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純粋でいることを恐れない



今まで悩んできたことに終止符を打つために、
ここに書いてみる。


自分の幸せとはなんなのか、
いつからか考えるようになった。


この情報過多な社会の中で

『幸せの正解』が溢れていた。

成功、名誉、富やら。

幸せを数値化したり、比較したり。

幸せな家庭、人間関係だったり。

幸せのロールモデルを辿ろうと

ないものねだりを重ねる。


どの『幸せ』が自分に当てはまるのか、

どうしたら社会に適応できるか、

ここ数年そんなことばかりを考えてきた。


『幸せ』の正解に弾かれた私の純粋な幸せは、
人生の価値では無くなった。

『幸せ』でない自分と他人を蔑むようになった。

成功に縋るようになった。

成功が私の生きる意味だと

生きる価値だと、

潜在的にそう思っていたのかもしれない。

社会で生き残るため、
人は純粋でいることを恐れる。


「そんなんじゃ社会でやっていけないよ」
誰かが世界を分かったような口ぶりで言う。

社会の一員として立つために、
しょうがない、と。

でも、
『社会』は自分で作り出すものだ。

『社会』はそこにあるものではなく、
人間一人一人が集まった銀河のようなものだ


その一人一人が「社会なんてこんなもんだ」と思ってるから、
社会がこんなもんになる。

私を纏うのは社会ではなく私だ。
社会は自分の鏡だ。


社会にとっての不幸だったとしても、
私が幸せだと思えばそれは幸せだ。


だったら、純粋でいてもいいだろうか。


純粋を、貫いてもいいだろうか。


私の幸せを生きる価値にしてもいいだろうか。


大切な人に私の幸せを否定されたとしても。
あなたに当てはまる幸せではなくても、
揺るがない。



私の幸せは、あなたが幸せであること。


楽しい日々を過ごすこと。


美味しいご飯を食べること。


世界が平和であること。


誰もが笑顔でいてほしい。



純粋な気持ちが、
私の心を強く動かしている。


社会の中の私、ではなく、
私という人間がここに立つための信念。

それが純粋でいることを恐れないこと。





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