大好きな母のこと。
最近、巷では親ガチャの話題で盛り上がっていますね。
今日は母の話をしたいと思う。
私は母と仲がいいと思う。
とても母が好きだし、頼りにしている。
育ててくれた恩も感じているし、3人も子供を育てたことに尊敬している。それにたくさんの愛情を注いでくれたと思う。
今でも相談に乗ってもらうし、連絡もよく取り合っている。
でも、ひとつ思うことがある。
母には長年、たくさん怒られ、呆れられてきた。そうして自分の行いややり方をたくさん否定されてきた。
未だに呆れられたり、口うるさく言われることもある。
私の自己評価が低い所以は、ここにあるのかも知れない、と感じることがあるのだ。
もちろん褒めてもらったことも沢山あるし、私が迷惑をかけようが、わがままを言おうが、それを許してくれたり、甘やかしてくれたこともあった。
私が母を嫌いにならなかったのは、母が娘のそういったところを許すことができる心の持ち主だったからだと思う。
私も母の前では萎縮したりせず、ありのままの自分で居れた。
わりと最近知ったことだが、母は幼少期から思春期にかけて家庭環境があまり良くなかったようで、苦労してきたらしい。
そのためか、母は小さいことは気にしない。水に流せる人だった。トラブルが起きようが、アクシデントが起きようが、母の逆鱗に触れようが、一度ガッと怒った後は気持ちを切り替えている。過ぎたことは気にしない。よそはよそ。うちはうち。
すごいメンタリティの人だ。
ただ、母は私の特性への理解は無かった。
私がADHDの診断を受けたのは成人してしばらく経ってから。
それまで、私は必死で普通の人達と足並みを揃えて生活してきたのである。
母としては、もしかしたら…ADHDかも?と感じたことはあったらしい。でもなんとか生活できるレベルだったからか、そこまでの問題に感じなかったようだ。
しかし、母は当たり前にやるべきことができない私に苛立ってばかりだった。「何でやらないの!」「何でできないの!」「はやく〇〇しなさい!」何度言われたか分からない。
そうして何度も怒られるうちに、自分は
・当たり前のことができない、だらしない子
・自分に甘い、どうしようもない子
という自己意識が生まれ、
私がやることはいつも間違っているのかもしれない。また失敗してしまうかもしれない。
と感じるようになり、自分の行動に自信が持てなくなっていった。
怒られてしまうから、と頑張って部屋を綺麗に保とうとしても気付いたらすぐ散らかってしまっているし、何かひとつ間違えたり、ちょっとしたミスをしただけでその結果が全て。次また頑張ればいい、と毎回言われる。
頑張った過程など、みんな全然評価してくれないのだ。
母によく言われていたことがある。
もっと自分に自信を持ちなさい。
堂々としていればいいのよ。
でも、こんなにできないことばかりなのに、どうやって自信を持てというのか?
私から自信を奪っていったのは母ではないのか?と。
それでも、母がいう事全てには愛情があったように思う。どんなに怒ろうとも、私がヘソを曲げて拗ねても、絶対にご飯は作ってくれていて、最後にはちゃんと食べるように促してくれたし、辛かった時には一緒に泣いてくれることもあった。
だから、私は母に育ててもらってよかったと思える。母は余裕がなかっただけなのではないか。私のできないところを母は怒りながらもカバーしてくれていた。助けられていたのだ。しかも3人の子供を育てながら。
特性を認めたくなかったのは私だけでなく、母も同様だったに違いない。
それに、母は私の1番近くに居たが、私の特性に気づける人はもっと他にも居たかもしれない。
私にはそうした気づける環境がたまたま無かっただけ。
たくさん怒られたり、否定され続けてきたことはこの先もずっと私の中に残り続けると思う。
でも、それ以上に口では厳しいことを言いながらも、母は愛情をもって育ててくれたし、成長を見守ってくれた。こうした母への感謝の気持ちは忘れてはならないと思う。母の愛情は確かに感じていたのだから。
母からの愛情だけは絶対に信じられる。
だから、私は母が大好きなのだ。
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