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悪いとかいいとかどうとか


1.弱さを守るための


今まで生きてきて、人を憎むことの方が多かった。

どうせ期待したところで。

どうせ愛したところで。

人との関わりに対して随分とすっぱり諦めていた。

人を憎む、なんて全然楽しくないのだけど、

心が弱かった私は、人を下にみることで

心に鎧を着せていたらしい。


でも、大好きな人に出会ってから、

いい人になりたい。

心が綺麗でありたい。

そう思うようになった。


まだ間に合うだろうか、

こんな私も人を好きになれるんだろうか。

私も平和に生きてもいいんだろうか。


鎧なんかいらないから、

心に栄養を与えたくなった。


そこから、いい人になろうと
猪突猛進な私は、意欲的に自分の心に働きかけてみた。

2.いい人ってなんぞや


私はいい人じゃないから、
いい人になる方法が全然わからなかった。

だからとりあえず、
私の中から出てくる悪魔を徹底的に退治することにした。

(今思うとすごい極端。うん、極端。)

人に対する偏見、「嫌い」の感情を全て打ち消そうとしてみた。

具体的に言えば
「コンビニ店員さんに態度の悪い接客をされて
少し嫌な気持ちになった自分」に嫌悪感を抱いて
どうにかして解消する方法を探したり、

どれだけ酷い扱いをされても、
その人のいいところを見つけて愛してみようとした。
愛せない自分が嫌だったから。

でも、そんなことをしていると、
自分がわからなくなった。

自分が嘘でできている、みたいな感覚になった。

自分の本心を嫌ってしまって、
心を疑うようになってしまった。
自分を大切にできなくなってしまった。

いわゆる、八方美人、と言うやつになっていた。

いい人を演じ、
弱い心にまた鎧を作っていた。
憎む標的を自分に変えただけだった。

3.勝手な理想像


でもどったんばったんとここまでやってきて
少しわかったことがある。

私が当時思っていた「いい人」なんてのは
私がその人に抱いた勝手な理想でしかなく、
結局のところ、そんな理想の人物なんて存在しない。

「まっさら!天使!煩悩がない!!」

んなわけない。

みんなの心の中にはちゃんと、悪魔がいる。

モヤっとするのも、イライラするのも、
自然なこと。

こんな変な社会に揉まれながら、
それを打ち消そうだなんて考えは無茶だった。

そうやって、自分の心の中だけは自由にしてみたら、
とても楽になった。

その時見ていたドラマの主人公も言っていたなあ、

「僕だって心の中で何回も上司を殺してる!
でも罪じゃない、心の中は自由だから。」(うろ覚え)

本当に大事なのは、自分の心を否定しないことなんだろう。
人を傷つけない程度にね。

4.ちなみにちなみに


ちなみに、

私の中での「いい人」の定義は

自身が感じた憎しみや嫌悪感を
自分の中で噛み砕いて
「人との関わりをよくしていく為」の燃料にする人

に一旦なった。

(曖昧にしておくことが苦手な性格のため、
定義付けするのが癖、ふふ)

この「いい人」の定義は、
自分がこうなりたいっていうだけなので、
別に人にこうなってほしいとか
そんな烏滸がましいことは考えてはいない。
理想を押し付けることをやめた。


人生は結局自己満足だから、
自分が納得するような生き方ができれば
オールオッケー。

大切にしたいものをより大切にするためには
どうしたらいいのか模索中な
深海ノ空でした。














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