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「カモメと富士山」4

 ジョージと交際を始めてから、カズヤの家を尋ねるのは初めてだ。関係を見透かされるようで落ち着かず、服選びさえも悩んでしまう。あれこれ試した挙句、白いギャザースリーブのカットソーに、ハイライズのスキニーデニムを合わせる。いつも下ろしているロングヘアは、バレッタで一つにまとめる。

 私を迎えにきたジョージは、車に乗り込んだ瞬間、ヒューと口笛を吹き、デニムを履いた腰を抱き寄せてキスの雨を降らせる。

「Hey, カズヤさんの前では、そういうことしないでね」

「構わないさ。グランパには、富士美とデートしていると言ってある。大切にしろと念を押されたけど、反対はしていない。むしろ、大喜びしてる」

「え、もう話したの……」

 ジョージは、私の困惑など、どこ吹く風で、「ルパン三世のテーマ」をハミングし始める。

 玄関で私を迎えたカズヤは、白眉を下げて笑顔を見せる。
「よく来たね、富士美さん。ラザニアを用意してある。男ばかりの家で大したものはできないが」

「わあ、ありがとうございます。ラザニア大好きです。これ、日本から送ってきたみかんジャムです。祖母の畑のみかんを使って、工場で作ってもらっています」

 カズヤは一瞬凍り付いたように動きを止め、宝物のようにジャムを受け取る。
「ありがとう。早速、明日の朝食にいただこう」

 首を傾げる反応だったが、カズヤは何もなかったように私をダイニングテーブルに案内する。

 アメリカではじめて食べた家庭料理のラザニアとグリーンサラダ、フランスパンのランチはとても口に合った。カズヤがジョージとの交際に言及しないのは嬉しかったが、いつ話題に上がるかと思うと落ち着かない。

「さあ、ソファに移って佳史よしふみくんの話をしよう」

 ジョージが、三人分のアイスティーのグラスをリビングに運んでくる。

「佳史さんのことは、写真と祖母の話でしか知りません。祖母が亡くなった今、彼を知る人はカズヤさんだけです。何でも教えてください」

 実家で見た白黒写真のなかの佳史は、学生服と学帽を身につけ、瓜実顔に丸い黒縁眼鏡をかけていて、神経質そうに見えた。それでも、未来への希望にあふれたエリート学生の瑞々しさが感じられた。

「松山中学で猛勉強した私は、1940年春に、東京商科大学の予科に入学できた。その歓びは格別だったよ。日米の交流を促進する仕事をしたいと思っていた私は、外交官をはじめとする官僚や商社員を多数輩出する商大に入りたかった。英作文やディクテーションを重視する試験だったのも、二世の私に有利だった。日本語に難のある私が、超難関の商大予科に合格できたので、アメリカの両親は大喜びだった。
 商大のキャンパスのことは覚えている。武蔵野鉄道の多摩湖線 商大予科前駅からキャンパスまで、真直ぐに伸びる砂利道が続いていて、その両側は立派な櫟林くぬぎばやしだった。夏は蚊が多かった」

「素晴らしいですね。予科があったのは、いま一橋大学の小平国際キャンパスになっている場所だと思います。私が通っている国立キャンパスが本科ですね」

「グランパと佳史さんは、富士美の大先輩だね」

「ハハハ、そういうことだよ。あなたが同じ大学に進んで、富士子さんは喜んだだろう?」

「はい、とても喜んでくれました」

 カズヤは相好を崩し、学生服姿の青年たちが写った写真を持ってくる。
「予科一年生は、キャンパス内にある一橋寮に一年入ると決まっていた。これが寮の仲間たちだ。自由と自治の精神が息づいている寮は、中学で軍国主義に洗脳されていた私にとって、自分を解放でき、高尚な人間にしてくれる場だった。あの頃の仲間のことは、今でもよく覚えている。商大生としての誇りを胸に、寝食を共にし、濃密な時間を過ごしたからだろう。
 寮の部屋が同じだった私と佳史くんは、自然に親しくなった。初めは、青白く細長い顔に、分厚い眼鏡をかけた神経質そうな彼とうまくいくか不安だった。だが、話してみると、外見に似合わず豪放闊達ごうほうかったつな人柄で、すぐに心を開いて付き合える友人になった。将来の夢、国際情勢、死生観、読んだ本の感想、アメリカでの日本人に対する差別などを夢中で話し合った。彼は家が裕福で、静岡の実家から大量に送られてきたみかんや菓子を気前よく皆に分けていた。小さいけど、ここに写っているのが私で、これが佳史くん」

