深海ちゃん

深海ノ空の記録 https://twitter.com/shinkaino_ku?s…

深海ちゃん

最近の記事

模索

葬送のフリーレンをみて、 死生観をテーマに作品を作ってみて、振り返る今までのこと。 死生観を語ること、死について語ることは、 重いよね、宗教みたい。そうやって案外周りにはそう言われることが多かった。 うすら笑いされることも多かった。 なぜ死生を深く追求するのが笑いのネタになるのか、 すごく傷ついた時もある。 死ぬのが怖い、死が不吉であること、それは拭えない事実であり そうやってレッテルを貼って遠ざけることも今ならよくわかる。 深く考えるのが怖いこと、よくわかるから。

    • つぶやき

      ねむい。 何回寝ても眠くて、眠くてしょうがなかった。 空っぽでいる自分が情けなくて、 そんな時間がなんだかつまらなくて、 寝て夢を見ていた方が楽しいなと思ったから。 ありえないこと、面白いこと。 新しいドラマを何種類も見ているみたいで楽しい。 海みたいに漂って、雲みたいに浮かんで、 世界と一つになったみたいだ。 私と言う存在は妙につまらない。 詳しく言うと、 自分の中にある計り知れない好奇心を 自分の行動力と体力がうまく伴走できていない。 飽き性も困

      • 終わりは心の中に

        不安症の私は、いつも先のことを考えている。 やっかいな課題を解決しても またやっかいな課題が出てきて、 親に似て合理的を求めすぎる性格のせいか、 自分で自分を苦しめているようで、 やっかいでもないことを 自分でやっかいにしているような そんな気がしていた。 先日就活が終わり、社会に出る意識が出てきて。 となると またまた他者からの評価や 生きていくための費用がどうのとか気になっている。 これが大人になっていくということなのか、 嫌だなあと言いながら受け入れる自

        • film:01

          どんな運命の出会いも 1人で死んでいくことには逆らえない。 諦めと、残りの僕の中の情緒が 少し寂しさを際立たせる。 人はいつかは目の前からいなくなる。 星のように近寄っては遠ざかって、 近くに見えたものが 気がつくと ずっと遠くにいる。 骸に閉じこもる。 希望を持っていたのかもしれない 少し重みのある人生を 愛とかいうもので。 なにか、できるかもって、 思ったのかも。 期待した分だけ失望する。 愛には期待が必要なのだと思っていた。 あなたには僕しか

          純粋でいることを恐れない

          今まで悩んできたことに終止符を打つために、 ここに書いてみる。 自分の幸せとはなんなのか、 いつからか考えるようになった。 この情報過多な社会の中で 『幸せの正解』が溢れていた。 成功、名誉、富やら。 幸せを数値化したり、比較したり。 幸せな家庭、人間関係だったり。 幸せのロールモデルを辿ろうと ないものねだりを重ねる。 どの『幸せ』が自分に当てはまるのか、 どうしたら社会に適応できるか、 ここ数年そんなことばかりを考えてきた。 『幸せ』の正解に弾かれ

          純粋でいることを恐れない

          感情探偵

          『さみしい』 多分この感情に名前をつけるなら、 この名前が1番相応しいだろうか。 突然幽霊のようにふわっとやってきて、 精一杯の不安や悲しみを押し付けてくる。 胸の奥がざわついて 体内がスライムみたいにグニョグニョと かき混ざっている感覚。 深呼吸を繰り返す夜明け前。 しかしその根源というのは、わからなかった。 昔と比べて孤独なわけでもない。 何に寂しがっているのか、 泣きたくなっているのか わからないのが1番厄介なのだ。 というのも、 子供の頃から私は、

          2022年とこれからと

          年末、少し食べすぎたな、、、という感覚が年末感を引き立たせている。 内心はさほどお祭り騒ぎとまではいかず、 今年も低空飛行で新年を迎えそうな今日この頃。 (あ、でも服とかセールになってて楽しい) 2022年。2021年よりも増して走り続けた一年。 たくさん曲を作ってライブもしてグッズも作った。 終日柄として今年は大阪のみならず、 神戸、東京、沖縄にまでライブに呼んでいただき、 たくさんの人に終日柄の音楽を届けることができて幸せだった。 届けるたびに支えられていること

          2022年とこれからと

          トラウマというハリボテ

          本当になんでもないことなんだけど、 他人が私に言った一言で たまにトラウマが呼び起こされることがある。 ほんとたまに。1年に1度くらい。 今日がその日だった。 その言葉を聞いた瞬間に涙が勝手に出てきて、 動悸が止まらなくなる。呼吸ができなくなる。 自分でもよくわからない感情の波にさらわれる。 昔の私ならここで、 人間関係を自分から断ち切ってしまったり、 引きこもってしまっていたのだけど、 21歳の私はかなりそこから成長したようだ。 まず先に『言われた言葉』と『言葉

