまの一橋大学に通っています。佳史さんの母校だからあなたも行きなさいと祖母に言われていたので、合格したときはとても喜んでくれました」

「Ah、グラデュエートしたら何になりたい?」

「外交官になりたいです。天然資源に乏しく食料の自給率も低い日本は、様々な国と友好的な関係を維持していかなくてはならないと思います。国際社会で尊敬され、その地位を確固たるものにしなければなりません。それに、貢献できる仕事がしたいのです」

 佳史さんのことを知らない私は、せめて祖母の思い出を聞かせたくて言い継いだ。

「実は外交官を志望したのは祖母の影響が大きいんです。祖母は、幼い私の手を引いて、米軍基地のフェスティバルやアメリカ人の牧師のいる教会に連れて行ってくれて、生のアメリカ英語を聞かせてくれました。その影響で、私のアメリカへの興味が募っていきました。祖母はそんな私に、あなたは英語が得意だから外交官になるんだよ、日本とアメリカが仲良くし続けられるようにしておくれと、よく言っていました。外交官という響きは、偉い人に憧れる私の野心を刺激して、やがて刷り込まれるように私の夢になりました」

 菩提寺の駐車場に軽トラックを止め、彼に降りるよう促した。水を入れた手桶とひしゃく、紙袋を持ち、彼を先導して玉砂利をざくざくと踏みしめながら墓地を進んだ。

「富士子さん、亡くなったんだね……」

 彼は墓前にしゃがみ、まだ墓誌に刻まれてから時間が経っていない富士子の名、積年の風雨にさらされた佳史の名を指でなぞった。

「昨年の夏、大腸がんでした……」

 彼の傍らにしゃがんで線香を渡し、2人で手を合わせた。

 立ち上がった彼に、私なりに考えたことをゆっくりと語り掛けた。

「日本人と日系アメリカ人は、生まれも育ちも考え方も違います。日本に対する思いも当然違うと思います。それでも、良好な日米関係を望む思いは同じではないでしょうか? 日米関係が悪化すれば、あなたと佳史さんのように敵味方で戦わなくてはならなくなるのですから」

 私の顔をまじまじと見つめる彼に、紙袋から取り出したみかんを渡した。

「祖母が育てた畑のみかんです。うちの畑は、このあたりでは一番の規模です。祖母の尽力で、東京の老舗フルーツパーラーにも納品できるようになりました。いまは私の両親と従弟が畑を守っています」

 私と彼は、みかんをむき、房を口に入れた。

「私は、夏から一年間、UCLAに交換留学するんです。アメリカに行ったら、この味が恋しくなりそうです……」

「富士美さん、アメリカに来たら、私の家に遊びにきて。うちに、UCLAに通う孫のジョージがいる。日本に興味あるジョージと、きっと仲良くなれるよ」


 アメリカに知り合いのいない私には、アメリカ人の知人ができるのは心強い。困ったときに助けを求められるし、UCLAに通う孫にレポートの英語をチェックしてもらうことも期待できる。

 そんな思惑から、白いワンピースを着て、待ち合わせ場所に指定された赤い櫓の前に立つ。風がハーフアップにした長い黒髪を乱し、どこかの店に吊るされた風鈴が涼やかに響く。実家の離れに祖母が吊るしていた古い風鈴の音を思い出し、感傷的な気分になる。そこから気持ちをそらそうと、往来する人々に視線を彷徨わせる。彼らの容姿や服装は多様で、いくら見ていても飽きない。体型を気にせずに、ショートパンツをはき、キャミソールを着ている女性は、日本人にはない大胆さがあって気持ちがいい。175センチの私は、日本では一緒に歩く人との身長差を気にし、ハイヒールを控えることがあったが、ここでは好きなファッションを楽しめる。