 写真でしか知らなかった佳史さんが確かに存在し、亡くなってから半世紀以上経っても海を隔てた友人の心に刻まれている。彼が命を吹き込まれたかのように、脳内で生き生きと動きだす。その思いを伝えたいが、英語力が追いつかず、カズヤに傾ける眼差しに思いを込めるしかないのがもどかしい。

「グランパ、本当にこの時代の日本にいたんだね。俺もタイムスリップして、仲間に入りたいな。キャンパスライフどうだった?」

「大学生活には、戦争の影がつきまとっていたね。盧溝橋事件から始まった支那との戦争は泥沼に陥っていて、出征兵士の送り出しや、白木の箱に入った英霊の帰還が目についた。自由と自治の伝統が強い商大にも軍部の影響力が侵入し、教練も厳しくなっていた。それでも、徴兵を猶予されていた私たち大学生は、入学直後はまだ学生生活を楽しむ余裕があった。佳史くんに誘われて、歌舞伎や映画を観たよ。歌舞伎座で、仮名手本忠臣蔵を幕見で見に行き、あらすじや台詞を佳史くんも解説してもらった。新宿に洋画を見に行ったとき、私は検閲で正しく訳されていない字幕を見つけて、あれはおかしいと文句を言ったね」

「宇佐美の家に来てくださったのは、いつですか?」

「入学した年の夏休み、佳史くんから静岡の宇佐美村にある実家に来ないかと言われた。私は愛媛の親戚と折り合いが悪く、あまり帰省していなかったから嬉しかったよ。
 そのとき、途中下車して、箱根の芦ノ湖に寄っよ。その日は晴天で、そこから眺めた富士山の雄姿は格別だった。私が育ったアメリカの家には、明治天皇の肖像とともに、富士山の絵が飾られていた。愛媛で生まれ育った両親が本物の富士山を見たかはわからないが、彼らにとって富士山は日本の美の象徴で、愛国心と郷愁をかき立てる存在だったに違いない。
 佳史くんの実家は大規模なみかん農家で、周囲には所有する土地が広がっていた。彼のお父さんは国民学校の校長で、小柄だが威厳がある男だった。背筋が伸び、低い声が良く通り、浅黒くいかつい顔に立派な口髭を生やしていた。
 家には、妹の富士子さん、彼女にそっくりの美しいお母さん、佳史の兄の岳史たけふみさんもいた。岳史さんは地元の実業学校を卒業した後、みかん畑を切り盛りしていた。父親似のいかつい顔で、日に焼けた肌と逞しい腕が印象的な男だった。富士子さんは、津田英学塾に通う色白美人、強い意志を秘めた瞳が印象的で、とても聡明な女性だった。今のあなたに良く似ているよ」

「みな、私が祖母に似ていると言います……」

 仏壇の上に架けてある曾祖父の写真は、幼い私に睨みをきかせているように見えた。悪いことをしたら、この曽祖父が罰を与えに来るような気がして、怖かった。その曾祖父や曾祖母、大叔父の岳史のことも写真でしか知らないのに、カズヤの心の中に生き続けている。そのことが不思議で、目の前に新たな世界が開けていく気分になる。

「宇佐美の家には、どれくらい滞在したのですか? 当時の家の様子も知りたいです」

「お父さんは好きなだけ滞在していけと勧めてくれたよ。その言葉に甘え、離れの二階に一週間ほど泊めてもらった。そこには西向きに窓があって、海が見えた。窓辺に風鈴が下がっていて、風が吹いてそれが鳴ると、不思議に心が安らいだ。私のなかの日本人の血が、騒いだのかもしれない。
 滞在中は、新鮮な海や山の幸、野菜を腹一杯ご馳走になった。そうそう、家の中には、歴史を感じさせる家具や掛け軸が溢れ、過去と現在が自然に調和する心地良さがあった。母屋の縁側からは日本庭園が眺められて、池のあたりに蛍が姿を見せたよ」

「残念ながら、母屋は建てかえてしまいました。でも、離れは、祖母が頑なに建て替えを拒んでいたんです。外壁を補修し、窓サッシや風呂、トイレを新調して、エアコンの取り付けをしたものの、当時から立て替えていません。私も子供の頃から、ぎしぎし軋む急な階段、すり減った敷居、古風な電気スイッチに親しんできました。柱や階段の手すりを触ると、手にトゲが入ってしまいました」