          トラウマというハリボテ

          無機物に味付け程度

          熱意がないわけではない 愛情が無いわけでもない ただ、感情がフラット。 精神の浮き沈みが少なく、基本的に何事に対しても 『なんでもいい』 と思っている人間だ。 誰が何を着ていようが、 どんな人生を送っていようが 私には関係ない。 放っておいて欲しいから、 他人も放っておくのだ。 しかし、この性格で生きていくのはむずかしい。 世間にはありのままを大切にしよう!みたいな風潮があるけど ありのままを曝け出すのが必ずしも自分にとって良いことではなかった。 私

          無機物に味付け程度

          悪いとかいいとかどうとか

          1.弱さを守るための 今まで生きてきて、人を憎むことの方が多かった。 どうせ期待したところで。 どうせ愛したところで。 人との関わりに対して随分とすっぱり諦めていた。 人を憎む、なんて全然楽しくないのだけど、 心が弱かった私は、人を下にみることで 心に鎧を着せていたらしい。 でも、大好きな人に出会ってから、 いい人になりたい。 心が綺麗でありたい。 そう思うようになった。 まだ間に合うだろうか、 こんな私も人を好きになれるんだろうか。 私も平和に生

          悪いとかいいとかどうとか

          私が始まる日

          7月3日。 この日は私の人生が始まる日。 一年前に終日柄に出会った日。 この話に関してはたびたびインスタライブなどで 話したりしているのですが、 正直、側からきいたら、 そんなに?大袈裟じゃない? と、思うかもしれないこの話題。 人生が変わる日、そんな日を 体感するなんて生きていてそうそうないだろうし。 でも、私にとってはこの衝撃的な一瞬で 人生が180°変わったと言い切れる。 芸術系の大学に通っている私は、 当時、大学を辞めようとしていた。 話せば長くなるの

          私が始まる日

          困っていること

          すごく忘れっぽくなってしまった。 元々人の名前を覚えるのが苦手だったりと、 忘れっぽくはあるんだけれど、 最近は記憶がサーッと消えていく。 この映画観たいだとか、この本読みたいとか、 この人にこんな話をしたいだとか、 そんな自分のやりたいことも 何故か忘れてしまうし、 何が好きなのかも、 頑張って思い出さないと出てこない。 花粉症だとか、階段から落ちて腰が痛いとか、 そんな自分の体調も メモにして残さないと忘れてしまう。 朝に駐輪場に自転車を止めて大学に行くけど

          困っていること

          ゆっくりで忙しない深海ノ空

          普通でいたい街を歩くにしても、学校へ行くにしても 競歩並みに歩くのが速くて、 人と話している時は早口で、 料理は最短で効率よく、 駅まで自転車をこぐのもいつも全速力だった。 頭の中ではこうやって 自分の行動を精一杯速くしているつもりだったが、 私のその速さは結果的にみると、 ようやく世間一般の 『普通』の速さだった。 私にとって、目の前の景色がいつも速かった。 追いつきたい、普通でいたい。 『普通』になるように努力するのが『普通』であると、 そう思い

          ゆっくりで忙しない深海ノ空

          刹那の墜落

          ほんの一瞬、世界が回る時がある。 例えば、躓いて体が浮き、地面に着くまでの時間。 空間が歪み、ゆっくりになるあの感覚。 その異様に長い一瞬に、頭に走った、 認めたくない感情を記録してみる。 芸術は命を削るようだ。 削り取られた跡がじんじんと、痛い。 限られたもので表現するのが、苦しくて、 モノやカタチにするのが、 生きていることに無理やり価値を見出して消費しているようで。 純粋無垢でいてほしい私の一部を 利用しているようで。 利用してしまった私が汚れているようで

          刹那の墜落

          強くない。

          よく色んな人から、「あなたは強いね!」「強い心を持ってるね!」なんて言われる。 なんでだろう うーん、私は強くない。 不器用すぎる自分が嫌になって部屋で泣いていたり、人が言ったちょっとした一言で消えたくなったりする。 人の目はいつも気になるし、自分の言葉が本当に「自分の言葉」なのか、誰かの真似じゃないのかと、ずっと疑いながら今日も思いを綴っている。 コミュニケーションが怖くて目を逸らしてしまったり、写真を撮ってくれる人のカメラのレンズをうまくみれなかったりもする。あぁ克

          強くない。

          19と人

          無邪気に人を信じることを繰り返すうち 人を信じることが怖くなった 「あ〜それ本気にしたんだ」 「あれ、嘘だよ」「冗談だよ」 (だいたいこれに+αで、呆れか嘲笑が追加される) 相手が発したその場しのぎの為の嘘達を 私はいつも嘘と見抜けなかった。 いつだって空気を読んで吐き出される嘘は正当化される。いつだって信じた側が傷つく。 そんな事が小さい頃から日常茶飯事、挨拶がわりに行われる世の中は、私にとってはとても生きにくかった。 うまく生きる為、自分を守る為、私は疑う事を始