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短編小説

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2020年6月の記事一覧

「したかったの?」

「したかったの?」

「きょう、したかったの?」
「うん」
 即答だった。戸惑いも躊躇も謙虚も嘘もなくただ理性のおもむくままに男はあたしの中にすんなりと素直に入ってきた。
 男は時折ちょっとだけ声を出す。その声がとても気持ちがよくってつい無意識に出てしまった声だとはわからないと思う。
「したかった」
 あたしを組み敷きながらまた同じことをいう。好きなの? したいだけなの? そんなくだらない押し問答にもう疲弊したあたしと

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追いだきの男

追いだきの男

「風呂冷めてるからさ、追いだきして」
 とても寒い日だった。多分2月の初旬だったと思う。男のアパートに行くと絶対に「追いだきして」と「来たの?」より「寒いね」より何よりも先にいわれた。
 うんわかったといい追いだきのスイッチを入れる。いつもテレビの心もとない灯りだけが四角い箱の中から発しているだけで部屋は保安灯だけが灯っていた。なんで灯りをつけないのかな。と最初に訊いたことがあったけれど、あーそう

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だらだらする〜

だらだらする〜

 焼肉の匂いがして玄関をあけるとやっぱり煙たくて男はホットプレートで肉を焼いていた。
 背中を向けていたのであたしが来たことにはまるで気がついてはいなく、トントンとやや控えめに肩をつつく。
 「おう、ビックリした」という男はちっともビックリしてはいなく特になにかいったわけでもないけれど男の前に座る。あれ? これ濡れているよ。と隣の椅子に無造作に掛かっている作業着に触れると濡れていて指摘をする。
 

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かんじょうのない女

かんじょうのない女

 へえ。そうなんダァ。でもすごいね。ほら、なんかいつもいそがしそうでさぁ。ここのところどの男どもにあってもそんなようなセリフをいっているような気がしてならない。
 以前のあたしなら好きな男だからどんな話だって話すだけで嬉しくてなんでうまく聞けていた。喋るという行為よりもあっているという行為の方が凌駕していたのであって結局喋ることよりも肌を重ねる行為だけでよかったのだ。
 あう=セックス
 あたしの

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しにたい女

しにたい女

 くだらない。
 まったくもってくだらない。絶望感の淵に立たされ思わず7階の震度5が来たら間違いなく崩壊するであろうホテルの窓を開け初夏の夜気を室内に入れる。生臭い空気と入れ違いに入ってくる夜気のおかげでここから飛び降りることをなんとなく諦める。
 夜気はあたしの空っぽの体の中に侵入し38度くらいのお風呂の中のにいるような感覚にさせる。遠くに見える宝石のような街の灯りがすべてまあるく揺れて見える。

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ふつうの男

ふつうの男

 おすそわけです。たくさんとれちゃって。ほら、うち2人だし腐らせるのもなんだしね。隣に住んでいるらしい(らしいというのは何年もここに通っているのに初めて顔をみたから)60代くらいであろうとても品のよい女性から潮干狩りにいってきたらしくアサリをたんまりともらった。
 わぁ、ありがとうございます。と蔓延の笑みでお礼の言葉を述べる。いいんですかぁ? などと謙遜の声まで交えて。嬉しいです。さらに喜びを表す

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バームクーヘンの男

バームクーヘンの男

 高校2年のとき学校が終わってからショッピングモールに行き、初めてどでかい年輪のバームクーヘンをみつけて一緒にいたあきちゃんに
「ねぇ、このどでかい年輪みたいなのあきちゃん知ってる?」
 そう質問をしながらバームクーヘンを持ち上げた。それはずっしりと重くてなんというか、つまってまっせ〜っていう感じがしてあきらかにパンじゃなくてケーキ寄りな代物だとわかった。
「え?」
 あきちゃんが素っ頓狂な声をあ

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くうきな男

くうきな男

 仕事から帰ってもはやなにもする気もおきずにけれど手洗いとうがいをし、冷蔵庫から缶ビールを取り出してプルトップを開ける。
 プシュという音とおもてからささやかに耳にはいってくる慈雨のノイズはいいコラボだなと思いつつ喉をならしごくごくと飲む。冷たい液体が食道から胃に到達したなと感じ次は頭がキーンと痛くなる。冷たすぎるから缶ビールは常温でいいよと男にいってあるのになぜかいつも缶ビールは冷蔵庫の中に集合

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