 カズヤは白眉をぴくりと上げ、何かを堪えるようにぎゅっと目を閉じる。ジョージがいぶかし気に何か言う前に、彼は話し始める。

「一家は夕食後に縁側で夕涼みをすることがあった。みな浴衣姿で、富士子さんの琴や佳史くんのピアノに耳を傾けた。大学にいるときは、音楽なんて無縁だと思っていた佳史くんが、ベートーベン「月光」を第三楽章まで情感豊かに奏でたのには驚いた。
 そんなとき、私は言いようのない疎外感に襲われた。優雅で格調高い一家と、狭い家で大家族がひしめき、息子を移民に出さねばならなかった松山の父の実家との格差を思い知らされた。そして、移民に出た父の息子である私も、アメリカで将来に行き詰り、日本に彷徨ってきている。琴で「浜辺の歌」を奏でる富士子さんを見つめながら、富士山のようにこの地にどっしりと根を張った彼女と、彷徨い続けなければならない自分との違いが無性に悲しくなったよ……」

 カズヤは残っていたアイスティーを飲み干し、ジョージに視線を移す。
「そろそろ彼女を送ってやりなさい。富士美さん、あなたは富士子さんと長く一緒にいた。今度来たときは、あなたから見た富士子さんのことを聞かせてくれないか」

「もちろんです。今日のランチとお話の御礼に、次は私が日本料理を作ります」

「それは楽しみだね!」

                ★
 カズヤの話は、日本で生まれ育ち、疑問を抱くことなく日本人として生きてきた私に罪悪感のような居心地の悪い感情を残した。その居心地の悪さは、送ってくれたジョージの濃厚なキスでも消え去ることはなかった。 

 キスの余韻を唇に残し、アパートメントの鍵を開けると、ミナさんがコードレスフォンを片手に外国語で話している。会釈してベッドルームに向かいながら、何語だろうと考えた。語尾とイントネーションから韓国語だろう。彼女が韓国語を流暢に話すとは知らなかった。彼女は医師なので、外国語学部出身ということはないだろう。

 普段着に着替えてリビングをのぞくと、ミナさんは電話を終えたらしく、キッチンでコーヒーを淹れている。

「飲むなら」
 ベッドルームの入り口に佇む私を不審に思ったのか、彼女がぶっきらぼうに尋ねる。

「すみません、いただきます」

 彼女はあごの先で頷き、私のカップにコーヒーを注ぐ。ダイニングテーブルには、彼女のラップトップと読みかけの英語の論文が無造作に置かれている。

 少し躊躇った後、彼女に尋ねる。 
「ここ座っていいですか?」

 彼女は小さく頷き、私の分のコーヒーを自分の斜向かいに置く。

「あんたの彼氏、アメリカ人でしょう?」
 ミナさんはマウスをカチカチさせながら、上目遣いに私を見る。彼女は、濃いアイラインで目を大きく見せ、彫りを深く見せるよう工夫してアイシャドウを入れている。

「何で知ってるんですか? 紹介していないのに」

「外でお熱いキスをしてるじゃない」

 見られていたと知り、恥ずかしさで口を噤む。アメリカ暮らしが長いミナさんなら、ジョージの外見や雰囲気を見れば、アメリカ育ちの日系人だと容易に察しがつくだろう。

 キャンパスで目にする和太鼓を叩く日系人サークルの人々を思い出す。彼らの黒い瞳と髪の色が辛うじて日本人の血を思わせたが、食物や生活習慣のせいか、白人体型の東洋人集団にしか見えなかった。アメリカに根を下ろした日系アメリカ人は、彼らの外見が暗示するように、世代を重ねるうちに日本人と通じ合うのが難しくなっていくのかもしれない。

「別に隠すことないのよ。長続きするといいわね」

 彼女がラップトップに向かい、キーを打ち始めたので、話の接ぎ穂を失ってしまう。話題に困り、先ほどのことに言及してみる。
「さっき、ハングルをすごく流暢に話してましたね。驚きました」

 彼女は画面を凝視する眼球を動かさずに答える。
「別に大したことじゃないわ。私は在日だし、母語みたいなもの。こっちではミナ・パク」

「そうだったんですか……」
 それ以上、何と言うべきか。席を立ちたかったが、その露骨さが彼女を傷つけるのは明らかだ。

 私が言葉を探す前に、彼女が口を開く。
「日本にも、韓国にも、居場所がない気がしたけれど、アメリカに来てちょっと楽になった。変に隠す必要ないし」

「そうですよね……」

 大して意味のない相槌を打ちながら、ミナさんは、アメリカではジャップと二級市民扱いされ、日本でもアメ公と罵られたカズヤと似た経験をしたのかもしれないと思った。彼女は、カズヤとわかり合えるのかもしれない。

