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#美の来歴

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古今の美術作品と歴史のかかわりをたどるエッセイ。図版と資料をたくさん使って過去から未来へ向かう、美の旅へようこそ。
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#エッセイ

美の来歴㊶                                          マティスと猫と戦争と                         柴崎信三

美の来歴㊶ マティスと猫と戦争と       柴崎信三

猪熊弦一郎の「終わらない休日」

 二匹の灰色の猫が明るいブルーの服を着た妻に抱かれて、鮮やかな橙色のソファの上にくつろいでいる。この「青い服」という油彩画は、戦後の1949年の作品である。若い日に心酔したマティスの色づかいをそのまま蘇らせたような、いかにも都会風のしゃれた油彩画だが、敗戦の荒廃からようやく抜け出ようという〈戦後〉の解放感が画面から伝わってくる。ひめやかな幸福感を漂わせた作品である

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三島由紀夫という迷宮②     ダンヌンツィオに恋をして           柴崎信三

三島由紀夫という迷宮② ダンヌンツィオに恋をして      柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人❷

 毎年師走が近づくと、半世紀前の〈あの日〉の市ヶ谷台を包んでいた異様な熱気と興奮を思い起こす。                        

 現場に到着した時、上空ではまだ取材ヘリの爆音が響いていたが、すでにことは終わっていた。バルコニーに立った三島由紀夫の最期の演説を聞いた自衛官たちは三々五々前庭から立ち去り、東部方面総監室の前の壁面に〈楯の会〉の檄文の幟が垂

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美の来歴㉖
猫が見た夢をめぐって    柴崎信三

美の来歴㉖ 猫が見た夢をめぐって    柴崎信三

〈函館〉が生んだ長谷川四兄弟とモダニズムの時代

伝説の画商でエッセイストとしても知られた洲之内徹がこの絵と出合ったのは、一九六〇年代の初めだったようである。画家、長谷川潾二郎の東京・荻窪のアトリエで見た作品、『猫』に一目ぼれして虜になった。
深く鮮やかな紅色と灰色で仕切られた、スタイリッシュな背景。茶虎模様の猫がゆったりと体を伸ばして寝ている。洗練された色と構図で仕切られた画布から、こ

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美の来歴㉕〈流謫の英雄〉という肖像           柴崎信三

美の来歴㉕〈流謫の英雄〉という肖像   柴崎信三

皇帝ナポレオンと〈転向画家〉ダヴィッドの紐帯

アナトール・フランスの小説『神々は渇く』の主人公、エヴァリスト・ガムランは、その頃革命の記録画で知られたジャック=ルイ・ダヴィッドの弟子にあたる若い画家で、王党派と戦うパリのポン・ヌフ地区の能動市民(シトワイヤン・アクティフ)である。
  アンリ4世時代の古いアパートに寡暮しの母と住み、アトリエで売れない絵を描いている。革命は絵画の市場も洗い流

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美の来歴㉑傭兵隊長フェデリーコの陰謀             柴崎信三

美の来歴㉑傭兵隊長フェデリーコの陰謀 柴崎信三

「メディチ家兄弟暗殺計画」の隠された仕掛人

 15世紀末葉、フィレンツェにはルネサンスの花々が咲き誇った。それは黄昏ゆく文明の残照であったのかもしれない。
 猖獗するペストが街を包み、教会の権威が揺らぐなかで、都市国家フィレンツェは未曾有の危機をようやく潜り抜けた。
 オリエントにまで影響力を広げたメディチ家の実質的な創業者、コシモ・デ・メディチの遺産を引き継いだ20歳の孫、ロレンツォは政治や外

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美の来歴⑳ ではあなたは誰なのか   柴崎信三

美の来歴⑳ ではあなたは誰なのか   柴崎信三

閨秀歌人の悲恋と国宝『源頼朝像』へ仕掛けた〈爆弾〉

 高倉天皇の中宮、平徳子に仕えた建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)は、才色兼備の閨秀歌人としてその名が伝わる。父親が書論『夜鶴庭訓抄』で名高い能書家の藤原伊行(これゆき)、母親が石清水八幡宮の楽人の娘で筝曲の名手の夕霧、華やかな才知と容色は想像できる。
 皇族や平家の公達との歌の贈答はもちろん、琴や笛など管弦の遊びでも王朝末期

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