観る前の自分には戻れない傑作映画「正欲」のネタバレを含む感想
Netflixで映画「正欲」を見ました。朝井リョウ原作で稲垣吾郎や新垣結衣、磯村勇斗が出演した話題作。テーマも台詞も役者も映像も全てが素晴らしい傑作。大切な友人に勧めたい映画でした。
映画のキャッチコピーは「観る前の自分には戻れない」。これが本当にぴったりのコピーでした。
以下、ネタバレ含む感想です。
とある性癖を持ち、それを秘めながら生きてきたものたちの物語です。彼らは多様性への理解を促進しようという世界で、誰からも理解されずに生きてきました。
映画は佐々木(磯村勇斗)が給水機から満タンのコップに水を流し続けるシーンから始まります。後に彼らが水に特別な思いを持っていると分かった瞬間にあのシーンが意味を帯びてくる、象徴的な始まりでした。
この映画の見どころは台詞。秘密を抱えたものの悲鳴のような台詞から、その苦悩の深さが描かれます。
彼らは傷つきながら普通の人間に擬態して生きてきました。親や友人にその秘密がバレたら、白眼視されることは明らかだったから。
多様性を表現するためにゲイコミュニティから生まれたダンスをしたらどうか、という提案に対して、「企画のために踊りたくないダンスを踊るのは多様性ではない」と拒否するダンサーの諸橋(佐藤寛太)。
彼もまた秘密を抱えた者の一人でした。自分の好きなものを曲げてまで社会に迎合するのか。どうせ理解されないのに他者との繋がりに意味があるのか。殻に閉じこもる彼の心を開いたのは、男性恐怖症の神戸(東野絢香)の告白でした。
マイノリティを理解することは善いことだから、あるいは流行りだから。そのどの理由でもなく、あなたが大事だから理解したい。マイノリティな部分も含めてあなたを知りたい。
胸に迫る切実な告白はこの映画で唯一、特殊な性癖を抱えたマイノリティがマジョリティと気持ちで繋がるシーンでした。
そしてクライマックスはとても静かでした。桐生(新垣結衣)が身柄を拘束された夫に「いなくならないから」とメッセージを残します。その言葉に寺井(稲垣吾郎)はうなだれます。
見事な対比でした。容疑者の妻と検事。水フェチとそれを否定する男。夫を待つ妻と、妻が家を出た夫。深く夫と繋がった女性と、孤立した男。
寺井は、この映画を見る前の私と重なって見えました。
不登校になった子供に事情を聞かず説教し、水フェチをありえないと一蹴する。私の世代の感覚で言えば、子供が不登校になったら不安だし、幸せな人生をアピールするYoutuberにはどこか寒々しいものを感じる。水に対して性的興奮を覚えるなんて、遠く理解に及ばない。
でも彼は、自転車にぶつかられる女性がいれば声をかけるし、検事という厳しい職務をこなしながらも家では良き夫でいようとする。決して悪人ではない普通の市民です。
そして、常にマジョリティ側にいることに無自覚な一般市民です。
映画を観た多くの人は寺井の言動に違和感を覚えたはずです。他人の苦悩を推し量ることもせずに、頭ごなしに否定する。そんな男から人が離れていき孤立するのは当然のことだと。
寺井への違和感と厳しい批判は、そのまま自分へ帰ってきます。
私は誰かの趣味嗜好を軽薄に嘲笑っていないか。誰かを理解してあげようなどと傲慢に思っていないか。あなたが大事だから理解したい、と切実な思いで誰かと接しているのか。
私がこれから生きていく上で、何度もこの批判的な視点に刺されてしまうのだろうと思う。けれど、無自覚なマジョリティの一員として、この棘を忘れてはいけない。
これまでこの棘に刺されて傷ついてきたのは、姿を隠したマイノリティたちだったのだから。
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