「アメリカに来たのは、研究のためですか?」

「それが一番。でも、韓国でも日本でも二級市民扱いされて、両方とも嫌になったことが推進力」

「韓国でも嫌な思いを?」

 ミナさんは、濃いアイラインを引いた目で私をじろりと見て、ベリーショートの髪を撫でつける。

「あ、別に無理にお聞きしようと思ったわけじゃないんです。いつまでも閉鎖的な日本よりはマシなのかと……」

「韓国では、在日はパン・チョッパリ」

 不可解な顔をする私に、彼女は「半分日本人っていう意味」と吐き捨て、それ以上は聞かれたくないと言いたげに、キーを忙しく叩き始める。

 少し踏み込み過ぎたと思ったとき、彼女は私に言っているのか、独り言なのか判断しかねる口調で話し出す。

「ま、あたしが変に隠してたのと、医者になれば大丈夫とうぬぼれてたから、あんな目に遭ったんだけどね」

 彼女はコーヒーを一口すすってから話し出す。
「日本にいるときだった。医学部の免疫学教室で博士号を取った頃、3つ年上の彼氏ができた。友達の開いたホームパーティで出会った他の大学病院に勤務する外科医。意気投合して、付き合い始めるのに二週間もかからなかった。互いに忙しくてなかなか会えなかった。でも、いつも口元に穏やかな微笑を浮かべている彼といると、心が安らいだ。中肉中背で、決して目を引く外見ではなかったけど、年上で包容力のある彼は理想の恋人だった。
 あたしが在日で韓国籍だってことは言ってなかった。どこか浮世離れというか、超然としたところのある彼なら、もし伝えても『だから?』と大したことではないように受け入れてくれる気がした。少し前に、私の姉が長く付き合った日本人の恋人と、双方の親も交えて国籍のことを話し合い、姉が日本国籍になって結婚することに落ち着いたのを見たから、それも自信になってた。それに、私は医者になって、社会的地位を得たのだから、在日であることは大して問題にされないという変な自信があった。ま、いつか言おうと決めてたんだけどね……」

 彼女が椅子の上で胡坐をかき、コーヒーを口に運ぶあいだ、私は息を飲んで続きを待つ。

「付き合って二年くらい経った頃、彼があたしの家に来たときだった。あたしは、更新したパスポートがテーブルの上に出しっぱなしだと気付いたけど、もう遅かった。彼はハングルが印字されたパスポートを手に取ってぱらぱらめくって、何で今まで黙っていたのかと、低く抑揚のない声で尋ねた。あたし、黙ってたのが後ろめたかったから、『知ってたら、あたしと付き合わなかった?』と試すような口調で返した。彼は『そんなことはない』とぼそりと言ったけど、それが心からの答えではないことはわかった。訳のわからない笑みが唇の端に浮かんできた。以来、彼からの連絡は、多忙を理由に間遠になった。しばらくして、短い手紙が来た。申し訳ないが他に好きな人ができたから別れようという一方的なもの。
 そのことで、あたしのなかで、今まで抱えてきたいろんなものがドカンと爆発したんだよね。もう、在日とか日本とか韓国とか全部鬱陶しくなった。その頃、アメリカに渡った在日の医学部の先輩が一時帰国してて、いろいろ話を聞いているうち、あたしもアメリカに乗り込んでやるという思いが、めらめら燃え上がった。それからは、必死。受け入れてくれそうな大学に応募して、手続きして、渡米した。白人の10倍はできなくては残れないという思いで走り続けて、気がついたら6年」

「日本に戻るつもりはないんですか?」
 暖色のルームライトに照らされた彼女の目元のたるみが、苦悩と葛藤の年月を凝縮したように映る。

「あたしは、ここに骨を埋める。いま、弁護士にバカ高い金を払って、グリーンカードを申請してるところ」

 その決意を知ると、彼女の濃いメイクが、アメリカで生き抜くための武装に見えてくる。

 アメリカの多文化主義を学び、リベラルを自認してきた私は、自分が偏見を持っていると認めたくない。私は在日の方と、友人として付き合うのはまったく抵抗がない。だが、婚約者として抵抗なく受け入れられるだろうか。即座にイエスと答えられない自分が偽善的に思えてくる。

 その思いを悟られまいと、いつもより明度を上げた声で伝える。
「格好いいです。ミナさんなら、絶対上手くいきますよ!」

 彼女はあざ笑うかのように唇の左端を上げ、キーを乱暴に打ち続ける。彼女は、一年で日本に帰ればよく、当たり前のように日本人でいられる私にはわからないと胸の裡で思っているのだろう。

 アメリカは、彼女のような覚悟を持った人々のエネルギーを糧に、強大な国家に発展してきたように思える。それが、世界中から強い覚悟を持った人々を引き付けて止まないこの国の魅力だろう。だが、そこに根を張るのはとても厳しく、努力と才能、強靭な心と身体が必要だ。私は、それを選ぶよりも、日本人として生きていきたい。


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