 これで、日本語が話せる環境なら最高なのにと思わずにはいられない。英語がままならないことは、小学校から優等生で、難関大学に難なく合格し、順風満帆な人生を歩んできた私には、初めての大きな挫折だ。
 英会話学校に通い、アメリカ事情を学び、TOEFLの点数も十分に満たしての渡米だった。ところが、いざ現地で生活してみると、早口の英語が聞き取れず、パンやハム、チーズ、野菜、ソースの種類を次々と尋ねられるサンドイッチ屋での買い物も一苦労だ。単語や表現を知っていても、日本語訛りの発音が通じず、聞き返されることもある。言葉は慣れだと言い聞かせて積極的に話しているが、会話は一朝一夕で進歩してくれるものではなく、上達したいという思いが先走って苛立ちが募る。思ったことが英語で上手く表現できず、不可解な顔をされたり。哀れみの視線を向けられるのは耐えがたい屈辱だ。渡米前は、英語力不足を補うために大袈裟な身振り手振りや愛想笑いを交える日本人を軽蔑していたが、今の自分は大差無い。プライドの高い私は、拙い英語を話して恥をかくよりも、聞き役に回ることが多くなった。

 そんなことを思い、気持ちが沈み込みそうになったとき、前の通りに白いトヨタ車が止まり、あのときの老人が降りてくる。私を感慨深い眼差しで凝視する彼を前に、あの日の彼が幻ではなかったと胸が震える。亡くなった大叔父と祖母が時を超えてつないでくれた不思議な縁だ。

「Hi, 富士美さん、久しぶりだね!」

 日本では、どこか居心地が悪そうに見えた彼も、ここではしっかりと根を張った大木のような風格がある。 彼は日系アメリカ人だと実感させられる。

 英語を話すときは、どうしても緊張で口に力が入ってしまう。自分の英語は、語彙も表現も限られ、発音も日本語なまりで聞き取りにくいと知っているからだ。 

「カズヤさん、またお会いできて嬉しいです!」

「来てくれて本当に嬉しいよ。そこに車を止めてある。さあ、行こう!」

 運転席から長身の青年が降りてきて、英語なまりのある日本語で話しかけてくる。
「ハーイ、初めまして!」
 
「孫のジョージ、21歳。UCLAの学生。彼は日本語を話したくて仕方がないんだ」

「ジョージさん、初めまして。私たちは同い年ですね。お会いできて嬉しいです」

 カズヤのようにがっしりとした体型の青年を想像していた。だが、目の前にいるのは、190センチはありそうな細身の男だ。彫りの深い顔立ちは欧米人の血が入っていることを匂わせる。ブラウンのカラーレンズが入った細い眼鏡をかけ、茶色がかったさらさらの髪が目元にかかっている。斜に構えた視線と眼鏡、艶のあるロン毛が繊細で近づきがたい雰囲気を醸し出すが、見方によってはセクシーだ。

「俺も超嬉しい! 俺、日本の女の子大好き!」

 外見に釣り合わないポップな日本語が飛び出し、ギャップに面食らってしまう。

「富士美、俺とは日本語で話して! 俺、もっと日本語がうまくなりたい」

「十分上手ですよ」

「マジ? 嬉しいな。さあ、どうぞ、ふーじみちゃん」

 彼にドアを開けてもらい、後部座席に乗り込むと、車は滑るように発進する。

「富士美は、グランパの友達の妹のグランドチャイルドなんだってね」

「はい」

「私がジョージくらいのとき、富士美さんの大叔父さんの家に滞在させてもらったんだ。とても親切にしてもらってね。だから、富士美さんも、いつでも遊びにきて。サンクスギビングやクリスマスもうちで過ごすといい。困ったことがあったら何でも相談しなさい」

「ありがとうございます。とても嬉しいです」

 カズヤは英語、私とジョージは日本語で話す会話が進む。奇妙なバランスだが、会話は問題なく流れていく。

「これ、『ルパン三世のテーマ』ですよね? さっきから、日本語のアニメソングが流れていますね」

「Yeah, 俺は子供の頃から日本のアニメ大好き。アニメで日本語をたくさん覚えたよ」

「日本人のガールフレンドからも習ったんだろ?」

「ヘイ、グランパ、シャラップ!」

 ジョージの明るさは、いつの間にか緊張を解きほぐしていた。彼の底抜けの明るさは、近づき難い雰囲気を中和するためではないかと思えてくる。私も目立つ外見と、たいていのことは周囲より器用にこなしてしまうせいで、同性からやっかみを受けることがあり、明るさと親しみやすさを鎧のようにまとってきた。同じ匂いを感じた。


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